11話 同行

 べしべしべし。叩く。びしべしばし。肉球で瑠璃絵の頬を叩く。しかし反応がない。

 深い眠りというには深すぎる。眠るにも力が必要なのだ。ニンゲンの睡眠力を超えていた。


 ここは団地の一室、水恵崎家の外れの予備の寝室らしい。さすがに家族が集まる司令部に入れる気はないようであった。その用心はむしろ好ましい。こちらは寝れさえすればよいのだ。寝過ぎてもらっても困るが。


「おい片倉!大丈夫かよ!」


 水恵崎陽がうるさい。が、今は騒音もいるのでそのままにしておく。三日寝てないニンゲンでもそろそろ起きそうなものだが、まぶたの反射さえ見られない。


うふふへへへへひひひほーほほーほほほほ


 月がまだ笑っている。背中に貼り付けていたのだが、ぶっ叩けば治るかと試しに地面に叩きつけてみた。


ぐぎぎぎへへへはしゃはははふひふへふへ


 やっぱり無駄なようだ。もう面倒くさい。表情を変えない瑠璃絵の顔に、湿布のように月を貼り付ける。毒を以て毒を制すである。


「んぐぐ、うぐぐぐ、ぶひゃあ!」


 とうとう起きた。まったく手のかかる下僕である。吾輩は嗤う月をくわえると、自身の寝床に戻ることにした。


「うーん。あれ、わたし夢見てたんだけど、どうなったの?」


「何言ってんだよ。お前何度も叫びながら飛び起きたかと思ったら、今度は全然起きなくなるし。やっぱり病院行ったほうがいいんじゃないか?」


「どこの病院が開いてるの?」


 どちらももっともなことを言って、互いに押し黙る。


 瑠璃絵は間に合わないかもしれぬ。

 夢見る者としての才能と、幼いゆえの純粋さでもってはいるが、あの変異の速度と魔術師加藤が操作していた機械。歯車がもう少し深く噛み合えばあっという間だ。


 考えても仕方ないことである。ニンゲンは変化しやすい。精神も肉体も。戦いがあれば財産の移動は必然として起こるものだ。

 この娘も、あるいはその血の要請に応えても幸せになれるかもしれぬ。それを責めはすまい。


 日は完全に落ちていた。それは大地の陰になのか、宇宙の闇の底になのかは分からぬ。

 とりあえず月が上がり切るまでは待つことにする。ここは町の境。引州町の猫で足りぬならさらなる援軍がいる。自然こちらの方へ仲間たちも来るであろう。



 はたして月が南中間近にさしかかる頃、天井を穿ちぬいた灯りとりの窓に、猫足模様がいくつもついた。


「用意はいい?ウル太さん」


「睡眠はばっちりである」


 ラブ女史は水浴びをしてまですっかり汚れをとったようであった。その美容に対する意地は尊敬に値する。いくら汚れていても水浴びとは。


 瑠璃絵は今度こそまともに寝ているようであった。なぜか水恵崎陽もとなりで惰眠をかっ食らっておるが、まあよかろう。


 片倉家にもずいぶんと長居した。猫はたいてい一回の寿命が尽きるとき、要は死ぬときに家を変えて心機一転するのが基本である。

 とはいえ居心地悪ければ、点々と住みかを変えるのもまた猫の自由。猫が家を決める。中にいるニンゲンも含めてだ。


 片倉家はよかった。ソファーは寝転がるのにちょうどいい。食事はうまいし、料理人は健康のことも考えられる優秀なニンゲンだった。

 引州町は仕事が多すぎるきらいがあるが、まあ許容範囲である。総合してみても、歴代で上位に入る家であった。瑠璃絵に猫の正しい撫で方を教授指定やれなかったのは残念である。


 過去を思い返すなど猫らしくもないことをした。しかしたまにらしくないことをするのも、また貴種たるものの自由である。



「それでは行くとしよう」


「あら?その子は起こさないの?連れて行くのかと思ったのだけれど」


「はにゃん?」


 メスごころというのは難しい。猫は気ままであるから、倍率は何倍であろうか。いきなり意味不明なことを言われて返す言葉を失った。


「何言ってんだラブよお。ニンゲンなんか連れたって荷物にしかならねえだろ。いや荷物はうるさくねえから荷物よりまずい」


 福袋とは反りが合わないこともあるが、ここは全面同意であった。そういう根が真面目なところは好感度が高い部分である。


「んー、だってねえ。今のところ私たちはわけでしょう?猫の大らかな部分が悪い方に出てるわねえ」


 ラブ女史の発言に、吾輩と福袋は渋面を作るが、この評価は正しい。今のところニンゲンらしい無謀ともいえる積極策に押され気味である。


「だからってニンゲンを持っていく理由にゃならねえだろ」


「ちっちゃいから持ち運びは楽でしょう?それにその子には夢見人の素養があるわ。だからこそ変異もせずに生き残ってる」


「それも長くは持たぬであろう」


「ええ。このままならね。ウル太さん。自分の下僕を見捨てるのも寝覚めが悪くなくって?」


 ラブ女史が微笑む。困ったことである。確かに領主としてのつとめは果たしたいが、今の吾輩にはより大きな義務があるのだ。

 この娘に多少の才能があったところで、戦いでものになるとは思えぬ。


「吾輩も戦士である。優先順位の分別くらいはつくのだ」


「順位。そうね。例えば身の軽さで順位をつければ、生き物の中でニンゲンは下の下でしょう。でもニンゲンはほとんどの分野で猫に劣るけれど、彼らだけが持つ大きな力もあるわ」


「夢見であるか。しかしニンゲンのそれは不確定要素が多すぎるのである」


「だからこそ猫は彼らを守ってきた。その資源を、今こそ使うべき時じゃなくって?」


 時間がない。夜明け前に援軍を呼べねば、ニンゲンの軍も事変を察知する。そうなれば不器用なニンゲンのこと、勝敗に関係なく町は壊滅である。

 月が空の頂点から転げ落ちるまでに決めねばなるまい。


 瑠璃絵の幼い寝顔を見つめる。月が古時計の時針じみて、ゆっくり光を回転させた。

 まぶたの裏で視線が合ったのか。瑠璃絵が目を開けた。


「ウル太あ。もう起きたの?変に早起き。やっぱりしゃべったりするから」


 吾輩ひらめいた。だいいち自分で決める意味もないではないか。連れて行くのなら、本人にやる気がなければ何をしても無駄である。


「今決めるがいい。ここで待つか、我らと征くか」


「ええ〜?ウル太がいくならわたしもいくけどー」


「決まりである」


「決定ね」


「しょうがねえな。おい!おめえら!こいつを持ち上げろい!」


 福袋の号令のもと、力自慢の騎士たちが組み合って、上にははしご、下には階段を作る。


「えー、なにこれふわふわ〜」


 ぐいぐい天窓代わりの穴に引きあげる。瑠璃絵はにやつきながらされるがままである。

 間抜けすぎる。本当に役立つんであろうか。



「それで、援軍を呼ぶのは誰になる?少数精鋭以外になさそうであるが」


「わたしたち三猫と、部下がいればその子たちでいいでしょう。スピード優先ならそのくらいがちょうどいいわ」


「よし。とりあえずアシを用意しねえとな。ほれ行くぞ!ニンゲンの小娘!」


 福袋が瑠璃絵の芦のすそを思い切り引っ張る。予想もしない力で引きずられて、カカシのように無抵抗に回転した。

 

「ほわあっ?」


「やれやれ」


「あら早まったかしら」


 しかたなく頭を打つ前に背中を支えて、福袋と一緒に運んでやる。主人を足代わりとは、大した下っ端もいたものだ。

 そのまま十猫と少しで瑠璃絵の細い体を固めると、一つの生き物のように団地の上部から飛び降りる。


「ひえええええええ!!??なになになに!?」


 獣道を抜けると、すでに町の境界を越えていた。後ろ側の地獄絵図など知らずに、山道を走る車は遠くの町と町をつなぐ。

 谷間を走る大型トラックの中で、貨物が柔らかそうなのを選んで飛び降りる。音もなくといきたいところだが、荷物の分だけぼふんとほろが跳ねた。

 とはいえ貨物自動車のエンジン音を貫通するような勢いではない。荷台に入ってぬくぬくと風をよけることにする。


 瑠璃絵はまだ目を回していた。


「はわわ。夢?ちょっと近年まれに見るアクションかも」


「夢ではない。このまま赤虫あかむし市へ行くのである。揺れるからぶつけないように」


「え?え?」


「援軍を呼ぶのよ。しっかりしてねあなたもうすぐ死んじゃうかもしれないから」


げははあははははああああはははきゃほはほほ


「その月うるせえな。捨ててこいよ」


「そうもいかんのである。ほっておいたら何をしでかすのか想像もつかん」


 にぎやかだなあ、とどこかの猫がのんびり言った。まことに、どやつもこやつも騒がしい同行者たちである。





 

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