第4話 顔を洗っても出直せない
好きになる要素が全くないし協力する気にもなれないヴォルから離れて、あいつが来そうにない場所へと走ってきた。
騎士は身分が高いから近づけない、という下働きの人たちがいる建物だ。料理場もあるし、洗濯もしてるし、井戸もある。
衝動に身を任せて砦から出ていってしまえば元の世界に戻る可能性が上がる、なら喜んで出て行くけれど近くの街に行っても悪目立ちするだけだ。
なぜならこの世界の女性はみんなふくよかだから。
「あらまあミヨシ様、どうしたのすごい顔して」
「……水、もらっていいですか」
「水飲むより顔洗ったら?」
洗濯して干したシーツや衣服をとりこんでいたおばさまたちが私を見つけて話かけてきてくれる。どうやら下働きに来ている近くの街の人にとって聖処女がここに来るのは珍しいことではないらしい。ハルナは私より早く来たらしいし、サクラさんたちもずっと前は来ていたそうだ。
いなくなった聖処女の誰かも。
井戸水を汲んで顔を洗って、怒りのあまり溢れた涙を洗い流す。中学の頃友人とケンカしたときにも怒りすぎて泣いたことがある。せめてもの救いはヴォルに泣き顔を見られずに済んだことくらいだろうか。
袖で顔を拭こうとしたら、洗ったばかりのハンカチを手渡された。優しさに今度は違う涙が出そうになる。
私がぐずぐずと泣くのをこらえている間もおばさまたちはてきぱきと仕事を続けている。この人たちくらいの半分でもヴォルに気遣いができれば、とため息をつく。そんなの無理だし今更すぎるけど。
「うう、ありがとうございます」
「いいのよ、それヴォルフガング様のハンカチだから。ミヨシ様には使う権利があるでしょ」
「そうですね、でもありがとうございます……あいつほんと、なんで騎士なんですかね」
「そりゃ、騎士候の家に生まれたからよ!」
豪快に笑うおばさまたちは、シーツを取り込みながらも地面につけずにたたむというなかなか難しいことをしている。地味に器用だ。
「貴族の家と違うんですか?」
「騎士として名を挙げた人が先祖ってことなんじゃないかねえ、詳しく知らないけど。まあ似たようなもんだよ、あたしたち平民とは違って生まれながらに騎士になることが決まってるんだからね。あの人も十五歳で騎士の学校を一番で卒業して、他の砦だかどっかで一年見習いして、それでここに来たのさ」
「ん? 十五歳で卒業? いまいくつです?」
「ここに来て二年だから、十八じゃないかい?」
「うっそ!!!もっとおっさんだと思ってた!」
思わず叫ぶと、あんな顔のいい騎士に何てこと、と呆れられた。でも西洋の人って老けて見えるし、体格もいいし、高校生には全く見えない。大学生だとしてももう卒業するだろう雰囲気だ。
「十八……見えない……。じゃあ副団長っていくつですか?」
「さあ、三十くらいじゃないかい? あたしらと大差ないはずだよ」
「えっマーサさん子供四人いるんですよね?」
「街の女はみんな十八になる前に結婚するからね。珍しいことじゃないよ。しかしまあ、ミヨシ様はほんとに何も知らないんだねえ」
「だってここに来たばかりですもん」
「それもそうだね!」
ため息をついて、ハンカチを井戸水の入ったバケツに浸す。固く絞って目の周りにあてると気持ちがいい。
私が傍にしゃがみこんでいる間にもみんなは仕事を続けていて、手伝うと言ったら断られたことを思い出す。
聖処女に手伝わせたりしたら仕事をやめさせられてしまうらしい。
「実はさっきヴォルとけんかしたんです」
「そういうときもあるよ」
「ハルナとユリウスは上手くやってるのに、ヴォルはそもそも人の話を聞かないし、聞いたことにも答えないし」
「男なんてそんなもんさ。あいつらがよく喋るのは嘘つくときだけだよ」
「違いないね」
マーサさんの言葉におばさまたちは頷く。
「金を貸して欲しいときとかね、よく喋る男なんて悪だくみしてるってことさ」
「でも、あれしろ、これしろ、しか言わないんだもん」
「騎士様だからね。私らにもそんなもんだよ」
「態度悪すぎ!」
「命をかけて戦ってなきゃそう思うところさ。だけど、この砦が攻め込まれたら困るのはあたしらだからね。街には小さい子共もいるし、あたしらは戦うったって無理がある。それを考えれば、ここの団長さんたちが魔法を使えて砦を守ることには感謝してるよ」
考えていることを話してくれる、会話が成立するだけでこんなに気分が違うのにと膝を抱える。
「だからミヨシ様にも感謝してるよ」
「……私もみなさんには感謝してます。ごはんとか、シーツ洗ったりとか、全部お世話になってるから、よくわからないことばっかりだけど頑張ろうって思います」
「そりゃあよかった。さて、洗濯物も取り込んだし、お茶でもいれてあげようか?」
「いえ。お仕事の邪魔になるので、もう戻ります」
作業場の隅にある小さな鏡を覗くと、まだ目元は赤いけど悲惨なほど泣いたことがわかる顔ではなかった。
「また来てもいいですか?」
「あたしらでよければいつでも。こんな男所帯だからね、おしゃべりくらいしないと息が詰まるさ。みんなそういうもんらしいから」
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「ミヨシ様! おかえりなさい、大丈夫ですか?」
私とハルナが暮らしてる部屋に行く階段には兵士が見張りに立っていて、同い年くらいの男の子がいつも直立不動で何もない壁をただ見つめている。
暇じゃないのかと思うんだけどさすがに聞けない。ただ、暇だからこうして話しかけてくれるのだろうし、こっちも人との接触は限られているので大歓迎だ。
「ヨハンくん。まだひどい顔してる?」
「いえ、いつもと同じお顔です。俺の名前、覚えてくださったんですね。ハルナ様が先ほど通られたときに、ミヨシ様がヴォルフガング様とケンカしてたって教えてくださったんです」
「えっハルナ見てたの?」
「わかりませんけど、砦中で噂になってますよ。すごいですミヨシ様、あのヴォルフガング様とケンカするなんて」
「すごくはないよ。すごかったらケンカしないでしょ」
「そうでしょうか。だってヴォルフガング様、あのリントヴルム家の嫡子ですよ!?」
「騎士候のおうちなんでしょ? 貴族みたいなものだって聞いたけど、そんなにすごいの?」
「すごいです。ヴォルフガング様が王族の一員とご婚約予定なのも、すごいことですよ」
ちょっと残念なものを見る目で曖昧に笑うのはやめてほしい。
「ハルナ様が心配しておられました」
「そっか。ありがと」
部屋に戻るともうハルナがブーツを脱いでベッドの上でごろごろしていた。
この部屋は広くない。二つのベッドと二つの机でいっぱいで、他にものを置く広さはないのだ。ベッドの下には着替えや荷物を入れた箱がいくつかあるけど、他に収納もない。
「ただいま」
「おかえりー、いいなー、明日から王宮なんて!」
「日持ちしそうなおやつがあったら持って帰ってくるね」
「もうジャムとかなんでもいいから甘いもの食べたい……」
私とハルナだけが特別甘いものは大好きだというわけじゃない。元の世界にいたとき、おやつを食べないで三日も過ごしたことはなかったと思う。
それを除外して考えてもこの砦の食事はしょぼい。しかしレンジもないこの世界でおいしいごはんを作れるかはわからない。調味料が塩しかないのだ。
コチョウは貴重だというのは歴史でなんとなく習ったから覚えていたけど、どの世界でもそうらしい。代わりに変な薬草がトッピングされてることが多いけど、正直好きではない。
第四王子といってもただのおじさんだったこと、お姫様は本当にふくよかで境目が曖昧だったことなどを話しながらハルナと二人で夕食までの時間をごろごろしながら過ごす。他にすることと言えば、この国の文字を覚えるくらいしかない。
砦には大きな食堂があるらしいけれどそこで食べたことがないのは、一応神秘的な存在であるため大勢の兵士の前に出る時間がないようにされているせいだ。
こちらとしてはリラックスできていいけど。
サクラさんに睨まれた話に、ハルナは「よく聞けたね……」となぜか少し引いていた。
「空気悪すぎて聞けなかったけど、王族には聖処女はいないらしいんだよね。魔法使えないのによく王様、偉そうにしてられると思わない?」
「ミヨシは過激派だよね。まあ確かに、王様って偉そうにしてるだけじゃ反乱起こされそう」
「いろんな映画でも、なんでこいつの言うこと聞くのかなーってやついたし。まあ、王様殺して終わりじゃないから色々大変なんだろうけど」
「ミヨシの殺意が高すぎて私は怖いよ」
「ここで生きていくしかない状況なら違うのかもしれないけど、誰かと恋に落ちれば帰れるわけでしょ? 殺したいわけじゃないくて私は帰りたいの」
「でも、もしも誰かと結ばれたとして、だよ。そこまで好きになった相手と別れることになるのに、帰りたい?」
ハルナの言葉に私は一瞬、うん、と頷きかけた首を横に倒した。
そういえばそうだ。
それだけ好きになったら帰りたくないだろう。残念ながら付き合った相手が人生で一人もいないけれど、片思いはしてた。
もしも付き合ってたら、これから二度と会えませんなんて選択を自分でできてたとは思えない。
でもこの世界はあんまり好きじゃない。不便なことばかりで、早く帰りたい。家のあったかいお風呂で水をいっぱい使って、お母さんのごはんを食べて柔らかなベッドで寝たい。
「……帰ることしか考えてなかった」
「そんなことだろうとは思ってた。それにサクラさんだって、もう諦めてるとかじゃないんじゃない? 団長といる時、楽しそうだったもん」
「そう?」
「そうだよ! 副団長の聖処女は息も絶え絶えで辛そうだったけど、私調べによるとなかなか多いらしいよ、聖処女は召喚してくれた相手に尽くすパターン」
看護や治療のついでに患者と話をすることが多いというハルナは、この世界での色々な情報を仕入れてきては教えてくれる。
召喚できる人間は特別だと言うことも、一年に一度しか召喚の儀式は行われないことも、聖処女とそうでない女の見分け方が体型によることも聞き出していた。
そして、かつてこの砦にいた聖処女の一人が元の世界に還ったことも。
今年、二人の聖処女が召喚されたのは元の世界に還った聖処女がいるからだという。本来は二人も一度に召喚しないらしい。
召喚の儀式に使うものはとても貴重で、だからこそ私たちは他の働いてる人たちよりずっと優遇されてる。
その人はここ一年の間にいなくなったそうで、兵士たちの間でも噂になっていたらしい。
魔法の媒介でもある聖処女を失った騎士は身分を落とされ、上位の騎士ではなくなりどこかに左遷されたという話も聞いた。
「うーん、顔だけはいいけど尽くすには顔だけじゃ無理がある」
「ヴォルフィ、顔は完璧にいいもんね。モデルみたいだし、体も騎士っていうだけあって背が高くて男らしくて」
「私もどっちかっていうと顔は重要視していたというか面食いの自覚があったんだけど、だめみたい……あいつ喋らないし態度悪いもん」
「あっちにしてみたら、ミヨシも結構問題児じゃないかな。話はちゃんとするけどヴォルフィに対しては態度悪いと思う」
「ハルナ、私のこと嫌い?」
「ううん、好き。一緒にここにきたのがミヨシで良かったよ。もっと仲良くなれなさそうな性格だったら、私もひねくれて帰ることしか考えなかったと思う」
さらっと私がひねくれてるように聞こえたのは気のせいだろうか。
「ねえ、ミヨシはどうしてそんなに帰りたいの?」
「普通にあっちの暮らしのほうがよかったよ。ごはん美味しいし、お風呂きれいだし、学校は面倒なこともあるけど楽しかったし。なんでも自由だったもん。ハルナは違うの?」
「確かに生活は満足してたけど、私は少しくらいならこの世界のこと楽しめると思う。夏休みだし」
私もハルナも夏休みが始まってすぐにここに召喚された。私は友達と待ち合わせしていて、お祭りに行く途中だったのだ。連絡もせず行方知れずとか、友人たちに呆れられてないといいんだけどどうだろう。行方不明のニュースが広がっていたらきっと、約束を破ったとか言われなくて済むんだろうけど。
「帰れるなら楽しめるかもしれないけど、帰れなかったら? サクラさんみたいに大人になってもずっとこの世界にいたら結婚もできないんだよ? 海外旅行だって行けないし、みんなで遊びにだっていけないし、セールで服も買えないんだよ」
「ミヨシは遊ぶことばっかりだね。学校は?」
「勉強は得意じゃなかったけど、いとこのおにーちゃんがよく言ってた。高スペックと結婚したいなら、勉強してそれなりの大学に入れって。底辺の大学だと合コンすら参加できないからって」
「いとこの人に何があったの」
「大学に入ったけど合コン楽しくなくて絶望してるって言ってた」
「ミヨシのおうちは遊ぶことメインで生きてる?」
「楽しいことのために働けっておじいちゃんが」
「面白いおじいさんだね」
「うん。だから学校はそこそこでいいって考えだからうるさくないかな。夏休みだからいいけど、あんまり休むと留年になるから心配」
始まったばかりの夏休みを考えれば、約一か月は時間がある。その間に誰かを好きになって元の世界に戻れるかと言われると、さすがに私でも無理すぎない?とは思うけど。
「ここに来る直前だって、みんなで図書館で勉強した後にいったん帰って、また集まってお祭りに行くところだったんだよね。ハルナは?」
「夏休みだと一日があっというまだと思ってた。私の部屋、西向きだから夕焼けが綺麗なの。暑いけど」
「じゃあおうちで神隠しかぁ」
「親に心配かけるのだけはちょっと嫌だよね。家にいたはずなのにいない、なんてホラーだし」
「私はニュースで何らかの事件に巻き込まれた可能性がって言われるパターンだよ……コンビニの防犯カメラとかに最後の姿がとか言われてるのかなあ」
お祭りと言っても浴衣を着ていたわけじゃないし、適当な恰好だったので全国放送されるならもう少しスタイルがよく見える服にすればよかった。虫に刺されないようスカートはやめておこう、くらいしか考えてなかったのだ。
「サクラさんはわからないけど、ヨシノさんはこっちに来た時泣いてばかりだったって副団長が言ってた」
「一人で来たなら、泣きたくなる気持ちもわかるよ。私はびっくりしてたら、隣でミヨシが怒り出したからなんだか笑っちゃったけど」
私とハルナを呼ぶ儀式は、私が少しだけ早くてすぐにハルナが呼び出された。古い石造りの部屋の中、高い天井と床の間に何かがきらきら光って綺麗だった。
ハルナが来て、ユリウスが話しかけてるのを見て扱い違いすぎない?って思ったけど。
こっちは真っ先に舌打ちされたのだ。そして一方的な言い方に腹を立ててケンカして殴られた。どう考えてもやっぱりひどい。
こんこんこん、とノックの音がして、言いかけた言葉を飲み込む。
「はい?」
ハルナが返事をすると、木の扉の向こうから声がした。
「ハルナ、ミヨシ。話があるんだけど出てこれるかな?」
穏やかな声の持ち主はハルナを召喚した騎士兼医者のユリウスだ。
私とハルナは顔を見合わせて頷く。
「少し待って!」
ハルナの声には私がヴォルに対するときみたいな棘はない。
なんだろうね、と言いながら脱ぎ捨てたブーツを履いて、互いに服が乱れてないことを確認してから扉を開ける。
そこにはユリウスと、ユリウスより頭半分背の高い私の天敵がいた。
この世の終わりみたいな顔してるけど、そういう顔をしていいのはヴォルじゃなくて私だと思う。
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