12話 赤虫市

 教育というのは、物覚えの悪いニンゲンにとって重要な事業であるから、その施設は大規模なものが多い。その中でも特に大きなものを、さらに集約したのが学園都市である。


 赤虫市は国家の指定も受けた隠れもなき学園都市で、理工学を中心としながらも、幅広い分野の研究を進めている。

 そして猫といえば知性の塊であるから、猫はこの都市では特に崇敬されている(猫調べ)。




 しかし今の赤虫市の最大の特徴といえば、今がだということだ。


 街中はちょうど昼休みの時間帯であり、学生たちはベンチに座って昼飯をかきこみ、若さが消費するエネルギーの補充に努めている。

 暇なものは思い思いの娯楽に精を出し、板切れをいじったり麻雀牌を並べたりと、充実した学園生活を送っているようであった。


 吾輩たちがのんびり漫遊して、とてつもなく遅刻したわけではない。今は日付が変わってすぐである。

 赤虫市は引州町からそれなりの距離にあるが、車を走らせれば一時間といったところである。いまだ夜は深まっていないとおかしい。

 トラックの運転手も時間を無視して黄道を駆け上った太陽に困惑しきりであった。


「え〜?どゆこと?俺寝坊したの?二時間トラック転がしただけなのに?」


「ああ大丈夫ですよ運転手さん。僕はここの学生なんですが全然問題ないって分かるんです。だから荷物をおろしてご飯でも食べたらいいんじゃないかな」


「あ、そうなの。いやーありがとなお兄ちゃん」


「いえいえどういたしまして。あ、猫ちゃんたちも出てきていいよ。僕は猫とかに理解あるリベラル派の学生だからね」


 本当にげんなりする。仲間たちもこの緊急時によしてほしいと渋面だ。

 なんであやつは顔を突っ込むのはともかく二つも三つも出てくるのか。きちんと自分自身と相談しあえているのであろうか。

 できないのだろう。狂神だから。


 顔が多すぎて自分がなんの化身か分かっていないときさえあろう。今は刺激したくない。

 運転手は支離滅裂な説明に納得して仕事に戻ったので、赤虫市のどこにでもある道路横には我々だけが立っている。


「関心だねえ。人間の女の子?猫ちゃんたちと一緒にこんなところまで来るなんて本当に偉い娘だ」


「は、はい」


 瑠璃絵は腰が引けている。男の持つ言いようのない不安定な存在感はもとより、単純に一般の少女だと怯えてもおかしくない見た目であった。

 ジーパンにジャケットという今風な装いで、褐色の肌は日の光を存分に吸収して健康的。身長は高く脚は長く、いわゆるモデル体形とかいうやつである。

 小脇に本を抱えているのは、遊び人ふうであるがやることはきちんとやっている有能な学生の演出らしい。ただ教科書に書いてある文字は、日本語でも英語でもないねじれた象形文字である。

 暇つぶしにニンゲンに見せて発狂させたりしているのであろう。


「僕は月臓朋つきぞうともといいます。よろしくね」


 水恵崎家に変な教育をほどこしたのはこやつらしい。ということは最低数十年はここで学生をやっているということか。迷惑この上ない。


「あの、ここが夜なのに真昼なのは、加藤先生のせいですか?それともあなたがやったことですか?」


 瑠璃絵がずばりと切り込んだ。ニンゲンの子供らしい遠慮の無さである。正直これだけでも持ってきたかいがあったと思えた。

 月臓は整った骨格を台無しにする下卑た笑みを浮かべ、嬉々として少女に語る。


「半々ってところじゃあないかなあああ。まずこの現象を起こしたのは僕の機械だよ。見たことあるかな。大っきな鍵穴がど真ん中に付いてるやつ」


 嫌というほど覚えがあった。


「学校に取り付けてあったな。引州町内にまだいくつか置いてあるであろうよ」


「そうだねえ。けっこう複雑な作用を引き起こすものだから、あの町を囲むには四つか五つは据え付けておかなきゃねえ」


「それが赤虫市にもあるんですか?」


 瑠璃絵の問いに月臓は頷く。


「うん。ここのは星辰の配置を捻じ曲げるなんて無茶はしていないし、時間を固定してループさせるくらいなら、一つで十分だろうね」


「そんなすごい機械、なんであげたんですか?」


「ん?いやあげてないよ。盗まれちった!あはは!いやーやられちゃってねー」


 このどうしようもない阿呆をどうにかしてフォーマルハウトの無限の炎の焚き付けにしてやりたいが、ぐっとこらえる。


「ま、おかげでこの町の猫ちゃんは外にも出れず、元凶の機械を必死こいて探しているところさ。頑張る猫ちゃんもかわいい!」


 ぶっ飛ばしてやろうか。


「とりあえず相手にはしないでおきましょう。赤虫市の猫も全力で捜索しているはず。それで見つからないとなれば、かなり厳重に隠されているはず」


「数だけ増やしても邪魔なだけであるな」


「ええ。というわけでニンゲンの出番よ」


「……わたし!?」


「いいねええええ。僕夢のことに詳しい猫ちゃんも知ってるよ。そうと決まればさあ行こうすぐ行こう。あ、その月持ちにくそうだね。小さくしてあげよう」


 吾輩が背中にのせていた嗤う月をつまむと、月臓はそれを口に放り込んで咀嚼し始める。


ぎゃははははふっふっほほほけへへへへかっかっっかっか

 

 噛み砕かれても平然と嗤っている月を噛み潰して、べっ、と手に吐き出す。唾液でぬらぬらと光る、肉球大のまん丸い月が張り付いていた。毛並みが粘液でべとつく。


「ほら、これを使いなさい。役立つこともあるでしょう」


 永遠に万物を馬鹿にしつづけると、こうも殺意を湧かせるのが上手になるのか。どうにかしてこいつだけ殺したい。

 というかなぜこちら側に肩入れするのか。機械を盗まれた程度で怒ったりするなら分かりやすいのだが。

 猫たちの疑念と殺気を受けながらも、月臓は寄り道もなく我らを赤虫市の猫のところまで連れてきた。


 カビの臭いと無数の書籍に囲まれた部屋で、青っぽい毛の痩せ猫が出迎える。

 彼も月臓のことは迷惑に思っているようであったが、やむを得ず使用しているようであった。


「引州町の方々。遠路はるばるお越しいただいたにも関わらず、我が市ときたらこの有り様でございまして……。お恥ずかしい限りです」


「それはこちらも同じこと。引州町と我が領地を魔術師のほしいままにせざるを得なかったのは痛恨の極みである。しかし恥はどうあれ、それをすすぐためにできることはまだあるはずだ」


 司書と名乗ったその猫は、長い間赤虫市の地下書庫を渡り歩き、ネズミ捕りを趣味にしていたそうである。

 ある時、試しに本を読んでみてその面白さに驚く。そのままネズミ捕りもほったらかしにして、肉がすっかり落ちるまで勉強の毎日。

 結果として精神医学や神秘学、学問の俎上にも載せられぬ外典の術技にいたるまで修めたらしい。


「なるほど、ニンゲンを使って機械の所在を明らかにすると。確かに夢見の力が強いニンゲンは、時には猫の夢よりも深く壮大な景色を見ることがありますからな」


「そ、そうなの?わたしってすごい?ウル太」


「才能はあるが、喜ぶべきではないな。夢見の力はおおよそ厄いことしか呼び込まぬものであるからして」


「うう、ウル太が冷たい。いっつも撫でてあげてるのに」


「あれは毛が抜けて痛いのである」


「え゛」


 流れで言ってみたが、天地がひっくり返ったような驚愕に震えておる。ニンゲンが急に魚に変化する場面を目撃したというのに、なぜにまだこんなことで驚けるのか。

 死にかけのセミのように振動する瑠璃絵を、司書は上から下から観察する。


「なるほど。これならば自動筆記で敵の目論見まで暴くことができますでしょう。紙とペンを用意いたします」


 どこがお眼鏡にかなったかは知らぬが、通用しそうであるらしい。人型ハニワになっておる瑠璃絵を適当な椅子に座らせる。

 月臓も長い脚を組んでパイプ椅子に座った。帰れ。


「はいはい用意ができました。なぜだか呆然自失なっておられるようですので、これならすぐに催眠状態に移れるでしょう」


「便利なニンゲンだぜ」


 福袋が反対していた身で現金なことを言う。主人たる吾輩の所有ニンゲンに対して、そのような肉球返しは謹んでもらいたいものだ。


 黒檀のテーブルに、古い和紙と羽ペン。食い合わせがわるそうであるが、こういうのは古さと雰囲気が重要であるらしい。

 司書はむにゃむにゃと低めの猫なで声を発しつつ、瑠璃絵の耳の周りを歩き回る。瑠璃絵の目がとろんとしてくると、軽く持っていたペンが心電図のようなジグザグ線を描き出した。


 器用なものである。夢と現の間の状態を、どちらかに片寄りすぎず維持するのもそうだし、あのペンを持つという仕草も、我ら猫にはできないことである。

 猫からすれば爪で引っかけばいいだけのことであるが、それではあのようにきれいな曲線などは表現できない。このあたりは雑事を任される奉仕種族の得意とするところであった。


 線は波から直線になり、無数の真っ直ぐな線がばらばらに重なり合う。


「ふむん。図面か見取り図のたぐいであろうか」


「だとしたらかなりデケえし、それに複雑だな」


 吾輩と福袋は、信じてもいない予想をのべてみる。

 こういう考察は苦手である。通り一遍のことしか言えない。ただ大きな家に隠しているのなら、とっくにどこかの猫が発見しているはずである。


 月臓は性根の腐った臭いが漂ってきそうな笑みを浮かべて、こちらを黙って見ていた。

 どうせ質問なぞしようものなら、間違ってはいないが最悪の方向に突き進む答えを差し出してくるに決まっている。さりとて無視すれば隙をついて襲いかかってくるのだからどうしようもない。

 何をしに来てるのだかさっぱりであるが、嫌がらせのためだけに来てもおかしくない奴なのだ。


 重なりすぎて真っ黒になった紙を見て、ラブ女史がぽんと机を叩く。


「これ四次元構造じゃない?」


「なんと。ああ!そうでありましたか!それなら時間を固定しているのも納得だ。つまり今の時間に機械は存在しないと」


 吾輩と福袋も顔を並べて紙をのぞき込む。言われてみれば線が重なり過ぎである。時間経過での変化も紙に書いているとすれば、街中をしらみつぶしにしても機械が見つからないことにも説明がつく。

 つまり機械は過去か未来かのどちらかに存在するのだ。


「さっそく時間を跳躍できるものに、ここ数日間の街中を捜索させましょう。破壊さえできればこっちのものです」


 頭脳労働担当なだけあって、ラブ女史は見事な働きぶりであった。赤虫市の猫なら機械の攻略も可能であろう。このまま援軍の都合がつけば逆転大勝利である。


「わー、でっかいお城が空を飛んでる〜」


 瑠璃絵はトリップが過ぎたのか、ドリームランドあたりの幻覚を見ているらしい。普通は催眠術にかかった程度で見られるものではないのだが。

 悲しいかな、才能だけは有り余っているようであった。今ごろは地球で失われて久しい天蓋建築の粋を眺めていることであろう。



「船も飛んでるよー。ぴっかぴかな塔がいっぱい建ってる。お船が空と海を行ったり来たりしてる。海の底に石でできたわたしたちの来た場所が見える」


「ん?」


「いけない!別の場所に引き寄せられている!」


 今まで一定であったペンの擦過音が急に大きくなり、紙は破れて瑠璃絵は水底に沈んだ都市の主神、大いなるクトゥルフの印を机に刻んで消えた。


「なんだと!?」


「いえ、ありえない!機械の助けで星辰が揃ったにせよ、それは引州町の中のことでのはず!」


えげげおひょひょひょふひあかあっかかっかかっかかかか


 騒然とするしかない我らを、吾輩に張り付けられた小さな月が笑っている。これぞ我が世の春とばかりに。ふと部屋を見回すと、月臓はホコリ一つたたせずに消えうせていた。


「くそ!あやつめ、これを見るためだけにやってきたのか!」


 総身の毛が逆立つ。怒りは燃え立つが、これは吾輩の驕りへの怒りである。

 あまりにも敵の、ニンゲンの魔術師の方を向きすぎていた。邪神の大いなる力を侮っていたのだ。世界に針孔ほどの隙間が空けば、ニンゲン一匹連れ去ることなど訳はなかったのだ。

 眠ってはいても神は神。瑠璃絵はすでに遠くにまで持ち去られている。



「どうする片倉の。いや取り戻さなきゃならんのはわかるが、手間がかかるぞ」


 福袋も声を低める。かなりの確率で、手遅れになっていると、その不機嫌そうな態度が語っていた。


 取り戻さねばならない。それは猫情からいって当たり前である。だが吾輩はこれを否定すべきなのであろう。間に合わぬと思っていたものが間に合わなかった。それだけのことに過ぎないのであるから。

 生まれた時から見ていたが、危なっかしいニンゲンであった。生まれの業に左右されぬように、主人として守りはしたが、それがどれだけあれのためになったのやら。

 こういう思い悩みは猫らしいふるまいからかけ離れたものだ。吾輩の最初の下僕は、繊細でよく煩悶するやつであったので、そのあたりの癖がうつったのかもしれぬ。


 悪運に恵まれたオスであった。かの蕃神のもの邪悪なる全権大使にして魂に目を付けられ、それでも正気のままかえってこれたのであるから。




 その時、吾輩の頭脳にひらめいた発想は、無謀を煮詰めたような蛮勇の戦略であった。しかし崩壊しつつある引州町を救うための、最も強力な一手である。




「吾輩が行く。連れはいらぬ」


「どうする気?いくらあなたでも、完全にルルイエに取り込まれたニンゲンをどうにかするなんて」


「まだ瑠璃絵は抗っておる。それは間違いないのである。でなければいきなり消えたりせず、吾輩らに置き土産の呪いでもまき散らしておったはずだ」


「それは、分かるけれど。でもどうやって助けるというの?」


「助けるのではない。あれに呼び声を打倒させる」


 もはや猫しかいなくなった地下書庫に、困惑が渦巻く。正気を失ったとみられても無理はない。しかしこれが成功するなら、瑠璃絵は勝利の鍵となり得る。


「諸君らも知ってはいるであろう。ニンゲンのもつ夢見の力の源泉を。それすなわち郷愁である」


 か弱きゆえに、酷苦して現実に抗する力を持たぬがゆえに、ニンゲンは夢に逃げ場を見出す。それは彼らのタマシイの故郷であるのだ。


「今の瑠璃絵は大いなるクトゥルフの呼び声に引かれ、その肉体の故郷へと落下していることであろう。だがその力は、あれ自身が思う己が古里へ帰還するための力にも変換し得るはずだ」


「理屈はそうだろうけどよ。だからってその力の行く道を切り替えてどうするってんだ?」


 福袋はまだいぶかし気だ。吾輩はこの戦略を一息で説明する。


「瑠璃絵の家は引州町にある。あれは夢の中からそこに道をつなげることができるのだ」


「まさかあなた、あの子の夢から猫の軍勢を、引州町に跳躍させようってわけ?」


「いかにも」


 引州町はすでにこの赤虫市よりも厳重な結界が敷かれておるはずだ。そうでなくともあの異常な時空。跳躍でたどり着けるとは思えない。

 しかし道があれば。大いなるクトゥルフの力さえ乗せた、帰還の道筋があれば、トラックなどに乗らずとも一瞬で引州町に出現することができる。


「それなら夜明けを待たずに敵陣へ本隊をぶつけられるってわけかい。だがなんでまた一猫で行くんだ。楽な戦いにはならないだろうがよ」 


「だからこそである。成功率は低い。道連れを増やして戦力をあたら犬死にさせる気はないのである。猫だから」


「こいつは昔から言おうとはしてたんだけどよ、お前のその猫ギャグあんまりおもしろくねーぞ」


 そんな馬鹿な。

 自失しかけた吾輩であったが、ラブ女史の落ち着いた声に引き戻される。


「分かったわ。どちらにせよ、一度決断した猫を引き留めるのも無駄でしょう。やってみるといい」


 ラブ女史は吾輩に顔を擦り付けた。


「けれど、あなたも引州町の猫の軍勢では顔役の一猫なのを忘れないで。必ず帰ってきなさい」


「了解したのである」


 吾輩は瑠璃絵の匂いをたどり、書庫の隅に捨て置いてあった壊れた柱時計の中に入る。世界は地下から切り替わり、吾輩は再び夢の国へと下っていくのだった。

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