8話 金の鍵
空中で身をよじって着地する。我ら猫の空中機動はニンゲンの憧れであり、宇宙飛行士が無重力で活動する際の参考にもなった。猫は知るニンゲンぞ知る宇宙的種族なのである。
かつて南の果て、レンの大地に棲んだ古の者どもも、宇宙の膨張エネルギーたるエーテルの風に乗って、数万数億光年の距離を渡ったという。文明の退化と共に力も失ったらしいが。
支配種族たるもの生身で星間移動くらいできねば格好がつかないということである。
ニンゲンは身体虚弱ゆえ、そのような大技は望むべくもないが、道具の扱いにはだからこそ長けている。メス教師、たぶん瑠璃絵の担任とやらの魔術師が使った魔導具も、なかなかの代物であった。
黄金の鍵であった。今のニンゲンが使う味気ないものではない。ざっと20センチはある。
細かく彫り込まれた紋様には覚えがあった。しかしあれは、はるか昔に一人の男が時間の迷路に持ち去って消え失せたはず。それに色が違う。
「かの銀の鍵のまがい物か」
『いかにも。もっとも、あの時空の神秘さえも超越する窮極の鍵とは比べるべくもないハリボテだけれど。私の実力ではこんなものしか造れなかったわ』
メス魔術師は金の鍵を持ち替えながら猫語で話す。外から見ればにゃんにゃんぎゃおぎゃおふしゃーふしゃーとお互いに言い合って、あまり緊張感を保てぬ空間となっていよう。
猫語は非常に優雅かつ繊細な言語であるから、鉄火場で用いるには向かないのである。
しかし、銀の鍵とは星と塵の差とはいえ、破壊力はなかなかのものだ。学校の上四半分が、ナタで雑に払った枝のようにバラバラになっている。真っ赤な空がやけに涼し気だ。
空間を歪めた際の衝撃波を利用した疑似斬撃のようであった。三次元空間と一部の四次元領域にしか通用しないであろうが、現世においては悪くない武装であろう。
思えば
あの魔術師がルルイエの輩と取引して、ロゼッタストーンよろしく銀の鍵の秘密に手をかけたのなら、あの程度の芸当は出来て当然である。
材質もルルイエの金らしい。実際に黄金かどうかは知らぬが、見た目や重さ柔らかさは金そのものの鉱物。地上ではあまり歓迎されない財宝だ。ここまでする魔術師に説得は無意味であろう。
「理由は聞くまい。骨だけは墓に入ることを許してやろう」
『残念だけれど、大陸の合体と分離をこの目で見るまで死ぬつもりは無いのよ』
最後の慈悲を示してやるが、やはり魔術師という人種はどんな時でも不遜である。
吾輩は低く跳んだ。四方八方を蹴ってかく乱するのもよいが、あの武器だ。適当に振っていても、斬撃の一つはこちらに走ってくる。
ならいっそ最速最短で近づいてしまった方がいい。吾輩は魔術師の足首を刈りながら、全身を
魔術師はなんの躊躇もなく、壁が消え去った断崖に身を躍らせた。下に追撃しようとすればすぐに戻り、瓦礫の陰に隠れる。
なるほどそのために校舎を破壊したに違いなかった。突っ立っているだけではあっという間にやられるので、障害物が欲しい。しかし盾が多いほど、その死角から奇襲を受けやすくなる。だから空中に逃れる。空には身を隠すものがないのですぐ戻る。
ニンゲンの身体能力で猫と戦うために、ずいぶんと考えたものである。それだけに腑に落ちぬ。
「その実力で、なんでまた深きものどもなんぞに協力するのだ。邪神の信徒にも見えぬし。その技があれば良かれ悪しかれ、たいていの願いは叶うであろうに」
『そこが人間の複雑さというものよ。猫さん。好きに生きるだけでは得られないものもある』
「猫の言葉では、そういうのは幻というのだ」
適当に二、三合打ち合って、相手も吾輩と同じく時間を稼いでいることを察した。戦いにおいて時間稼ぎが必要になる理由は、たいてい援軍を待つためである。
階下からうぞうぞと、海産物らしい気味悪さで魚人間がやってくる。変異が早い。普通のニンゲンからあそこまでになるには、最低でも数か月はかかるはずだが、これもあのメス魔術師の奇術であろうか。器用になんでもこなすものである。
しかしいくら素早く変身したとしても、身体の動かし方にまるで慣れがない。一時間やそこらで全く別の生命に成り代わったのであるから当たり前である。こんなのをあてにされても吾輩のほうが困る。
そしてやってきたやってきた。町中から低い鳴き声が近づいてくる。こんなこともあろうかと、吾輩が粉砕したあの家に猫の文字でこれまでの些末を記しておいたのだ。
効果はてき面であったようで、グラウンドを埋め尽くす
しかし半魚人と猫では、戦闘力に差がありすぎる。まずもって戦闘員とそうでないものとの違いだ。猫は個猫差はあれ、誰もが己を鍛え上げることが生きがいの戦士である。よく寝て食べるのも、常在戦場の心ゆえ。
敵の倒し方は、本能の指す道をたどれば自然と形になる。
対してあの深き者ども。そもそも奉仕種族であって、戦いは命じられればやるくらいのものである。見た目が近づきたくない感じなものであるからニンゲンは怖がるが、実のところニンゲンだってちょっと鍛えれば勝てるのだ。
猫からすればゲテモノ食いもたまには刺激になるといったていである。案の定、毛皮の波が一度膨らんで敵陣にぶち当たると、戦線と呼べるものはもう存在しなくなっていた。
先頭に立っていた者たちはもう学校の残骸の上に乗り込み始めている。ラブ女史と福袋が早かった。ちょっと遅れてマッシロ。この三猫は近所付き合いも長いから、吾輩のことを今まで探しおったのであろう。
「んで、片倉の。そこのが今回の黒幕ってやつかい」
福袋がぽよんとした腹を太鼓のように震わせて、なかなかどすのある声を出す。茶トラの縞模様も合わさって、迫力は小型の虎そのものである。
「そういうことであるな。ルルイエとはあまり関係なさそうであるが、どうもこの町のことを知っていっちょ噛みした魔術師のようである」
「そう。では猫の法に従って、死刑ということね」
ラブ女史が無慈悲に言い放った。集まりだした他の猫たちも異議はないようである。
まずもって死が確定した魔術師であるが、感情を感じられない頬笑みはそのままである。随分と周到に準備しているようであったから、ここまで予定していたのかもしれぬ。
とはいえどのようにこの包囲を突破するのか。戦術からいって、ほとんど詰みである。こちらの軍勢は被害もなく完勝しているのだから。
ふとマッシロの様子が気になった。でしゃばりな猫であるから、こんな時になればいの一番に口をはさんできそうなものであるのに、今のときたら借りてきた猫のごとく押し黙っている。
戦術の話で、一つの伝説を思い出した。天下分け目の関ケ原。その大戦が東軍の勝利に終わったのは日本では常識である。
しかし後世、近代になってその布陣を見たあるドイツ軍の士官が、この戦いなら西軍の勝ちで間違いなしと断言したとか。
東軍が勝ったと教えられたその士官はこう言ったという。それならばどれかの武将が裏切ったのであろう。そうでなければ勝てぬと。
マッシロは海辺に行くと言ってはいなかったか。元から海の生まれである猫ならばともかく、猫というのは水辺を嫌う。
「福袋!後ろだ!マッシロに注意せよ!」
いつの間にか、メス魔術師の口に小さな笛がふくまれている。最初から頬の中にでも隠していたのであろう。魔術師加藤はそれを鋭く吹き鳴らした。
テケリ・リ!テケリ・リ!
機械音にも似た、しかし有機的な笛の音が鳴り響くと、マッシロの名前に負けない新雪の毛並みが、焦がした後もあきらめ悪く煮込み続けた鍋のような、ふつふつと泡立つ黒緑色に変わった。
液体のように流動する半固体の表面に脂ぎった虹色の縞が浮かぶと、一気に膨れ上がる。テケリ・リ!テケリ・リ!と、あの古い言葉を真似するように吠える不定形のものは、瓦礫を押し出して触手をまき散らした。
周囲にいた猫たちは吾輩の声ですでに反応を終えていたが、飛散するように伸びる触手のいくらかに打たれて手傷を負ったものもいた。福袋もその一猫である。
「むう!」
「ショゴス!なるほど、仕込みはばっちりだったってわけね」
腹を裂かれた福袋を、濃密な細胞の奔流が襲うが、ラブ女史が触手を切り払って事なきを得る。三毛の毛並みを殊の外大事にしていた彼女だが、すでに粉塵と粘液で白と黒の境目もあいまいだ。
「すまねえ!ええい油断した。やるじゃねえかニンゲンの魔術師!」
腹の脂肪が壁になったのだろうが、それにしても元気なものである。そして素直な賞賛は吾輩も覚えたところである。
狂えるアラビア人アブドゥル・アルハズラッドさえ、その著書ネクロノミコンにおいて実在を否定したあの沸騰する万能細胞。
元の主人である古のものどもに反逆したのち、その一部がルルイエにおいて使役されていることは知っていたが、しかしそれをニンゲンが借り受けたのみならず、調教までほどこして猫のふりまでさせるとは。
どのような交渉があったか見てみたいものである。猫は好奇心が強いのだ。
包囲網が広がり薄くなると、魔術師加藤はがれきの中を歩きだす。なんのつもりか、笛でショゴスに命令すると、ひときわうず高く積みあがったコンクリートの塊を取り除いている。
見れば教室一つを占有していただろう大きさの機械が、石の雨にしこたま打たれたにもかかわらず、元気にぶんぶん唸っていた。
一目で理解できるものではないが、用法は一瞥すればわかる。黄銅色の配管の中心に、大きな鍵穴があった。
『この金の鍵。見ての通り大した力はないのだけれど。それは単体での話。力が足りなければ、付属の部品で補えばいい。つまり、こういうことよ』
加藤は鍵穴に、ルルイエの黄金でできた魔導具を差しこんだ。あれをひねられるとまずい気がする。ここでとるべき道は一つしかあるまい。
「てったーい!」
「おう!撤退だてめえら!逃げるぞ!」
「後で落ち合いましょうね」
猫の軍勢はただちに屋上から飛び降りて、おのおの跳躍でできるだけ遠くに逃げ去ることにした。加藤は目を丸くしていたようであったが、プライドなぞで飯は食えんのである。最終的勝利のための、一時的撤退であった。
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