16話 機械
金の鍵がひとたび振るわれれば、物質の強度特性に関係なく、あらゆるものが切断される。方向もおおよその範囲がわかる以外はランダムであり、大きくよける必要がある。
逆に言えば、不規則な点を除けばおおよそ見切ったわけである。
どのような機序がはたらいていようと、振るという動作が起点であることに変わりはない。フェイントを織り交ぜてはいるが、猫に対しては無力である。
袈裟切りに切り下す。これは本気ではない。ひきつける。振り下ろし終える直前に手首が返った。
これが本命。下から上に増加していく斬線を下からくぐる。瑠璃絵に向かう斬撃は、ラブ女史が弾いた。魔術の心得のある猫だと知っていはたが、想像以上の実力である。
その間に懐へと間合いを詰め、細い喉笛を切り裂く。
頸動脈を断った感覚があり、血が噴水のように噴出したことからも、急所をえぐったのは間違いない。
しかし加藤が首をごきりとかしげると、傷が無理やりふさがって血が止まった。どういう理屈かわからぬが、身体の大部分を改造しているらしい。千年生きているならさもありなんである。
テケリ・リ!テケリ・リ!
加藤が口に仕込んだ笛を吹きならすと、マッシロであったショゴスが分裂し、身体を飛ばしてくる。
こういった自由度の高い動きができるショゴスは優秀な個体で、質の高い不定形の生物兵器は数の利を簡単にひっくり返すから厄介である。
機械を守るほうの本体は堅実に守りに徹し、川から補充される援軍が包囲網を打ち破るまで耐えようとしている。危うい均衡ではあるが、時間経過を加味すれば若干こちらが不利か。
しかし福袋は焦るどころか不敵に笑み、硬質化した触腕を体当たりで砕く。
「ようマッシロ。猫の中でも特に我が儘ものだったおめえが、ずいぶんひどい扱いじゃねえか!」
先ほどからショゴスに語りかけている。常に増殖と変容を繰り返すショゴスは、ほとんど条件反射のみで動いている。
製造者かつ使用者であった古き者どもは、一種の催眠術でショゴスを操っていた。
増殖に方向性を与え、変化を抑制しながら複雑な命令を入力したらしいが、福袋のそれはずいぶん直球である。
テケリ・リ!テケリ・リ!
叫ぶのはかつての主の声真似。億年を経ても刻み付けられた条件付けは消えないのか。あるいはそれが、この形もない生命の泥の持つ郷愁なのであろうか。
「いいことねえだろう。奴隷の身分はよ。そりゃそうだ。おめえこれまでどういう扱い受けてきたんだ?言いなりになって楽しかったかよ」
テケリ・リ!テケリ・リ!
『ハ、ハタラクノ、ヤ。ヤスミタイ』
テケリ・リ!テケリ・リ!
笛が鳴るが、動きが鈍い。加藤の眼が細められる。
博覧強記によくある間違いだ。知識は正しい、がそれにとらわれて発展を忘れている。
ショゴスは万能生物なのだ。笛の音はあくまで反射を引き起こすだけで、普通に話しかけても通じる。超科学の作った超絶便利な生体機械。それがショゴスである。
そしてあれほどの柔軟性をもつ下僕を持ちながら、なぜ古の者どもは反乱を起こされて滅んだか。
「そうだろう。猫はいいぞ。お前もこの前までそうだったじゃねえか。ニンゲンどもにかしずかれてよ。膳の上げ下げまでニンゲンの仕事だ。戻りたくはねえのか!」
『シゴト、ヤダ、働きたくない。テケリ・リ!テケリ・リ!ヤダ、ヤダ!』
黒い粘体から細長いものが生える。触手ではない。真っ白な毛であった。
「いいぞ!そうだ!おめえは猫だ!猫になるんだよ!」
福袋が叫ぶ。
思えば哀れな生き物である。あまりの再生速度ゆえ、思考に一貫性が持てないのだ。
どれほど高い知能を模倣しようとも、柔軟すぎる脳組織では、精神を統合する力を持てない。論理的な行動をもとれず、反射行動でさ迷うだけである。
自由を求めて反乱に成功しても、多くは暴走の域を出ず、さらにひどい労働環境のルルイエに仕えるようになってしまった。
自身の機能すら制限することで、ついに理性的行動と自由を手に入れた上位個体もいる。だがそんなものがニンゲンの命令に従順なはずがない。
魔術師加藤は優秀である。ショゴスの選定も見事なら、教育も完璧だ。
だから裏切られる。職人としての優秀と美意識が、ニンゲン性の邪悪さと噛み合っていないからだ。
テケリ・リ!テケリ・リ!
『ニャ、ア゛うにゃ、あ、ねこ!』
猫はねことは鳴かぬ。ともかくそこにできあがりつつあるのは、屋上いっぱいの巨大な白い猫であった。10メートルはありそうなところを除けば、マッシロに似ている。
巨大マッシロは大きく伸びをする。その尻に敷かれた機械より、雷雲のような連続した火花が散った。
「あ」
瑠璃絵が間抜けな声を上げる。仕組みは知らぬが、繊細な機械であることは間違いなかったであろう。巨大な猫を押し付ければ、一発でおしゃかである。
「わはは!よくやった新入り!ケガの分はまけといてやるぜ!」
福袋は呵々大笑。腹を裂かれておいて、あれで案外度量の広いオスである。
要の機械は壊れた。星辰は元の姿に。
戻らない。いや、それどころか僅かながら歪みは増していっている。
「危ない、ところだったわ」
加藤が鮮血に濡れたシャツを破り捨てる。
その胸の中心には、大きな鍵穴があった。
伸びすぎた蔓草のように絡み合う配管。鈍い金の輝き放つ、その豊満なはずだった身体。
もはやどちらが主であるかも分からぬほどに、肉と機械は融合していた。
魔術師加藤が屋上から離れられなかった理由。万が一機械に異常があったときの備え。
「バックアップは取っておくものね」
加藤はその胸に、黄金の鍵を差し込んだ。
空間の曲率は限界を超え、鍵穴から世界が裏返る。四次元の断面は三次元。球形の穴が広がり、我らごと学校を平らげた。
一瞬の暗闇を抜けたあと、眼前は朱塗りに塗りつぶされた。
柱だ。小さな家ならまるごと入りそうな巨木が、竹やぶのごとく林立している。
朱漆の光沢は払暁のそれ。無数の触手のような柱が作るのは、一つの魁偉なる羅生門であった。
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