18話 這いよる混沌

 朱と瑠璃が混交しながらお互いを潰し合い、あたりはさながら夜明け前か夕暮れか。砕かれた城の破片は、光を散らしながら舞い落ちる。

 ここまで大規模な魔術合戦になると、さすがに技の入り込む余地は少ない。単純な質量のぶつかり合い。濁流の衝突である。


 瑠璃絵はよくやっている。未熟どころか、魔術師として生まれていないも同然の状態だ。にも関わらず、自分の中で育てた夢の力のみで千年来の老魔術師と渡り合っている。


 相手の手加減、というより本気を出せない事情もある。

 魔術師加藤の目的が瑠璃絵の夢の都である以上、それを微塵に破壊し尽くすことはできない。瑠璃絵を殺しても同じだ。エンジンを失えば、夢は存在する力をも維持できなくなる。


 そういった非対称性があるにせよ、経験豊かな魔術師の戦術に絡め取られないのは、夢の強度が高いためである。騙し討ちを仕掛けようという企ては全て、瑠璃の城の全方位への質量攻撃によって粉砕された。

 加藤は老獪ろうかいではあろうが、そもそも夢見るものとしての純度は幼いほど高まるものである。夢の物量戦ならば互角であろう。






 下方。ぶつかり合う建物によって点にしか見えない地上。堆積した瓦礫と残骸が、朝ぼらけの色をした地層となってその標高を高くしていく。

 それをさらに土台として朱と蒼の柱が壁が梁が瓦が、それぞれの陣営に分かれて相殺を繰り返す。


 時間は無意味だ。地球開闢のころより続いてきたようにも見えるし、まだ十秒とたっていない気もする。

 遠くで戦っている猫たちの姿もおぼろで、夢の密度が連続する時空さえも無視し、時間を屈折させているようであった。


 動いたのは加藤である。夢の戦いでは手加減もできぬとみて、肉体を動かした。金の鍵で吾輩の分身を弾き飛ばし、瑠璃絵の方へと駆ける。


「ああ、ほんとうに素敵。なんてきれい。もっと寄越して。もっとこちらに」


 焦がれたように生徒を見るその目は、いまだ純粋そのものである。これほどの純度なくして、魔の世界に千年身を置くことはできなかったであろう。


「行くことは、できま、せん!」


 瑠璃絵は分身を機関銃じみて射出する。が、金の鍵を振るう加藤の身体が歪んだ。まるで落雷のように、細長く分割された実体が瑠璃の城内に着弾する。

 時空の歪みを自身の身体に適用しているらしい。戦いの中で成長する柔軟さまで持っているようだ。多才なやつである。


 傑物であることは間違いない。自らの夢に向け、的確に準備を整えながら驀進ばくしんするその力。まともな良心が育っておれば、立派な猫の協力者にもなれたであろうに。


 しかし、単身であっても侵入されたのはまずかった。物量なら互角だが、面と向かえば瑠璃絵の経験の無さが出てくる。

 吾輩は瑠璃絵の守護を放棄した。どうせ守りに入ったところでジリ貧というやつである。先んじて倒すより他ない。


 ひねりを入れて床を蹴ると、吾輩は一発の弾丸になって加藤の腹をぶち抜く。一瞬形を崩したが、魔術師は霧か泥のように元の姿へと充填される。

 実体を超えた神々の領域に近づいているようであった。


「うっそお!?」


 瑠璃絵も場違いな声をあげる。小ニンゲンゆえ致しかたなし。だが驚きで隙が生まれてしまった。萌えいづる建材の合間を縫って、魔術師加藤が来る。


「挑戦するのは初めてだったけど、うまくいくものね。そろそろ終わりにしてもいいんじゃないかしら?」


瑠璃絵がひるむ。加藤の声はあくまで優しい。だからつい頷きそうになる。もう教師でもないのに器用なことだ。


「惑わされるな!危険なのはあちらも同じである!」


 とりあえず爪をたてて胸を切り裂いてみるが、やはり霞みがかった加藤の身体には何の変化もない。物理的な干渉は完全に無効化されている。


 これほどの力、リスクが無いはずがない。


 吾輩に決め手が無いのは間違いない。猫は魔術のたぐいは跳躍の他はあまり使わないからだ。


 しかしそれにも理由がある。

 魔術はなぜ魔の字がついているのか。危険だからである。魔術は万能の業、思ったことはだいたい出来ると言ってもよい。だがその自由度ゆえに、見えざる落とし穴が数多く存在するのだ。

 何より、魔の深淵にはあの狂える蕃神どもが深海の鮟鱇あんこうのように、知恵をつけた獲物が自ら口に入るのを待っている。

 魔術師を相手にする場合、最も効果を発揮する戦術は、自滅を待つことである。吾輩らは圧をかけ続けてきた。加藤はより深くへ潜航するしかない。すでに吾輩らと魔術師加藤は刃の上で踊っているのである。




 それでも、もし加藤が瑠璃絵と同じかそれ以上の純粋さで夢を見つめているなら、いずれ瑠璃絵は負けるであろう。それが順当というものだ。

 しかし魔術師加藤の中に一切の不純物は無いのであろうか。

 あの魔術師の星と大地の秘密への思いは、経てきた年月に比して驚異的なほどに純粋であるが、それは幼い少女の憧れに勝るものであるか。

 生きづらいニンゲンの世の中を壊してやろうという気はまったく無かったのか。やかましいだけでまともに育ちもしない小ニンゲンを綺麗さっぱり掃除してやろうという衝動とは無縁であったのだろうか。

 長い年月は確実に心を摩耗させる。現世にある限り不変の法則である。


 瑠璃絵の勝機は、その金剛石ダイアモンドに入ったその一筋のひびをつくことしかないであろう。



 加藤が瑠璃絵をつけ狙い、ついにその手が少女の眼前にまで伸びる。

 吾輩は床に狙いを定め、突進した。黒瑪瑙が豆腐のようにえぐれて、瑠璃絵を階下へと運ぶ。


「それしかないでしょうけど、杜撰ずさんね」


 確かに気休めである。落下するだけでは、幽鬼と化した加藤はすぐに追いつく。


 瑠璃絵がまあ建物を作り出した。しかし今までのものとは明度が違う。加藤はそれをくぐり抜けようとして、貼り付けられたように止まった。


「これは……」


 加藤が目を見張る。壁の色が違う。これまでの浮世離れした色合いから一転、風采の上がらないコンクリートの灰色が魔術師を空間に縫い止めていた。


「上手いぞ瑠璃絵!よくやった!」


 吾輩らのついでに夢の世界に巻き込まれた学校であった。すでに土砂と化していた成れの果てを、夢と一緒に混ぜあげたのだ。

 学校は瑠璃絵の記憶の大部分を占める領域である。そして教師であった加藤もその一部。自由自在に変形する幻となった加藤を、夢の構成部品として定義し直すことで動きを封じたのだ。

 大した応用力であった。これで追いかけっこは振り出しである。


 加藤が金の鍵で学校を分解しようとする。しかし吾輩の方が速い。加藤の腕を爪で削り落とす。

 ダメージは無いようであったが、回復が遅い。現実の物質と混ざっているこの学校では、奴も完全に夢の存在にはなれぬらしい。


「あらあら。なかなか、うまく行かないものね」


 加藤が愚痴る。


「諦めよ。魔術師。お主のなす事はどれも世の道理を外れておる。それでは猫もニンゲンもついては行かぬし、ついて来るものがなければどんな試みも失敗に終わるものであるぞ」


「猫が説教とは、珍しいこと」


 慣れぬ説得をしかけてみるが、やはり無駄であった。加藤の言うとおり、ニンゲンに言い聞かせるのは猫の得意とするところではない。瑠璃絵のことを思うと、もう少しニンゲンについても詳しければ、この魔術師にも何かまともな道を行かせることもできたかと、猫らしからぬ反省をしてみる。

 しかしどうせ無駄なことであろう。目の前の女はあまりに業を重ねすぎた。

 すでに地獄のふたは悲鳴を上げ、現世にふさわしからざる者を支えること放棄しようとしている。この一戦、吾輩らには勝ち負けはあるが、この魔術師にとっては破滅がいつ来るかの違いでしかないであろう。



 瑠璃絵はメス魔術師の動きが制限されたことを見て、最善の行動をとった。すなわち吾輩を盾にして逃げ出したのだ。

 それでよい。小ニンゲンに戦闘力は期待しておらぬし、この閉鎖空間でなら、吾輩一匹の方がやりやすい。


 加藤の方も動き出す、と思ったが、なにゆえか、微動だにしない。金の鍵を構えたまま、こちらの目を見据えている。

 あの鍵は大した威力を持っているが、ここは瑠璃絵の夢の領域。そこで存在を規定されていては、吾輩が強化されているのと同じく弱体化は避けられない。やたらにそこらを切り刻んでも隙をさらすだけであろう。

 だからうかつに動けないのは理解できるが、全く動かないのはわからぬ。もはや時はない。魔神は着実にこちらに来ている。前触れはない。いきなり来て、そして連れ去っていくのだ。魔術師が知らぬわけがない。


 加藤が口を開く。


「教師をやっていて、本当によかったわ」


「むん?」


「あの子を教えていなかったら、きっとあなたと同じだった。あの子がどこへ行くかなど気にもしていなかったでしょうね」


 となると、この元メス教師には瑠璃絵の行き先が分かっているということか。しかし、どうやってそこに行くのだ。道は吾輩がふさいでいる。あとは窓だが、破って出たところで、ニンゲンの身体能力では真下にでもいなければたどりつけない。

 真下にでも。


「あなたも、最初は窓で見たわね」



 吾輩は窓へ跳ぶ。いい加減疲れた。ニンゲンはどうしてこうしぶといのか。後でニンゲンにちても学んでおこうと強く思う。

 しかし加藤が早い。距離が近すぎる。窓を破り、行くのは真下だ。


 瑠璃絵の教室である。




 金の鍵の一閃がベランダをばらばらにし、加藤が教室に突入する。瑠璃絵が同時に教室に入る。

 吾輩も遅れて入る。しかし加藤の手はすでに伸びている。瑠璃絵が身をひるがえす。その後ろ首に加藤の指先がかかる。


 加藤の動きが一瞬止まる。足元に何かいる。緑のうろこを持つ肉塊。幾度もがれきに押しつぶされて、すでに原形もないが、幾度もかいだ臭いを覚えている。あの元毒ニンゲン。


「邪魔よ」


 加藤は靴に引っ付いたガムテープを取るように、うっとおしげに元毒ニンゲンの身体を蹴った。




 しかし吾輩は知っている。あの元毒ニンゲンのタマシイは、すでに海中深くルルイエにまで堕ちているのだ。タマシイなき肉体が、自ら動くはずがない。


 ではあれは何なのか。






 蹴り飛ばした元毒ニンゲンは、魔術師から離れなかった。いや、むしろくっついている。暗い緑色の胴体が、メス魔術師の脚と融合していた。


「ぐ、しまっ!」


 ついに優しげな淑女の顔をかなぐり捨てて、加藤は金の鍵を振るう。しかし元毒ニンゲンの肉体は分割されるどころか、歪んだ空間を通してより強固に混じり合う。

 元毒ニンゲンの口が、顔の筋肉からして不可能な角度で歪んだ。笑っている。


「おのれ!」


 加藤は歯を食いしばり、燃え盛る憎悪の目で、空っぽなはずの死体に呪いを吐く。


「うひ、ぐげ、おほほほほ、ふひっひへへふっだははははははははははははははははは!!!」


 笑い声はいよいよ高くなり、学校全体が震えるかのようであった。いや、実際に壁にひびが走り出している。

 魔術師の足をついにとらえた這い寄る混沌の名を、加藤は叫んだ。




「おのれニャルラトホテプ!!」

 



げひゃほほうけけけけおあははははひゅへへらはははくくけけけけけけけがははほひひひひいひひひひひひ


 もう邪神は、宇宙の暗雲の底で踊る闇の神々の全権大使は正体を隠そうともしない。

 融合を続ける依代の肉体は、異臭を放つ粘液となって窓を破り溢れ出る。地平線の向こうで回っているあれは蕃神どもではないか。

 無限に思えた夢の世界が、その外側にあるものに齧られ、飲み込まれていこうとしている。


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