第5話 僕を否定する
そんな下らない争いを繰り広げる二人を遠目で眺め、笑いを堪える斗真はひたすらに平然を保とうと歯を食いしばっていた。正直早く茶番を終わらせて欲しいのだ。腹の当たりがキリキリと痛む。
いや、腹痛とかではない。腹筋の問題だ。俺が、仮にも女の子同士である筈の会話を聞いて笑ってる。こんな状況を見てクラスの皆さんが引かない訳ない。
ただ、日向の奇行で笑ってるだけなのに。
少々今後の事も考え、この事は忘れて教室を見渡す。見つけた、同じ陸上部員の元へ向かうことにした。特に話題はないが、今は記憶を一時的に上塗りしてくれるならなんでもいい。
その途中に、俺と同じようにあの二人を見つめる影を見た。誰なのか、後ろ姿に長髪という事以外分からなかったが、それらを忘れたい俺にとってはどうでもいいので、歩調を早めた。
時は経ち、我々生徒一同は体育館に綺麗に陳列されて髪の薄い中年男性の話を聴くことになる。うん、いわゆる終業式だ。なんで座らせてくれないんだ。
しかし今に始まった事ではないが、この校長話が長すぎる。いや、長い云々というか、喋るのが遅い。かなり歳を食っている為、ジェネレーションギャップ的な何かがあるのは分かるのだが、どうにかならないのかと少し苛立ちを覚えていた。
今朝、一歩間違えたら五年ほど山籠りしなければならないレベルの羞恥を晒すところだった身だ。というか、晒した身だ。さっさと帰宅したいのは勿論のこと、それに加えて昨日の夜はまともに眠れた訳もなく、今ここで睡魔が次々と脳内を侵食していった。
ふと、肩を二度優しく叩かれる感覚を覚えた。首だけを動かして後ろを見ると、桜さんが微笑みながら両手を差し出していた。
「寝ても大丈夫だよ。私が受け止めるから……」
絶対に。絶対に寝てはいけないと言い聞かせて、全開まで目を見開き、桜さんの言葉を無視した。
とりあえず、学校生活というものとはこれで一旦おさらばである。晴れて夏休みというものを迎えられたので、ものすごく上機嫌で教室を後にしようとしていたのだが、またしてもいつのまにやらステップを踏んでいた。幸い誰にも見られていない。いや、本日二度目の死にたいである。僕は一体なんだ、痴態製造マシンか何かか。
階段を下って、下足を目指す。その際、全校生徒そのものが少ないこの学校で人に出会すことはあまり無かった。無かったのだが。二つ目の階段を下り、少し進んだ辺りでよく見る顔の女子生徒を発見した。多分、同じ教室にいたはずの人物だ。
あちらは視線をこちらに向けている。それは、何か敵意を示しているように見てとれた。名前こそ思い出せないものの、やはり同じクラスの人間であることは明確だった。
「ねぇ八雲。どうして今日は桜さんとあんなに仲良さげに話してたの?」
彼女は壁にもたれたまま、腕を組んで嫌悪を感じさせる視線でこちらに言葉を飛ばしてきた。
「……どうしてって、言われましても」
本音など言えるものか。言ってしまえばこちらの印象が壊れ、桜さんまで巻き込んでしまう。
「聞いてんだよ。なんもなけりゃああならねえだろ」
どうやら、相手の苛立ちを誘ってしまったらしい。やはり斗真以外の人と話すことにはまだ慣れないと簡単に理解させられる。
相手の言葉は止まらないようで、名も知らない人間が垂れ流す単語を耳に入れてゆく。
「前からずぅーっと思ってたんだよ、月見とは親しく話して?男友達居ますみてえなアピールしてやがんの。今度は桜さん巻き込んで。お前何がしてえんだよ?」
これが何を言いたいのか、全くと言っていいほど解らなかった。僕が本当に『女の子』なら解ったのかもしれないが、僕には到底理解できないものだった。
もちろん僕はそれらを理解したくもない。否定するように、とりあえず誤解を招かぬよう返事を丁寧に返した。
「僕と斗真はただの幼馴染だよ、そんな……」
言葉を遮るように、鋭く尖った言葉を彼女は挟んだ。それは、自分自身が捉える止めの一撃というのが正しいか、そういうものだった。
「必死に人目引こうとしてる様にしか見えないね、あんたみたいなのが桜さんについてたら邪魔だし、気持ち悪い。それにさ?『僕』とかキャラ付けまでして……ほんと気持ち悪いんだよ」
何故、こんな言葉がトドメになってしまったのか。それは、個人の持つ匙加減だ。
『気持ち悪い』というたった数文字を、僕はどんな暴言よりも辛く感じてきた。過去を辿ってきた今の僕なら、『死ね』よりも傷付く言葉と言っても過言では無かった。
『死ね』という単語が数秒で亡くなる命として比べるならば、『気持ち悪い』は不死身になる薬を飲まされ拷問を受ける感覚のようだ。比喩は下手くそだが、それくらいのものなのである。
僕は、幾度となく人の理不尽に拷問されてきた。それに慣れるわけもなく。また一つ、今回も涙腺から何か溢れそうになっていた。
この言葉が最後に僕の思考へ残した理解。それは、桜さんに認めてもらえない理由が少しは納得できた気がした。いうことだ。
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