9話 要塞

 大雑把に跳んだので、まずは現状を把握するのにつとめる。いたのは屋根の上であった。とりあえず瑠璃絵の近くに跳躍したはずであるが、見覚えのない家ばかり並んでいる。

 

 しかし山の方向を見て、自身の位置をおおよそ理解できた。

 山肌に張り付く段々畑のように、灰色の直方体が斜めに積みあがっている。あれはニンゲンの巣の中でも蜂の巣のように効率を重視した、団地というものであったはずだ。奇観とでも言うべきその建築は遠くからでもよく目立ったので、吾輩は今、引州町の境にある山の懐にいると分かったわけである。


 屋根のてっぺんからスフィンクス像のごとくあたりを睥睨へいげいしてみれば、はたして瑠璃絵が自転車で疾走している。運転手は見慣れぬオスの子供であるが、知り合いであろうか。

 行く道は平らかではない。次々に戸口や物陰からねばついた肌の両生類とも魚類ともつかぬ胡乱な奴らが首をもたげてくる。動きが鈍いので逃げられはするが、右へ左へ、逃げてるほうは忙しそうだ。

 二人乗りでよく疲れないものである。オスのほうは見た目はやせぎすだが、案外鍛えているらしい。


 目指すのは山の団地らしいが、このままではいつまでたってもふらふらしているだけであろう。手伝ってやることにする。

 屋根から屋根へ飛び移ると、自転車の進路をふさぐ深き者どもの一体の頭の上に着地。ついでに爪で喉元を切り開いてやる。


「う、わ!猫!?」


「ウル太!」


 主と下僕の感動の再会。瑠璃絵の胸に飛び込んでやると、小娘は涙を流して喜んでいる。相変わらず撫で方が雑でちょっと痛いが、主人たるもの下僕の心根もくんでやるのが度量というもの。


「ウル太、探したんだよ!本当に。無事でよかった」


「いや今そいつ!魚人間殺したよね!?化け猫じゃないのか!?」


 無粋な茶々入れをするオスの子供。というか本当に誰だ。


「失礼ね!ウル太はいい猫よ!化け猫だとしてもいい化け猫!それをいうなら水恵崎のほうが化け物の顔でしょ!」


「だからもう違うじゃん!うえっ綿がのどに入っちゃった」


 オスの子供がぺっぺと唾を飛ばすと、いっしょに綿のくずが飛ぶ。顔をぬぐうと厚い化粧が服についた。あれほどべたべた塗り付けたら、脂ぎってしょうがないだろう。

 それに水恵崎といえば、あの学校で瑠璃絵と一緒にいたいじめられっ子ではなかったか。魔術師加藤の魔の手から寸前で逃れたのであるから、ともに行動しているのは全くおかしなことではないが、顔の形が完全に違う。


 綿を入れて扁平にしていた顔はすっと通り、声も出しやすそうだ。あばたは塊になるほどのおしろいで作っていたのか、汗ですっかり剥げている。これでは激しい運動をすればすぐ台無しになる。普段の動きが鈍かったのはそのためであろう。

 化粧というよりは完全に変装だ。ひょっとして深き者どもに似せていたのであろうか。


「だいたいなんでそんな化粧なんてしてるのよ!バカじゃないの!?」


「隠れるためだって。何度も言ったじゃん。うちは爺さんが鉄道員で、こっちに引っ越してきたんだよ。それで父さんが子供のころにここはおかしいって気づいて、そのままあいつらのふりさ」


「頭おかしいんじゃないの?そもそも全然似てないでしょ!」


「いやけっこう近いだろ?だって今まで疑われながらも騙せてたわけだし」


「いーや全然似てない。本当に騙せてたの?そうだとしたらみんなバカでしょ。でなけりゃ節穴」


 これはまったくその通りである。まさかあれで変装のつもりであったとは。似てなさ過ぎてそういう別の生き物化と勘違いしていた。

 別種族の区別はつきづらいとしても、猿と魚の違いは間違えるはずもない。しかし魚の真似をする猿など見たこともなかったゆえ、そもそもなにをしているのかわからなかったのだ。


 とはいえ祖父の代からこのような奇習をやっているという。それならばあの山の上の団地をねぐらにしている理由もおのずからわかるというものだ。

 なにやらののしりあいを続けるニンゲン二匹を尻目に、吾輩は寄ってくる半魚人どもへにらみを利かせることにした。





 団地というのは場所にもよるが、住むニンゲンが減り続けているらしい。理由は生活習慣が変わったりだとか、単純に古くなって居心地が悪くなったといったところか。こんな山の上の、登るだけで一仕事になりそうな団地では、なおさらニンゲンはいつかないであろう。

 だからこそ改造してもばれにくいとはいえ、少々やりすぎのように見えた。


 人のいない廊下は例外なくバリケードでふさがれ、有刺鉄線で結束されている。壁には銃眼のような穴が開き、廊下の敵が多ければここで処理するらしかった。

 どうもまだ住みやすい下界のほうに住民が集中しているために、最上階付近は治外法権になっているようである。

 数少ない住人の中には変異したものもいたであろうが、先んじて扉をくぎ付けにして封印してある。その材料もあらかじめ用意していたのであれば、これは偏執狂といってさしつかえあるまい。


「……本当に頭おかしいんじゃないの?」


「生き残るためだよ。家族は上で待ってると思う」


 ニンゲンのいう正気というのは、どれだけ社会と密接に関わっているかという指標である。この世に絶対的な意味での正しい気の持ちようなどあり得ぬことを我々は知っている。

 つまり黙々と世界の終末に備えて、営々と外界から隔離された要塞を築くというのは正気を失った行為であることに間違いない。


 階段を上がり、階を経るごとに物々しさは増していった。外からの明かりは絶命した腕から滴る血のごとく、赤黒く暗くなっている。地球そのものが深海へと沈没していくかのようだった。


 星の位置は刻々と変化している。あの魔術師が披露した機械の作用が働いているのであろう。どうにもあれを攻略せぬことには、この事件は解決の目を見ることはなさそうだった。

 かかればたちまち頭蓋を砕き背骨を断ちそうな罠が点々と設置されている。瑠璃絵もこんな狂気の巣窟に案内されたことを後悔したのか、吾輩を抱きしめて離さない。

 しかしここのニンゲンの悪意が、外のものに向けられているのは間違いないことであるから、身内と見られている間は大丈夫だろう。吾輩も瑠璃絵を預ける場所が欲しい。このままではおちおち戦場にも向かえない。


 ついに最上階にたどり着くと、今までとは雰囲気を異にした明るい空間に出る。上に穴があって光を取り入れ、電灯もLEDである。

 深き者どもは夜目がきくから、暗闇に隠れるより視界を良好に保つ方が大事ということであろう。


 部屋をいくつか借りたあげくに壁に穴をあけ、ちょっとした迷宮風味にしているようだった。面積はあるものの、強度を心配してか部屋をつなぐ穴は小さい。飾り気もないので、明るい洞窟のような圧迫感があった。


「……ちょっと探検したいかも」


「気持ちは分かるけど、ほんとに即死トラップがあるから下手なことはするなよ。今から家に入れるから……」


”そこまででいい”


 天井の隅から声がする。瑠璃絵が声の方向を見ると、そこにはメガホン型の古いスピーカーがあった。

 吾輩はすでに気づいていたし、何ならここにくるまでに設置してあった小型カメラの数を数えてもよかったが、面倒なのでやらない。この要塞の指揮官はこれ以上の部外者の立ち入りを容認しないようであった。

 

よう。こっちから行くから、しばらくそこで待っていなさい”


 陽というのがこやつの名前らしい。普通だ。特に言うこともない。


「なんかフツーね。もっと面白い名前かと思ってた」


「うるさいな。というか人の名前くらい覚えとけよ」


 奥から鉄扉が開く音が近づいてくる。いったい何枚あるのか。防御するにしても単純な鉄壁では面白くないではないか。

 近ごろのニンゲンは余裕がないので、何を建てるにも作るにも装飾が足りない。多少凸凹が無いと爪とぎのしがいがないし、暇つぶしに噛むものがなくて口寂しいというのに。

 

 ついに最後の扉、すなわち我々のいる部屋に通じる扉が開く。

 開け口が小さいので身を屈めながら出てきた男は、なかなか立派な体格をしていた。手には日本国らしからぬ散弾銃。上下二連発式だった。水恵崎陽の父親であろう。

 男はずいぶん険しい顔をして、息子と何より瑠璃絵を睨んでいた。


「陽。なぜ引州町の住人をよんだ」


 男は冷静に尋ねたが、だからこそ非難の強さが色濃く浮き出る。


「えっと、この子は大丈夫そうだったし。危ないところだったから」


「そんなことで油断したのか。この町がどういうところか、教えたはずだろう」


 自分の故郷を面前でけなされ、瑠璃絵は鼻白むが、反論はしなかった。

 この親なら息子が学校でどんな扱いを受けたかくらいは知っているはずだ。町の住人を嫌うのも故なきことではない。


 黙り込んだ息子をそれ以上追求しないようで、水恵崎父はこっちに矛先を向ける。銃口は下がったままだが、振り上げればちょうど吾輩と瑠璃絵に二連発の散弾を撃ち込める角度である。

 

「来てもらったのに歓迎できないのは謝罪しよう。だが出ていってくれ。ここには家族以外入れる気はない」


 この惨状のさなかでは実に真っ当な態度である。しかし気づいているのであろうか。その姿勢こそ外のものを排除し、己らの世界のため他者を傷つけることを厭わない、異界の者どものあり方そのものであると。

 まあ瑠璃絵を助けてもらった借りもあるし、この家を作るのを助けた勢力の当たりはついている。アドバイスをくれてやることくらいはしてやろう。それでだめならあの千なる異形が笑うだけである。


「まあ待てニンゲン。今のお主は良くないものに誘導されておるぞ」


 久しぶりに操る人語は違和感があるが、発音に問題はないはずだ。

 しかし不敬なことに水恵崎父は吾輩に照準し、瑠璃絵と陽とやらは化け物を見るように猫を見る。そのような教育はしていないのであるが。


「ウル太がしゃべったあああああああ!!??」


 瑠璃絵の絶叫で耳が遠くなる。まずそこから説明するとなると、説得は長引きそうであった。

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