第3話 学校

 片倉瑠璃絵の通う学校は、吾輩の散歩コースの端あたりにある。味気ない灰色の箱で、ニンゲンの芸術的能力の低下を心配してしまいそうである。瑠璃絵はどこかの部屋にいるはずなのだが、こうもニンゲンが多くては、区別をつけるのも難しい。

 もっとも吾輩、授業参観に来たわけではない。この学校という施設、やたらにニンゲンの幼体を詰め込んでいるくせに、社会から隔絶されていて、よく不正の温床となるのだ。

 狂信者たちは、人々が集まって妙な事をしていてもおかしくない場所を好む。欧米の方では教会だとか大きめの家が良く使われるが、日本はそういう建物が少ないので、学校ということになる。


 特に瑠璃絵の学校は、この辺りで一番大きい小学校だ。小学校というのが、ニンゲンの学校の中でも一番小さめの幼体が入る所だったはず。

 中学高校とかは、我ら猫からすればほぼ成体に近いニンゲンが通う。そうなると怪しげなたくらみに気づかれる危険も高くなるから、連中も慎重になるであろう。逆に言えば、まだひよっこしかいないこの学校なら目立つ動きがある可能性が高い。

 なので散歩ついでにパトロールができて楽だという理由は確かにあるが、それは二の次三の次に過ぎない。吾輩は非常に論理的に行動している。


 しかし、学校というのは危険に満ち満ちた施設である。

 ニンゲンの幼体は、猫に比べると薄らでかい。その上精神の発達が非常に遅いので、10歳にもなって遊びの加減を知らぬ痴れ者がいたりする。うかつに姿を見せれば、厄介なことになりかねなかった。

 花壇に咲いているチューリップに身を隠しつつ、徐々に校舎へと近づく。潜入の類は猫の得意とするところ。勘の鈍いニンゲンごときでは、気配もつかめまい。


 とはいえ学校の内部など気にしたこともなかったので、どこから探ればいいのか見当もつかぬ。入るのはいいが、あの重そうな扉をいちいち開けていては身がもたない。

 とりあえず、怪しげな気配があれば目星もつけられるのだが、さすがに真っ昼間から妙な儀式を執り行ってはいない。


 昼ご飯も近い。今回は外から見るだけにしようかと思いかけて、三階あたりが騒がしいことに気づいた。

 すわ事件かと喜び勇んで、吾輩は雨樋あまどいに飛びつく。さびの浮いた鋼管がきいきいと鳴るので、耳を畳んで我慢しながら上へと登る。

 途中でベランダの手すりに着地し、そこから一息に跳んで上へ。コンクリート製の底面に前足で取り付けば、あとは簡単。三階のベランダにするりと潜り込んだ。

 

 さて何が起きているやらと、吾輩ヒゲをときめかせて教室を覗くが、すぐにがっかりした。机を円形に並べた囲いのようなものができている。その中で、複数の子供がうずくまっている何かを蹴り上げたり叩いたりして笑っているようであった。

 転がっているのは当然、同じニンゲンの子供である。いわゆるいじめというものであろう。ありふれた光景であった。


 どんな生き物でも、一つの所にぎゅうぎゅう押し込まれれば気が狂う。

 我ら猫は高尚にして不動たる健全な精神を持つゆえ、小さな箱に二匹三匹と詰まっていても平気の平左。それでも長くいれば息苦しくもなる。

 ニンゲンごときがこんな殺風景な箱に何十と重なって、それを毎日繰り返していれば、自然と行動もおかしくなろうというもの。それがどうもニンゲンには分からぬらしい。

 こんなものを見ていてもメザシ一匹の得にもならぬ。吾輩さっさと家に帰って昼食にありつこうかと肉球を返した。

 きゃっきゃと笑う子猿らの声。それを遮る叱責が聞こえて、吾輩は危うく三階から転げ落ちそうになる。


「やめなよ!またこんなことして」


「なんだよ片倉あ。お前半魚人の味方なの?」


 振り返るとやはり、眉を逆立てていたのは吾輩の下僕シモベ、片倉瑠璃絵に相違ない。普段はだらしなく緩めている頬のあたりを、歯を食いしばって引き締めている。

 ニンゲンの造作ぞうさくには興味もないし理解も出来ぬが、瑠璃絵の目は猫にも似てまん丸く輝いている。瑠璃絵をからかったオスの子供がひるんだ。

 だいたい弱い者を踏みつけにしてやろうというニンゲンは、面と向かって糾弾されると自己弁護を始める。守勢に回るのだ。己が正しいと思ってきたので、そこを揺り動かされると弱いのである。

 猫でも遊び半分で虫なんかをつつくやつは、まさか手向かいはすまいと信じて、反撃されると飛び上がって逃げ出すものだ。

 ましてこのご時世。こういった行為が表に出れば陰日向に関わらず悪し様に言われるのは自明である。小学生の知能でだってそのくらいは分かるであろう。


 オスの子供の方も虚勢を張って脅すのだが、瑠璃絵は百害あって無益だから止めろの一点張りである。しかし力押しはこういうやからには効果的だ。結局向こうが折れた。


「ほんとよくやるよな片倉!お前ら付き合っちゃえよホント!」


 負け犬の遠吠えというのはどうしてこう情けないのか。瑠璃絵もふふんと鼻で笑って言い返しもしない。


 ふと潮の臭いがした。


 倒れていた子供が起き上がっている。何やら珍妙な見た目であった。

 頬のあたりが不自然に膨らみ、口がカエルかハゼのような偏平になっている。生白い顔は吹き出物でいっぱいだ。

 ニンゲンの美意識に詳しくない吾輩でも、一目で不器量と分かる。誰これの弱いところをつつくのに必死な連中がむらがるわけだ。


 その珍妙な子供は聞き取れぬ声で何かつぶやき、頭を下げると自分の机を元に戻して座ってしまった。

 最低限礼を言うくらいの教育はあるようだが、いかんせん態度がよろしくない。だいたい姿勢が悪い。ニンゲンは背筋の曲がったのを猫背などと言って笑うが、無知もここまで極まれば憐れむ他ない。背骨がひねくれ曲がっているのはニンゲンの方なのである。

 猫の脊椎は非常に柔軟で自在に伸び縮みし、曲げるも回すも思うがままである。対してニンゲンはというと、猫のために便利な道具を作るべく立ち上がったはいいものの、大きな頭を支えるため骨が尺取り虫のように曲がってしまった。

 おかげで少しでも不自然な姿勢をとると軟骨に負担がかかって変な形に固定されてしまうのである。これが解剖学的事実であるからして、曲がった背は猫背でなくニンゲン背と呼ぶべきなのは明らかだ。

 かようにニンゲンの世界の捉え方というのは、その背骨と同じように堅っ苦しく捻じ曲がって固定されておる。我ら猫族の庇護がなければ、とっくに型にはめられて、不定形の怪物共にこき使われていたはずだ。


 そんなことを考えていると、教師が部屋に入ってきた。これはいけない。吾輩は教師の目に入る前に、ベランダの柵から抜け出した。

 最初の探索は中々うまくいった。やはりこの学校とやらにはよこしまな何かが潜んでいる。しかし昼間には正体を現すまい。何度かの偵察さんぽののち、夜に潜入すべきであろう。

 潮の臭いは鼻の奥にまだ残っていた。



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