13話 無貌の神

 いささか困難な状況にあるのは認めざるを得ない。吾輩は氷の大地を一猫歩んでいた。白い万年雪と、黒いナイフじみた岩塊が転がるだけの殺風景。山肌は氷に荒々しく削られて、鋸刃のような鋭さで雪すらも寄せ付けない。


 おそらくここに瑠璃絵はおらぬであろう。これも織り込んでいた可能性の一つであった。その中でも最悪のものであるが。


 山の中腹に、踊り場のような平たい張り出しがあった。そこだけ重力の法則が切り替わったかのように、乱雑に積まれた岩石が微動だにせず均衡を保っている。

 

 男はそこに座っていた。褐色の肌はそのまま。衣服は古代の王を思わせる丈の長いローブである。近侍の一人もいないのは、楽しみはいつでも独占したがる悪しき貪欲心がうずいたからか。

 装いを新たにしただけあって、口の端を上げてあざ笑うさまにも下品な部分はなく、礼法にかなった挙措としてやっているかのようである。



「猫ちゃああん。かわいいねえ。お前たちはいつでもかわいい。傲慢だが分限をわきまえ、孤高でありながらも寂しさを埋めようとしている。かわいい生き物だ。初めてお前たちを見た時からそう思っているよお。猫ちゃあああああん」


 男が姿勢を崩した。

 峻厳たる峰の連なりに何か意味を見出しているのか。ただ何となく眺めているだけか。男は手足を投げ出し、首を折れそうなほどにひねって、果てもなき山脈を観察している。

 こちらと会話もしたがっているようだが、興味があちらこちらに移り変わっているらしい。じつに楽しそうである。


「今回の騒動にお前は関係ないはずだ。吾輩は自身の下僕を探しに来ただけである。横から手を突っ込んでも面白くないはずだ」


「うんそう。それはそう。だからこれは君と話してるだけなんだよ。猫ちゃあん。君とはけっこう顔を合わせいるからね」


 勢いをつけずに、上半身を直角に曲げてこちらを向いた。瞳は破裂した水晶のように光を散乱させ、別宇宙の出来事にも視線を向けている。


「エジプトだったかな?あれは結構楽しかったかも。夢の国で君がまだ子猫だったときは?僕を見てはいないんだっけ?」


「何が目的だ」


「話をしたいんだよおおおおお。猫ちゃああああああんんんん」


 男の肉体が膨れ上がっていく。正確にはその細胞が。慎みなく肥大する肉は岩の塔を覆い、雪に触れると煙を噴き上げながら蒸発させる。



 ゼラチン状の細胞質の奥に、顔が浮かんでいた。ニンゲンのものもあれば、犬、トカゲ、蜂、狒々、鯨、地球外の残虐な知的生命、見たニンゲンの肉体を凍り付かせるおぞましき異なる神。ありとあらゆる化身が、六十兆の細胞のひとかけらにも例外なく嵌っている。

 顔、貌、かお、カオ貌面貌様相容姿形相———————。


 どれも痴愚たる蕃神をあざ笑い、宇宙の深淵にある白痴の魔王アザトースの慰めたる単調なメロディーの鼻歌を歌っていた。


 かつて猫を敬い、その力をもって栄華を極めた、ナイルの賜物たるエジプト。それを法外な奇術によって惑わし、より大きな力に酔わせた挙句破滅へと追いやった無貌の神。今や顔の削られたスフィンクスの残る封印された遺跡にしかその痕跡をのこしてはいないが、それゆえに這い寄る混沌ニャルラトホテプは猫たちの不倶戴天の敵なのである。


 今や山に根を張る氷河はことごとく融解し、異臭をはなつ熱湯の大河が大地を洗っている。ニャルラトホテプの身体はとうに山を超え、その頂上は宇宙の冷たさに接しようとしていた。


「あの子を助「僕は人間が好きだし猫も好き「人間は苦しむからね。苦しまない奴は何やってもダメなんだけた後どうするのか「僕もけっこう君たちにひどい目に会わせられてるわけでさ、ちょっとくらい意趣返しも悪くないだろ?なあああああ。猫はあんまり人間としゃべっちゃいけ「暇なんだよねないんだよね「あの女の子もおも「でもまだ早くな「タコに取られるよりマシじゃんい?しろそうえええ。悲しい「かっこよく決めたいな。結構前から準備してたんだしなああ、お別れかなああああああ」



 顔という顔が一斉に声を上げるものだから、まるで聞き取れない。ごうごうとした喧騒となって、空っぽな氷の世界を震わせるのみである。

 嘘はついていないであろう。この千なる異形は偽りを述べるより、真実を歪めて相手を誤解の中で破滅させることを好む。この地上の命運すらかかっている争いのさなかに、雑談しにきやがったのだ。


「もし瑠璃絵が呼び声に打ち勝ち、現世に戻ることができたなら、いっぱしの魔術師よりよほど偉大なことをやってのけたのだ。神秘家として十分やっていけるであろう。その時は吾輩、あれに猫と地上の支配権のことを含めたこの世の真理の一部を開陳してやってもよいとかんがえておる」



「おお、絆「猫ってすごいよな、やっぱり自分のこと地球の王だ「人間が自分を万物の霊長と言い出すよかましでしょって思ってるんだぜだ。しかし力を持つ者の末路ががどのようなものであるか。ハテグ・クラに上り神にまみえようとした「ランドルフカーターのあれは惜「天才過ぎてかわいそうな俺。蕃神のアホの知能全部持ってるから世の中の真理「ノーデンスの野郎あれはないだろあ「猫ちゃああんもひどい!信じてたのにれはしか言えない件しかった。哀れで滑稽な賢人バルザ「あれは草イの昔話は、ウル「年取ると抑制きかなくなるんだよね、人間はタールの猫には聞か「アタルくんって元気だっ「なんでうる☆やつ「ちげーよ馬鹿ら?け?まだせるまでもあるまい」


「そのような先を考える猫がどこにおるというのだ。猫は今しか考えぬ。あれが将来力におぼれ、ルルイエの力で地上をどうこうしようと図るのなら、そのときはそのときょ」



きゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっははきゃひややひゃふほほきゅふふがひほおおおっへへへふへへひかふふほほほししししししいしひひひひひひひふぁへへほひかはははああああはっはっはは



 ニャルラトホテプが笑う。吾輩の背中にひっついた月もつられて笑うので、うるさいことこの上ない。これは返品できないのであろうか。無理なのだろうな。


「それんならば行くがいい。あの娘にも、かつてお「もうすぐ決め台詞だぞ用「変なこと言ったらうけないかな意しろ前を可愛がった男に似「今どうなってるのかなカーター。年賀状出してみる?た力がある。神の心をも震「あいつら仕「ふつーにカスあんだ「そろそろ黙れよな事しろわせ「はいる景色を生み出す夢見の力が。さればその思い出の都が、海底に横たわる死者の神殿を塗りつぶせば、引洲町の山と海のはざまに戻ることもできよう。願わくはその技をほしいままに振るい、白痴なるわが支配者の玉座に転がり込まんことを。そなたもあの娘が千なる異形たるわれと、這い寄る混沌ニャルラトホテプと再び出会わぬことを宇宙に祈るがよい。「「「「「さらばだ。ウルタールの猫」


 六十兆の貌は泡がはじけるようにして消えていき、沸騰する粘液の残りも大地の隙間へと滑り入って姿を消す。

 その後を追ってみれば、地殻を突き抜けて大海をささえる板底に続きそうな深い洞窟があった。ここは案内に従うのが早道と判断して、吾輩は洞窟の中に粘液と同じように体を滑り込ませる。

 

 氷河に削られた跡も痛々しい山肌には、再びゆっくりと雪が積もるのであろう。

 かつてここに住んだ人ならざる者どもが積み上げた岩の祭壇のみは、霜さえ寄り付くことなく、いつまでも貌も名前も忘れられた混沌なる神に向けて祈りをささげるのである。

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