17話 朱と瑠璃
何重の塔といえばよいのか。背骨か百足のように無数の節を持つ長大な建築。
茨の藪じみて絡み合うそれは、縦横に伸長し、あばらじみた垂木が、がちがちとぶつかり合う。
何もかもが規格外にでかい都城であった。魔術師加藤がその思い出で研ぎ澄まして彫り上げた、一個の夢の国。朱塗りの帝国。
実にその情念の結晶。吾輩は魔術の奥義の一つを見ていた。
「先日は、披露する前に逃げられてしまったけれど、ようやく見せることができるわね。これが今、あなた達に見せられる全てよ」
「なるほど大したものである。これほどのものをもってしてもまだ足りぬのが、ニンゲンの支配者たり得ざる理由であるな」
呆れたものだ。夢の国、己の思うがままの領地を手にすれば、今度はその拡大にいそしんで元あったものまで捨ててしまう。
危うい生き物だ。そしてその危うさが決壊したものが、目の前の怪ニンゲンであった。
「足りないわ。まだ。この国には夜が足りないの。私が憧れた夜が。片倉さん。あなたは持っているのでしょう?」
機械に侵され、黄金の円盤となった瞳が瑠璃絵を舐める。塔が蛇のように波打ちながら襲い来る。
破壊力は大きいが、猫を屠るための機動力が無い。吾輩はすぐさま塔に跳び移り、後続の猫たちとそれに運ばれる瑠璃絵が続く。
吾輩らのついでに飲み込まれた校舎が、ついに跡形もなく消し飛んだ。欠片さえも塔の濁流に呑まれて消える。
「どうしてわたしなんですか!?先生ならこの世界にいくらでも星を浮かべることだって!」
瑠璃絵がもっともなことを言うが、たぶん無理であろう。
「できないのよ。これは私の思い出。私が幼いころに見た情景を練り上げたもの。……星読みの家に生まれたからこそ、後継ぎでない私は御簾の中で夜を過ごして、夜空なんてまともに見られなかった。だからこの都は朱だけ。朝焼けと真昼だけでできている」
そんなところであろう。
かつて窮極の門にまで至り、夢の国の最高の都セレファイスの王にまでなったニンゲンがいたが、その栄光は彼の慰めにはならなかった。
彼が欲したのは懐かしき子供時代の風景であったが、輝かしきセレファイスにそのような安っぽいものは存在しなかったのだ。
研ぎ澄まされるがゆえに、夢は見るものさえも振り回す。自分自身の全てを、どうして自分の力で塗り替えられよう。
地平線を隠す鵬翼のごとき城から、赤備えの大武者が湧いてでてくる。なるほどここが中世の平安京をもとにした世界だというなら、侍の百や千はでてくるであろう。
さらには東西南北から
「瑠璃絵!お前も自分の都を出すのである!さもなくば押しつぶされるぞ!」
「出すって言ったってどうすれば!ここ先生の夢の中なんでしょ!?」
「関係あるものか、夢は夢である!自分の意志でいくらでも塗り替えられる。コツは掴めているはずだ。ふりかえりさえすればよい!」
瑠璃絵は口を引き結び、ぎゅっと目をつむる。その後ろから瑠璃色の光線が追随するかのように、朱の夢を断ち切った。
明度が一気に下がる。銀の飾り紐が武者の軍勢を取り押さえ、三日月の牙を持つ象たちが聖獣に突進していく。
「素晴らしい」
魔術師が、感極まったようにつぶやいた。そこには今までのぼんやりした微笑みは無く、まさに真昼の日差しのごとき
「やはりあなたには素晴らしい才能があったわ。片岡さん。薄っぺらい輝きばかりの夢に比して、なんて濃い色。私の欲しかった夜!星々の国が!」
加藤が胸より抜刀した金の鍵を振るう。まがい物に過ぎないそれも、この夢の中でなら、より本物に近い業を行使できる。
加藤が消えた。
吾輩は塔を蹴って微妙な角度をぬい、木組みの中から生えてくる魔術師の腕をはじく。異次元への転移と瞬間移動。単純だが強力な魔術である。
また金の鍵を回すと、今度は景色が切り替わった。上空に燃える翼を持つ
しかし今の吾輩にとっては、文字通り赤いだけの
力をためると、筋力ではない謎のエネルギーが全身にみなぎっていく。瑠璃絵が休みの日に見ていた超戦士の子ニンゲンが活躍するアニメのようである。
近くの塔が自然発火するほどの熱量。舞い落ちる羽に触れただけで宝珠が融け落ちる紅蓮の塊に、吾輩は人工衛星じみた速度で突入した。
熱さは感じない。馬鹿馬鹿しく思えるほど簡単に、朱雀は爆発四散する。
「……いくら猫とはいえ、現実に近い夢の中でそんな強度はないはずだけれど」
加藤は理不尽そうに不満をたれるが、笑止。
「分かっておらぬようだな。この蒼の世界は瑠璃絵の思い出であるぞ?瑠璃絵が年がら年中尻尾を追っておった吾輩が、その中に含まれぬわけがなかろう」
瑠璃絵の都には、加藤のそれのような兵隊はいない。平和な国で、暴力の影もなく育ったのだ。そんなことを想像もできぬのであろう。
では瑠璃の巨城を守るものは無いのか。まったくの無防備なのか。
違う。吾輩がいる。瑠璃絵にとっては吾輩こそが、己の家と夜の安寧を守る守護神であった。
つまり今の吾輩は神話生物猫にして、夢の国の城にも匹敵する、世界の根幹の力を担っているのだ。
力は倍々で二乗。計算式は知らぬがとにかくめっちゃ強くなっているのである。
横っ飛びを繰り返すと、いつの間にか視点が増えている。分身の術である。たくさんになった吾輩が塔や武者に突進すると、穴あきチーズのようになって倒れていく。
「いえ、それだけじゃない。知っているわ。あなた」
加藤が遠い記憶をひっくり返し、吾輩を見た。
「そう、あなたは知っているはず。ランドルフ・カーター。魔導士エドマンド・カーターの裔。科学という名の迷信はびこる近代で、魔術の窮極に至ったあの夢見る旅人を。確か彼の最大の冒険の時に、その危機を助けた黒猫がいたはず」
大した知識量である。そして間違いではない。
「いかにも。吾輩は長き生と多くの命を持ち、それに比例した数多の名を持つが、今は吾輩の瞳の濡れたる輝きからウル太と呼ばれておる」
名乗り上げから突撃。無数の吾輩が縦回転に横回転。錐揉み回転もついて、沸騰する蒸気のごとく暴れまわる。
他の猫たちも瑠璃絵の領土の拡大と共に力を得て、鵬翼の城への反撃を開始した。
「ウル太すごい!かっこいい!」
瑠璃絵がはしゃぐ。そう、吾輩は強いし格好いい。地球の支配者たる猫族の中でも、いっとうすごい猫なのだ。
雑兵の相手は軍団に任せよう。目指すは本丸。吾輩は分身を率いて瑠璃絵を持ってくる。
「このままお前の夢ごと突っ込むのである!正念場であるぞ。心せよ!」
「う、うん!大丈夫かな!?」
「大丈夫もなにもない!負ければそれまで!町も終わりである!ゆくぞ!」
大地がまた波打つ。魔術師の目的もまた、瑠璃絵であった。
まさかニンゲン同士の戦いに猫が加勢する構図になろうとは。奇妙なこともあったものだ。
しかし面白い。たまには下僕を助けてやるのも一興である。
空でも飛んだのか、いつの間にか眼前にまで迫った鵬翼の巨城。その真っ赤な門扉の奥深くへと、吾輩らは飛び込んだ。
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