第2話 猫の議会

 猫の領土は、基本的に住んでいるいえの屋根の下である。そこにいるニンゲンは奉仕者であり、自由に使うことが許されている。

 しかしその外になると、少しややこしい。縄張りらしきものはあるが、吾輩の住む住宅街のような地域だと、どうしても重なり合う部分ができる。猫口密度が高すぎるのだ。

 城を持つものは食事には困らないから、多少のことは多目に見てやれるが、領地の無い漂泊の騎士だとそれも難しい。空腹になると気が立つので、喧嘩になることもある。


 そういったいさかいを減らし、領地の平和を保つのも猫の集会の役目なのだ。猫は遥か古代から、議会政治に身をおいていたのである(民主主義ではない。猫は全員王侯貴族なので)。


 ずさんな都市計画の末に生まれた、路地裏の奥の奥。猫以外入れそうもない細い道を抜けて、猫の額ほどの空き地に出る。

 大したものもない入り江近くの柔い地盤の上に、街だけぽんと建てたものだから、こんな議事堂にふさわしい土地も多いのだ。

 議員はすでに集まっていた。近所に住む十数匹の猫たちだ。

 吾輩が遅刻したわけではない。そも、決まった時刻に集合する約束があるわけでもなかった。気が向いたら足を運んで、話し合うのに十分な数がそろえば相談し合うというのが、猫の議会というものだ。

 

「おや、今日はずいぶん早起きじゃねえか。片倉の領主」


 やたら存在感のある面と腹回りの茶トラ猫が、野太い声で笑う。ここらの騎士ーー領地を持たぬ猫ーーの顔役である、福袋というオスだ。

 光の加減によっては黄金にも見える立派な毛並みは、念入りな毛づくろいの賜物だろう。決まった屋根を持たぬ騎士で、この毛艶を維持しているのは、さすがにこの辺りで兄貴分と慕われるだけのことはある。


「そろそろ日の出が早くなってきたのでな。おちおち朝寝もしていられんのである」


「潮の臭い」


 三毛色の貴婦人が吾輩の尻の辺りをすん、と嗅ぎ、くあっ、と口を開けて固まった。摩周家を領地に持つラブという名のメスである。


「でも不味そうね。狩って来たの?」


「おお、これは無作法を。なに、吾輩の城の近くで落とし子がうろついていてな。腹ごなしに片付けたのである」


「おとつい、いえ三日前だったかしら?一週間前だったかもだけど、落とし子が出たわね。近頃騒がしいわ」


 確かに、何日前だったかはよく思い出せないが、ずっと前というほど昔ではない時にも、あのぶよぶよした不届き者が現れたことを覚えている。狂った人間や陰気な半魚人ならともかく、これほど活発に古き怪物共が湧いてくるのは奇妙である。

 今回の議題が、まさにそれについてであることは、ここに集う猫たちのほとんどが予想していたであろう。あの身の毛もよだつ大海の、邪なる神が目を覚ましつつあるのかもしれない。


「それで、これからどうするかですにゃ。やつらが本格的に侵略に乗り出してきたとするなら、この街の猫だけで守るのは厳しいですにゃ」


 田中家の白猫、マッシロが口火を切る。猫はニンゲンとしゃべるとき以外、あまりニャアニャア言わないものだが、この娘はちやほやされるのが好きで、ついには日常会話でさえニャンニャンと鳴くようになった。

 臣下をおもんばかるのも王の務めではあるが、少し距離感が近すぎやしないか心配である。若いとはそういうものかもしれないが。


「マッシロよお。そんなにニンゲンなまりが強くちゃあ、聞き取れるもんも聞き取れねえよ」


 福袋が憮然と言い放つ。分からんでもないが、こやつはこやつで直言しすぎるきらいがある。それに騎士にはよくあることなのだが、あまりニンゲンが好きではない。


「福袋さまったら古いですにゃあ」


「だいいち俺様はニンゲンを守るなんてのも気に入らねえんだ。滅びるんなら滅びるでいいだろ、あんな奴ら。大して困らねえよ」


 道理ではある。吾輩ら猫は、生まれながらに戦士にして狩人。人類がいなくなったとしても、面倒が増えるだけで滅びはしない。

 有史以前より、人類は己が身を守るために我らに頼った。史書に残るものでは古代のエジプトが有名か。猫は彼らの奉仕を条件に願いを受け入れ、以来猫は人類の主人であり、守護者となった。


 敵は多種多様である。空の果てから来る菌類のようなもの。地の底から湧く人喰い。あるいは夢の世界の住人。狂える無貌の神。

 しかしもっとも積極的で数も多いのは、海の底の古き者共だ。かつては地上を支配していたと言って、たびたびこちらへ攻め寄せてくる。

 こちらから攻められればよいのだが、吾輩たち、魚は好きだが水は苦手。海の中など御免被る。

 防戦一方となると、臆病風に吹かれる者が出てくるもので、心弱いニンゲンだとなおさらである。狂ったニンゲンの魔の手にかかった未熟な猫は数知れない。


 あえて聞いたりはしないが、福袋が漂泊の騎士であること、ニンゲンを不必要なまでに嫌っていることも、そこらに理由があるのであろう。

 とはいえ、そこらの事情を含めても、吾輩の意見は福袋とは違う。裏切りを含めて、配下を御せるからこその主人なのだ。

 ここらの価値観で奴と合意できる日は来ないであろう。なのであえて言いはしない。

 反論はラブ女史からであった。


「福袋、町を守るのは前提よ。奉仕者がいなければ、私達の文明も衰退を免れない。南極の連中の故事は知っているでしょ。……一番確実なのは、赤虫あかむし市から援軍を呼ぶことだと思うけど、どう?」


 ラブ女史の意見には、吾輩も賛成である。ので意見を口にしておく。


「いかにも。赤虫市とは、ここ200年来の約定がある。あそこの猫には、未だに古い呪文を覚えているものも多い。たとえ狂信者めらが邪神の眷属を呼んだところで押し潰せよう」


 周りの猫も頷いた。赤虫市は人間の通う学校がたくさんあって、それがそのまま町になっているらしい。大学生や院生などの、この世で最も生産性の低い生き物の一つが大量にいて、罪滅ぼしのためか、我ら猫によく貢ぎ物をよこしてくるという。

 ために猫にも学究を深めるものが多い。時には真理を求めさまよう人間に知識をくれてやったりしている。もっとも人間用の学問ではないので、その知識を学会とやらで発表すると顰蹙ひんしゅくを買うとか。

 せっかく大きい頭蓋を持っているというのに、柔軟な使い方を知らぬ。奉仕種族の悲哀である。


 それはさておき、赤虫市の猫たちが心強い味方であることには変わりはない。福袋でさえ、そこに異論はないであろう。

 だがやはり、古強者としては粗が目立つ策らしい。


「そこに異存はねえな。そりゃあ頭数はあったほうがいい。で、作戦ってのはどうやって援軍を連れてくるか、だろ?少数で行けばやられる可能性が高え。だが町中の猫が出払っちゃあ、攻めてくれと言ってるようなもんだぜ?」


 これもごもっとも。昔話でいう猫に鈴をつけるというやつである。まったく失礼な昔話もあったものだが。

 水底の連中は気が長い。それが侵略の兆候を見せたということは、準備は万端なのであろう。引州町の外に情報を漏らしたりはすまい。この町の中だけで、静かに、確実にことを運ぶつもりだ。

 この町は東を海、西を山に囲まれているから、いくつかの道を監視されれば、脱出は難しい。

 かといって不用意に大群を動かせば、それこそ向こうの思うつぼ。先ほど言った通り、引州町は東半分を海に囲まれているのだ。どこからでも上陸できる。防衛戦には不利な地形だ。だからこそ狙われるのだが。


 赤虫市の猫も、こちらの状況を見てはいるだろうが、どうも今回は敵の動きが速い。長生きだけが自慢の魚もどきも、学習というやつができたらしい。

 下手に動くべきではない。しかし動かねばされるがままになる。中々こまった事態である。

 必要なのは情報だ。ヒゲが無ければ狭い隙間を通れないように、分からぬから動けない。


「まずは偵察であろうな」


「ほん」


 福袋が吾輩をうかがう。大雑把なオスではあるが、猫の話を聞く理性はある。納得させることはできるであろう。


「周到に準備しているなら、拠点の二つや三つはあろう。叩くにせよ探るにせよ、まずそこを見つければ、やり方もおのずと思いつくものよ」


「そこらになるかしらね。妥協点は。でも時間はかけてられないわよ」


 ラブ女史はもう腰を浮かして出立の準備をしている。他の猫も、狩りの時間だと察してか、今にも忍び足で消えて行きそうだ。

 これでこそ支配者というもの。吾輩も急がねば。


「うむ。それでは吾輩、召使いの子供が通っている学校を探ってみるのである」


「俺たち騎士は下水かね。あいつらジメジメした所が好きだからな」


「わたしは海辺を散策するとしますにゃ」


「では行きましょう。解散!」


 それぞれが歩いたり走ったり。自分のペースで去っていく。吾輩も空き地を出て、後には何に使うかも分からない空間だけが残った。


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