4話 毒

 猫が死んでいるらしい。そういう話を聞いた。

 むろん生き物であるからにはすべからく死ぬものである。そうそう無い死に方であるから話題になる。


 毒、だそうである。


「若い騎士がやられているらしいわね」


 ラブ女史がの述べるところによると、何者か、恐らく多数のニンゲンが、若い騎士の猫などに毒入りの食事を供して殺害しているらしい。多数というのは、到底単独ではなし得ないほどの被害が確認されているからで、今も増え続けているはずだ。

 卑劣千万なる犯罪である。猫というのは礼儀を知る生き物であるから、差し出されたぜんをあえて捨て置くことはない。その善意をいいことに主人に対して牙を剥くとは、許しがたい所業である。

 しかし吾輩の義憤など、隣で魚の肉を引っ剥がしておる福袋に比べれば真似事と言ってかまうまい。


 ざらついた舌で背骨から肉を。機械的な精密さで、瞳には昆虫じみた輝きがある。虎柄の毛は逆立ち、ただでさえ大きな図体が二割増しに見えた。

 肥えた身体に似合わぬ剃刀の殺気を揺らめかせる福袋は低い声で宣言する。


「こいつは俺のシマでの事件だぜ。犯人は俺が殺す。文句はねえな」


 確認の体はとっているものの、とても反論を許す言いぐさではなかった。

 道理にのっとってはいる。猫を殺す人間には罰を与えるべし。法ができる以前の、ありふれた約束事である。いちいち確認をとる分、福袋はまめな方だ。見かけに反して気遣いのできるオスである。


 とはいえ今は戦時中。まともにやっていては不利になる場合もある。

 この時点で起きた殺猫さつびょう事件。深き者どもと関係あることは間違いない。できれば裏を探るため泳がしておきたいところ。

 しかし今の福袋は、そういった常識論を聞きそうな気色でない。説得は苛立ちを掻き立てるだけであろう。吾輩早々に諦めた。

 

 ということで、福袋より先に犯人を見つけるため、学校の探索を切り上げて優雅に散歩パトロールである。

 日を浴びてぬくぬくしながら、河原のあたりを散策する。吾輩の毛並みは漆黒ゆえ、日向ぼっこにおいて非常に優秀である。

 適当に歩いたからといって解決する問題ではないが、あては有る。吾輩は新聞も読めるので、近頃は片倉父がとっている朝刊を、毎日精査しているのだ。

 そこから猫の死んだ場所を調べ、地図の上に書き出す。さすれば犯人のおおよその行動範囲が分かるわけである。


 犯行現場の範囲は、いくつかの大きな円になっていた。これは攻撃している者が複数いるということであろう。

 これで単純な犯罪の線は消える。猫に手を出す物狂いはいつでも出てくるものだが、この小さな町で同時に、というのは考えづらい。

 そしていくつかある円の中でも小さめの一つに、瑠璃絵の通う小学校が入っていた。それもかなり中心に近い。川の方に寄っているのは、毒入りの食い物を隠れて置き易いからであろう。


 立地と半端なさかしらさから、犯人像も浮かんでくる。ちょいと餌を揺らしてやれば食いつくはずだ。

 吾輩は空に鼻を向けてくんくんとやる。阿呆の犬めらほど所かまわず嗅ぎ回ったりはしないが、猫も必要十分な嗅覚を保有している。行儀は良くないが、もの探しに贅沢は言っていられない。

 川からの風に乗り、いかにもわざとらしい臭いが漂ってくる。


 草むらの薄いところに、魚が置いてあった。腐るのを防止するため内蔵を抜いてある。それでも夏が盛りに入ろうとする時期である。用意されたのは早くとも数時間前であろう。

 空には幾羽かのカラスが飛び回っているが、魚をついばもうともしない。あれらも鼻が効くし、それに賢い。一度痛い目にあえば絶対に忘れない。

 まああの魚が白か黒か、断言はできぬ。とはいえいい所、吾輩の毛皮よりわずかばかり白い灰色であろう。


 そうやって眺めていると、どこかから石が飛んできて、かつん、と吾輩の横で跳ね返った。

 出所を探ると、隠れてもいない。小さめのニンゲンがまた腕を振りかぶっている。


 よくよく見ればあのけったいな顔の形、先日瑠璃絵の教室でいじめられていた小ニンゲンに違いない。

 あばただらけの顔には汗がにじんでいる。必死に下方からこちらへ石を投げてくるが、悲しいほどにへろへろ球だ。転がすという表現が適切であろう。


 避けることなど造作もないし、そもそも避ける必要もない。吾輩から3猫身びょうしんくらい離れたところで石が跳ねている。

 何をしたいのか分からぬ。ニンゲンはたびたび突飛な行動をするもの。頭が育ちきっていないならなおさらだ。


 あのような狂気の沙汰に付き合ってやる必要もない。放っておくこととする。

 吾輩は怪しい魚をいただくことにした。噛みついて身をむしってみると、内臓も無いのに強い苦味がある。

 これは紛れもない。ストリキニーネである。神経毒の一種で、昔は猫の代わりに鼠を殺すため、ニンゲンがよく使っていた。吾輩も若い頃は邪教の信徒にこれを盛られて何度か死んだものだ。


 背骨が逆エビに反っくり返る。知らず知らずに口からは泡を吹き、身体じゅうがガタゴトと大きく震えてくる。

 毒というのはどうも具合が悪い。やはり武器というのは爪や牙であるべきだ。まったくニンゲンというのは、こんな非猫道的な薬剤に頼らねば鼠一匹捕まえられぬのかと泣けてくる。

 石が吾輩の腹にぽてんと当たった。

 吾輩は死んだ。




 気がつくと運ばれていた。多少気の利いた猫ならば、命を複数保有する技は心得ているもの。今回は急ぎの仕事ゆえ、一度死んで油断させる必要があった。

 死ぬのは久々で、どれほど寝ていたか分からぬ。しかし運ばれているからには大して過ぎてはおらぬはず。吾輩ははず周囲の状態を確かめることにした。


 肌がちくちくするのは毛羽だらけの粗い袋に詰められているからであろう。吾輩が丹精込めて毛づくろいした天鵞絨びろうどの毛並みが台無しだ。芸術文化の価値を知らぬ野蛮人が、どれほどの文明の精華を無に帰さしめたかを考える。

 建てつけの悪い扉が開く音がして、カビ臭さと、それを塗りつぶして余りある腐臭が漂う。案内されたのは宿やホテルではなさそうであった。


 袋から取り出されて、ぽいと投げ捨てられる。目が慣れないうちにドアが閉まったが、下手人の面相は見えた。

 覚えがある。学校で瑠璃絵と言い争っていた子供であった。愚昧ではあってもよこしまな気配はほとんど感じられなかったのであるが、わざわざ毒まで使うところを見るに、邪神の走狗らしい。


 瞳孔が開いてくると、周りに腐臭の元が見えた。十猫びょう二十猫びょう、いやもう少し多かろう。猫の死体が山と積まれている。まともに扱う気も無いようで、黒ずんだ毛皮から、蛆虫が言葉通りに湧き上がっていた。

 勘違いしたはえどもがこちらにも飛びかかってきて辟易する。ただのゴミ捨て場のようで見るべきものもない。吾輩は尻尾を巻いて半開きの扉から抜け出した。


 使える魔術もない若造とはいえ、思ったよりも犠牲猫が多い。あのような考えの足らぬ小ニンゲンにしてやられはすまいとの油断があったのかもしれない。

 猫は感覚が鋭い分、己の勘を疑わぬところがある。吾輩とて例外ではないのだが、そこを上手く突かれたようであった。どうも今度の敵というのは、陰謀をたくらむのが得意であるようだ。

 外に出ると広々とした庭である。隣には大きな土蔵があり、吾輩が放り込まれたのはその横にある物置きらしい。わざわざ蔵に入れるほどでもないをつっこんでおくためのものか。


 家は上品なもので、白壁のモダンな和洋折衷の家屋を、今ふうに手直ししてある。二重窓やら床暖房やらで、昨今極端に走りがちな日本の四季にも柔軟に対応している。

 しかし鈍いニンゲンならいざ知らず、吾輩はすでに違和感を覚えていた。

 

 ネズミの這入はいる隙もないとはよく言う例えであるが、ネズミが入れるなら猫も入れるもの。二階の窓や壁の隙間、通風口。猫が入ろうと思って入れない家はそうそうない。

 ましてこれほど大きな家で、あらゆる入り口が閉ざされているのはむしろ珍しいことである。


 しかし入れそうなところを見分すると、丁寧に目張りまでして閉ざされている。明らかに猫を警戒してのものだ。

 ために吾輩は多少リスクのある手段をとった。あの毒ニンゲンはちょうど家に入ろうとしているところである。

 吾輩は無音のまま疾駆し、後ろ手で閉まるドアの間に滑り込む。毒小ニンゲンは足元を撫でる風を感じて下を向くが、その時には靴箱の上に飛び上がっている。

 そのまま土間に降りると、傘立ての影に隠れた。ニンゲンは目に頼りすぎるきらいがあるから、この程度の隠れ身で誤魔化せるのである。

 毒小ニンゲンは不安そうに何度も振り返ったが、結局こちらに目線さえ向けずに、家の奥へと消えた。


 吾輩も立ち上がる。この家に何があるのか、確かめねばならない。

 


 

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