第16話 貴女の憂鬱

 土曜日なのにも関わらずに、我が校は人で満ち溢れている。いや、そこまで生徒の数が多いわけでもないので、かなり盛ったと思う。それはどうでもいいとして、何故ここに居るのか、という事についてだ。

 それは数時間前、美術科の課題であるデッサンをする為に配布されたA4用紙がない事に気づいた。そればかりか『美術科で使用するアイテムその他諸々』が何一つ自宅にない事を確認した。おかげで、この有様である。

「めっ……めんどくせぇ……」

 何故、彼らは休日に部活動に励めるのだろうか。僕なら3日で疲れ果てそうだ。運動不足を極めた僕は、何度か体づくりから少しでも体型を変えれないだろうかと考えた。無論、毎日続ける事は不可能だったし、何より運動不足を極めすぎて身体が辛い。本当、運動部の皆さんには尊敬しか感じられないのだ。

「今日も居るのかな……?」

 優香の話を聞いてから、少しばかり気掛かりになっていた紫苑さんはあの日から……いや、そのずっと前から。彼女は、毎日踊り続けているのだろうか。昨日と同じ教室を覗いてみると、一人座り込んでポツンと佇む紫苑さんの姿があった。休憩でもしているのだろうか。詳細は分からないが、数回ノックをしてから教室の扉を開けた。

「おはようございます、紫苑さん」

 紫苑さんがこちらを振り向くと、少し暗い表情を見せたがすぐに笑ってくれた。

「あぁ……日向ちゃん、おはよう」

「今日も練習……ですか?」

 少し教室を見渡してからそう口にした。明らかに踊っていたとは思えない形跡として、綺麗に整列した机に違和感を覚える。それを踏まえ、今から帰宅だろうかと問いかけてみた。

「……ん、いや、今日は……もういいんだ。それより、どうしたの?」

 優しい言葉、この感覚に心が和む……筈だったのだが、机の上に置かれたカッターナイフに目が行き少しばかり気が逸れていた。

「えっ……あぁ、いや、ちょっと忘れ物を……」

 そっか。と、頬をポリポリとかく仕草を見せた紫苑さんの右手首には、少し赤いラインが入っていた。僕は少し不吉な予感を感じたが、それを感じるよりも早くに紫苑さんの右手を握っていた。よく見れば見るほど、生々しい傷口である事がわかる。

「紫苑さん……腕、どうしたんですか……?」

 この言葉にどんな感情が籠もっていたのかは分からなかった。心配の念だろうか。それとも、焦りだろうか。いや、それ以前に知りたくなかった……というよりは、『一つの可能性が事実であると肯定したくなかった』のだ。

「もう、踊るのはやめたんだ。昨日あんなに褒めて貰ったのに……なんだか、もういいやって思えてきて……」

「……妹さん」

 不意に、声に出してしまった。きっと、関わりがあるだろうと望んでもない悪い妄想が頭から離れずに飛び回っていたからだろう。

「え?なんで……なんで蘭花のこと……」

 「どうしたの急に」等と返してくれれば、どれほど良かっただろうか。本当にその二人は、繋がっていた。申し訳なさのようなもので胸が圧迫されるのを感じながら、必死に手を横に振る。

「い、いや、違うんです、別にそんなんじゃ……」

「日向ちゃん……蘭花のこと、知ってたの?」

 これからは、諦めた。1番望んでいない結果が確定した上で、理想を語る事を諦めるのが得策だと考えたから。

 言い訳も何もせずに、口に出した。優香から聞いたことを何から何まで、偽ることなく。


「そう……だったんだ。妹さん、不安にさせちゃってたんだ。ごめんって、伝えといてくれる?葬儀は……身内だけだったから……」

 本当に、申し訳ないことをした。蒸し返したく無かったろう。別に踊ることをやめたって誰も咎めるような人はいないだろうが、そんな思考を高速で処理していた最中、カッターナイフと傷口に関してを思い出した。

「それで……その傷口は……」

 この時は、怖かった。なんと反応が返ってくるのか分からない故、怖くて仕方なかった。

 そして、彼女の返事は、とても小さく返ってきた。

「蘭花への償い……だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る