キャットファイトフォーリナー

@aiba_todome

第1話 ウル太

 吾輩は猫である。名前はウル太。


 瞳がウルっとしていることからこの名がついた。太平洋側の海沿いにある引洲町いんすまちに居を構えている。

 さて、猫といえば言わずと知れた地球の支配者。万物の霊長であり、地上を統べる種族である。多くは奉仕種族たるニンゲンの家を住居とし、彼らにせっせと食事を運ばせては、勝手気ままに生きている。


 吾輩もその例にもれず、片倉某かたくらなにがしとかいう名のうだつの上がらない男が采配する、小さな一軒家を根城にし、か弱きニンゲンどもの精神と生命を守ってやっているのだ。




 吾輩の朝は早い。いや遅いときもある。つまり自由ということだ。

 ニンゲンはなぜだか知らぬが決まった時間に一分たりとも遅れず起きようとする。一分とは一日を昼と夜の二つに分け、それを十二分割し、それをまた六十に割ったものだという。

 なぜそんなに細かく区切るのか。ニンゲンののろまさときたら、吾輩ら猫の素早さの半分の半分にも及ばぬというのに。これが良く分からない。


 ともあれ吾輩、今日は早くに起きた。初夏の日差しがひげにかかってまぶしかったからだ。吾輩は奉仕人の頭である片倉なにがしの書斎の、この家で一等柔らかなソファーの上を寝床にしている。吾輩が横たわるとちょうどいっぱいになるサイズで、適度な狭さが心地いい。

 片倉が時々、何を血迷ったか吾輩を尻にしこうとするのが玉に瑕だが、そのたびに自慢の爪でしつけてやっているので、最近は粗相も少なくなってきた。

 ニンゲンというのは目を離すとすぐに狂気に満ちた行動に出る。我ら猫族の保護が必要な所以だ。


 階段を降りると焼いた魚の匂いが漂ってくる。どうやら朝食の時間だったらしい。自然、足取りが軽くなる。


「あ、ウル太だー。おーはよっ」


 吾輩の後ろにちんまい影がかかる。小柄と言っても、吾輩よりも二倍かそこらは大きい。ニンゲンの子供だ。

 片倉家に住む召使いの中では一等熱心に仕えてくれるのだが、いかんせん未熟なので失敗ばかりだ。今も吾輩を抱え上げてくるが、指に毛がからまって痛い。

 吾輩の毛並みは夜闇も青ざめる見事な漆黒であり、後ろ姿では影との区別がつかぬ程だ。まさに文化財、いや国宝といったところ。

 その価値が発育の遅い小ニンゲンには想像できぬ。仕方なかろう。ニンゲンを立派にするのには、殊の外時間と労力がかかるものだ。

 吾輩はあえて怒りを示さない。爪は出さずにぱしんと手を払って、先に食卓へ行く。


「あ!ウル太、まってー!」


 待たない。食事というのは待ってはくれないのだ。取れない者から弱っていく。

 ニンゲンは甘ったれた生き物ゆえ分からぬかもしれないが、厳しい自然と戦う猫は、そうもいかないのだ。


 さて、吾輩の食事はその名もずばり猫の食物である。食卓の横の小皿に、山盛りで置かれている。

 人間は必要な栄養素を取るのに、やれ野菜だ錠剤だと大変だが、猫に対してはその悪くない知能の全てを傾けて完全栄養食を作り上げたのだ。我が身をかえりみず猫に尽くすその忠誠心やよし。とてもうまい。


 ざっと喰い終えたところでかぐわしい薫り。これは紛れもない。○ゅーるだ。

 びょやっ、と薫りの源へ飛びかかると細長い小袋をひったくる。この塩味がなんとも言えぬ。うまいうまい。

 あっという間に無くなっていてしまった。次のおやつを所望する。にゃんにゃん。


「駄目よ、ウル太。猫はお塩に弱いんだから。腎臓病って大変なのよ?」


我が家の侍従長である片倉眩野かたくらくらのが、吾輩の顔を押しのける。


「母さん、猫に腎臓病の話は難しいと思うな」


「あら、大丈夫よ。ウル太は賢いもの。ねー?」


 いかにも。吾輩にゃん、と返事してやる。○ゅーるは欲しいが、健康を維持し、敵に備えるのも王侯たるものの務め。ここは主君の身体をおもんばかる真心に免じて、譲ってやろうではないか。


 吾輩はすっくと四本脚で立ち上がり、本日の仕事に向かう。猫の仕事は数千年前から変わらず一つ。狩りであり、戦いだ。我ら猫は生まれし日より戦士。か弱き従僕ニンゲンの生命と精神を守り、充実した生活をより発展させるのが猫生というものだ。

 かりり、と、壁のどこかから擦過音がする。獲物だ。かなり大きい。


「パパ、お外になにかいる」


 瑠璃絵が異常を察して怯える。ニンゲンも幼体なら、多少の直感は働くようだ。でかくなるとてんで駄目だが。


「ネズミかな?ウル太が捕まえてくれるよ。ほら、もう動き出した」


 これである。まあこの、名前も分からぬ片倉父は特に鈍いのだが。


「お仕事頑張ってね。ウル太」


 片倉眩野の声援を受けて、吾輩堂々出陣す。ベランダからひょいと抜け出て、複雑に入り組む路地裏のブロック塀に着地。

 猫の肉球は万人を魅了し、しかも足音を立てない。獲物はまだこちらに気付いていなかった。


 ぶよぶよとのたくりながら、爪研ぎでもあるまいに、壁をかりかり掻いている。まだ寝ぼけて本調子ではないのだろう。

 それでも容赦はしない。猫の世界は生きるか死ぬか。体調が悪いなどという言い訳はきかないのだ。

 吾輩は背中を丸め、背骨を弓のように引き絞って跳んだ。


 普通、狩りのときは相手の喉笛を狙うが、この獲物はどこが首なのかさっぱりである。なので細そうなところをとりあえず噛む。まずい。

 何でできているのかさっぱり分からない、あぶらのような泥のような噛みごたえがして、首?の半分ほどが千切れる。ぶるぶるっ、と震えて触手を振り回すが、いかにもどんくさい。

 適当にステップを踏んで避けてやり、また爪で牙で切り裂いていく。


 肉塊は徐々に弱っていった。しかし猫は油断しない。窮鼠猫を噛むという失礼なことわざをニンゲンは使うが、そういった思わぬ反撃に備え、吾輩らは常に間合いを測って、確実に獲物の体力を削るのだ。

 弾かれたように飛んでくる触手をヒゲ一重でかわす。それが最後の一撃になった。やたら脚の多いタコに手足をくっつけたような怪物は、一瞬震えると、ヘドロ状の流体になって溶けてしまう。あとはカラスとかが片付けてくれるだろう。


 一仕事終えた吾輩はブロック塀に戻って、日課の散歩パトロールに向かう。猫の日常は戦いに次ぐ戦いだ。まったく貴種というのは休む暇もない。

 しかし我らは地上の支配者。水底のけったいな輩にくれてやる土地は寸土とて無いのである。

 故郷と誇り、あと生活のための召使い共を守るため、吾輩たち猫はよく眠りよく食べ、そして戦うのだ。

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