第6話 夢の国
さて、眠りについたからにはもう一働きせねばなるまい。吾輩は夢の中でむくりと起き上がる。
ねこという語の
真偽は定かならぬが、なかなか的を射ている。確かに猫というのはよく眠る種族である。しかしその理由、我ら猫族と夢の
猫は宇宙の闇より現れし神秘の種族であり、生と死のあわいにある眠りと夢の支配者なのだ。
だからこそ覚醒の世界しかまともに知らぬ、そっちの知識も実のところ怪しいニンゲン共を導き、その支配者となる権利と義務を有するのである。
何もかもが薄ぼんやりした世界だが、これは意識のピントがズレているためである。水と空気でさえものの見え方は違う。現実と夢ならばなおさらである。
ニンゲンは夢の中でも起きているときのようにものを見ようとするらしい。昔はそこまで酷くなかったと思うのであるが、どうにも脳が退化しておるようだ。悲しいことである。その分文明が発達して吾輩は楽になったので別にいいのだが。
しばらく歩いていると、脳の働きが低下してようやくものが見えるようになってきた。肉で考えては夢の中で動くこともままならない。ニンゲンは夢を見ると表現するが、あれはまさに変わりゆく夢の景色を棒立ちで見ているだけで、到底その世界の一個体として活動しているとは言い難い。子供だとまだマシだが、背が伸びだすともういけない。彫像以下である。
そんなだから我ら猫がちょいと夢の国に足を運ぶと、ニンゲンはたちまち我らの姿を見失い、やれどこぞで溺れたのだとか家を見捨てて旅に出たとか騒ぐのだ。
芳しいハッカ色の風がそよぐ。ヒゲを撫でるのはニンゲン共の言うニムエの手遊びか。巻き毛のように絡まる森の木々の間に、緑に光る菌類がまたたく。森トゥーランの光塔群のまばゆさたるや、生身の繊細な目で見れば瞬く間に焼き付くほどに増している。
氷の荒れ野を見下ろす漆黒のレン高原の果てに、未知なるカダスの
まだ場所が確定していないらしい。あらゆる景色が、キュビズムの絵画のごとく眼前で一体となっている。
ドリームランドにもいちおうの地形はあるが、究極のところは全て己の夢想の問題であるから、しっかりとした座標を心に描かねばどこへ吹っ飛ばされるか分かったものではない。
ドリームランドは現実を生命の意識に投射した影である。そして我々が見る現実は意識の上でのことであるから、意識そのものであるドリームランドは真なる実であるともいえる。
訪れるたびに何もかも様変わりしているし、同時に幾千年経とうと瓦一つ欠けはしない。
吾輩はいつの間にやら現れた大通りを進み、故郷へと通じる大きな石橋に向かって歩き始めていた。
ニンゲンがここへ来るには瞑想の練習を日夜繰り返し、夢の深い場所へと降りる能力を得なければならぬが、猫にかかればこんなものである。
意気揚々と里帰りする吾輩の後ろで、ニンゲンの舌打ちのような声が断続して聞こえた。
聞き覚えのある響きだったのでふりかえると、やはりいたのはズーグ族の一団である。
こやつらは褐色の小さい身体とぎょろりとした目をもつすばしっこい連中で、森の光る菌類しか食べないふうをよそおいながら、肉への興味を隠し切れもしない小狡い奴らである。
ニンゲンにとっては目にも止まらぬ速さのちょっとした脅威らしいが、吾輩らにしてみればネズミより食いでがあるくらいの感想になる。
悪さをするたび引っ叩いてやっているので、普段猫族の前に姿を現したりはしない。どうも異常事態らしかった。
というのも、ズーグの住みかである魔法の森を見返せば、ざっと一辺10メートルはありそうな正方形の石台が、その水平性をいささかも損なうことなく宙に浮いていたのだ。ズーグどもはこの奇観に恐れをなして、とるもとりあえず森を出て最初に目に入った吾輩を頼ったらしかった。
宙に浮く平石についた馬鹿でかい鉄の輪、扉の取っ手に覚えがある。邪な神を崇拝し、生け贄を含む悪趣味な祭りを幾度となく開催したかどで、地上より永遠に追放されたガグどもの、国の
ガグは呪いにより地上の光を
すなわち、あれは闇の国の住人の仕業ではない。そも、いかなる大力を持つ怪物でも、大岩を宙空に静謐のまま保持するなどできるはずもない。
門扉の下に、腕の形状をした黒いものが垣間見えたのは、決して錯覚ではない。目に見えたのは一瞬であったが、湧き出る蚊柱のような、形を保つ努力さえ放棄した奔騰する漆黒であった。
岩を支えているのか支えていないのか、膨れ上がりねじれてすぐに消えたが、ズーグ族の者どもはすでに恐慌状態に陥って、穴があればその穴蔵に、なければ自分で土を掘り返す始末であった。
呆れたものである。だが理解はできる。ガグどもの祭りの中、どうしてあの気まぐれものが姿を現したかは知らぬが、厄介なことになるのは目に見えていた。いや、やはり吾輩の住まう街に関連あるのであろう。思ったより急ぐ必要がある。
ズーグどもはことが落ち着くまでは、森に戻ろうなどと夢にも思わぬ様子。吾輩としてもさすがに斟酌の余地ありとみて、特例ではあるが川近くでしばらく寝泊まりする許可を取ってこようと約束した。
あの舌打ちのような鳴き声も哀れっぽく送り出される。せっかくの帰省なのに気がそがれた。
道なりに歩けば伝説の時代よりスカイ川の両岸を結ぶ大橋が見えてくる。日が落ちてきたためにぼちぼち窓辺に明かりが浮かぶ。かつて知恵あるニンゲンがいかなるものとて猫を殺すべからずとしたかの地。
そこにあるものこそが我ら猫の都、ウルタールである。
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