5話 母

 実によく整えられた家であった。


 ただ気になる点といえば、これほどの敷地にも関わらず、ニンゲン以外の気配を感じないことである。

 ニンゲンはある程度財産を貯めれば、犬を飼うか猫を奉じるもの。だが、ここには滑らかに磨かれた床があるのみで、そもそも生命の跡が希薄であった。


 ただ単にそういう家庭である可能性もあるが、あの毒小ニンゲンの振る舞いを思い出す。あれは実に本能に根差した行いで、その親が特殊なタイプだというのはどうにも腑に落ちない。

 しかし侵略者のたぐいは、猫を恐れ犬を嫌う。ほぼ確実に当たりであろう。


 昼だというのに暗い家で、廊下の奥はニンゲンでは見通せないほどだ。そしてあの毒小ニンゲンはそこのドアを通って声を張り上げた。


「ただいま!おかあさん!」


「おかえりなさい。今日もお勤め、頑張ってきたの?」


「うん!黒いのがかかった!あ、物置にぶん投げてきたけどさ、持ってきた方がよかった?」


 会話の様子を覗くため。蝶番の隙間に視線をくぐらせる。

 吾輩は瞠目した。実によくできたニンゲン擬きだった。

 厚めの化粧の乗った肌の質感や似合いもしないのに色を薄くした髪(ニンゲンにはあの色が玄妙複雑に見えるのかもしれぬが、吾輩には色が薄いくらいしか分からぬ。それでもやはり似合っていない)、香水混じりの体臭など、実によく再現できている。ニンゲンを見慣れた吾輩でも、これといった突っこみどころを挙げられない。

 強いて言うならちぐはぐさであろうか。あまりに優しい母親然とした振る舞いだが、それにしては造形が攻撃的である。


 猫毒殺事件の推移や物置の様子を見るに、息子に猫を弑逆しいぎゃくさせだしたのは最近。だというのにあの毒小ニンゲンは疑問に思うどころか母親にべったりである。

 ということは、元になったニンゲンは見た目通り猫に反逆するような人でなしで、そのようなニンゲンであるから息子にもつらく当たったが、入れ替わって子供には優しくなったためなつかれたというところか。


 しかしそうなると気になるのはニンゲン擬きの出どころである。半魚人サハギンの間抜け共があんな精巧な人形を作った話はついぞ聞かぬ。だいいちあやつらは主神をあがめるくらいしか能がないし、興味もない。ニンゲンの偽物を作るという発想さえ浮かばないであろう。

 となるとやはり魔術師か。しかし邪神の信徒にしても、海のものとつるむような連中は力押しが主体のはずだが。


 最後に吾輩の頭に浮かんだのは、土星猫と並ぶ猫の宿敵。ウルタールに並ぶ猫の王国であったエジプトを滅ぼした邪神。とにかく場を引っかき回すことが生きがいの迷惑極まりないあやつである。

 何が無貌の神だ。猫の顔は一つだけだがこんなにかわいい。にゃん。

 あれが相手だと流石の吾輩も分が悪い。だが足踏みするのはもっとまずい。あれはつまらんと思ったらさっさと殺しにかかってくるのだ。ガンガン行くのが一番の安全策である。


 ぺちゃくちゃと親子が喋り合っていたが、大した内容は無い。

 子供が武勇伝やら何やらを有ること無いこと謳い上げ、それを母親が相手の自尊心をくすぐるように答えてやる。早く切り上げて欲しい。ニンゲン二体を片付けるのは骨が折れるのだ。




 ようやく終わったのは数十分後くらいであろうか。途中で寝ていたのでよくわからない。

 毒小ニンゲンが部屋から出て玄関へと駆け出していく。ニンゲン幼体のことだから、適当な場所で遊んだりするのか、あるいはまた毒をばらまきに行くのか。

 正直あっちを先に処理したいが、所詮子供は使い走りに過ぎない。今は大局を見る時。


 開けっぱなしのドアを抜ける。母親は放置された人形のように動いていない。しかし吾輩の耳には、カサコソとうごめく音が聞こえる。

 あの母親の頭の中からだ。


 吾輩は細く、ニンゲンには聞こえぬほどの周波数で呪文をつぶやく。隠れたるものを暴き出す魔術である。

 女の頭が非常ベルのように震えだした。勢いのあまり、反動で椅子までガタガタと揺れる。かすかだった頭の中の音は、すでに蜂の巣の唸りにも似てやかましい。


 ぶうーん、ぶうーん、ごぼぼ


 何やら気色悪い響きが幾重いくじゅうもの合唱になる。女のくちびるがめくれ、歯がトウモロコシのようにこぼれ落ちた。

 

 ネズミ。それもドブネズミであろう。形はそれだが、頭の造形が妙に歪んでいる。変に寸詰まりで、顔が平べったい。にたにた笑う口には乱杭歯が並んでいた。

 魔術師が使う使い魔。人語を解するネズミの怪物である。


 中身を喰ってふとったか、ニンゲンの手のひら大くらいのやつがぼとぼと落ちてくる。皮膚は果汁を絞られた果物のようにしおれて、ネズミが喰い破ったあとは、空洞が口を開けるのみ。やはりかなり以前に入れ替わっていたようだ。


 しかし猫にネズミとは片腹痛い。多少大きかろうが魔術の産物だろうが同じだ。吾輩は軽く飛び上がり、冷蔵庫の上に陣どる。

 ネズミどもはすばしっこく冷蔵庫を駆け上がってくる。使い魔とはいえ、魔術師が直接あやつっているわけでもなし。知能は大したことは無いようである。

 ニンゲン一匹に入るには過大な量のネズミが押し寄せてくる。その黒波が冷蔵庫の断崖の際にさしかかった。


 はたく。大ネズミの背骨に爪が食い込み、毬のようにぽーんと跳ねていった。

 叩く。打ち落とす。元から崩れた化けネズミの面を、砕くことで矯正してやる。

 叩いても叩いても湧いて出てくるが、それ以上の速度で殴り飛ばす。両手がモーターじみて回転し、血しぶきが吹き上がる様はほとんどチェーンソーだ。


「ニャニャニャーニャニャフシャァァァーーァァァアアアアアア!!」


 うむむ楽しくなってきた。やはりちょこまか動き回るものをべしべししていると、本能的な充足感が満ち満ちてくる。

 近頃は瑠璃絵の元気がなかったので、無聊ぶりょうをなぐさめるための訓練器具おもちゃのネズミも使われなくなっていた。すっかり運動不足だったのでちょうどいい。

 

 踊るように下から天井から寄せてくるネズミの群れをさばいていくと、いつの間にか床は死骸で埋まり、あのかさこそいう音は消えていた。

 ずいぶんな量がいたが、無限ではないようである。あと一時間くらいは付き合ってやってもよかったのだが。


 毒小ニンゲンの母親の身体は骨までかじられていたらしく、残骸は薄汚れたボロ切れにしか見えない。魔術師にいじられた痕跡の一つも残っていればよいが。

 そう心の中でひとりごちつつ、化け物にかぶられた人の皮を見る。


 その表面に入れ墨のようなものが浮かび、残骸は音もなく燃え上がった。

 ほの青い、明るさを感じない炎で、一瞬で消えると、後には緑っぽい灰がこびりつくだけである。

 

 がちり、と鍵が閉まる。振り返れば閉め切られた廊下。先ほどより光量が少ない。玄関に向かう。


 ドアに鍵がかかっていた。あの毒小ニンゲンは鍵など気にする性質たちには見えない。母親の皮が燃え上がった時だろう。

 さらにドアの隙間という隙間に紙で封がされてある。猫の身体がいくら柔らかくとも、液体でできているわけではない。これでは通れない。


 嫌な予感がする。一階の出口や窓を総ざらいしてみるが、外から見た通り、全て厳重に内張りがしてあった。

 窓の目張りを見る。よく見れば何らかの動物の皮革を使った紙である。外からは見えなかったが、内部のものに向けるようにびっしりと細かな文字文様が書かれていた。


 

 吾輩は間違いに気づいた。油断していたつもりはないが、今度の敵はなかなかの難物のようだった。


 侵入者を拒むような目張りを見て、吾輩は見られたくないものを隠すためだと思ったが、違う。これは金庫ではなく檻なのだ。この家を見つけ出すような強猫きょうびょうを誘い込み、閉じ込めるための。


 試しにがりがりやってみるが、古ぼけた皮に傷どころかシワもつかない。かなり厳重な封印術である。


 それに眠くなってきた。久々の運動で疲れたし、こちらに来るまでの時間も含めて5時間は寝ていない。

 幸い水は冷蔵庫に入っていたし、食事はネズミがある。吾輩は適当に腹ごなしを終えて、寝室のベッドに潜り込む。

 しばらく夢の住人となろう。明日の朝にきょうされるはずのちゅ~○だけが無念である。

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