第4話 僕は僕を隠して

 そういえば、今日で一学期は終わりだった。何故忘れていたかは考えないようにしよう。

 なんとなく予想はつくから。

 授業時間が短縮され、昼食すら持っていない。校内で過ごす時間が朝の間だけで終わるため、足早に帰る事が出来るではないかと部活動に所属していない僕は胸を躍らせていた。

 何故所属していないのか、なんて、野暮なことは聞かないでほしいが、敢えて答えるならば。

 そう、運動できないからに決まっておろう。


 結局独り言を延々と脳内でリピートし、いつも通りの道を行く。2年と少しの期間通い詰めていた横断歩道を白、黒、白、黒と。

 それは、義務教育に課せられた事柄を遂行するために考え抜かれた、一欠片の無駄もない通学路のルート。

 しかし、その道をなぞる期間も、一年を切ってしまっている。時の流れは早いものだ。

 それから、いつも通り同じ犬に吠えられながら、白線の内側を歩いた。

 歩道を作るスペースがないという事は分かっているのだが、この申し訳程度の白線は本当に機能しているのだろうかと疑いたくなる。

 しかし、いつの間にか無意識の身体が白線の上でバランスを取っていたなんてもっと早く気付きたかった。早朝およそ七時半の中学三年生である。いやはや、死にたい。


 死にたいとかほざいてから数十分が経過し、我が学舎へ着く頃。予想はしていたが、いつもより緊張を強く感じた。はい、毎朝このタイミングで絶対緊張してるんです。

 いつもは『おかしくないように』や『女の子みたいに』なんて、性に合わないと思いつつも平穏を保つ為にそれらを装ってきた。己を肯定したいという感情がそれらよりも小さいから、きっと偽ることを止める事ができないのだろう。

 そして、いつのまにかそれに慣れていた自分がいた。本当に、本当に情けない。

 そんな一部始終を通学路と同じように脳内で再生し、エンドロールが途絶えた瞬間に、また今朝の繰り返しかと頬を叩く。

 訳の分からないものたちがグチャグチャと暴れ回る気持ちを出来るだけ抑え込み、いつも通りの校門を抜けて教室へ向かった。

「ただ、いつも通りにしよう」 

 これだけ。たったこれだけを、僕は決めていた。


 今日は、授業が無いだけマシだ。勉強が苦手……かと言われればまぁそうでもないのだが。

 なんというのだろうか、自分自身が静寂を象ったような生命なのに、周囲が唐突に黙り込む空間が苦手なのだ。

 うるさいと感じる空間は嫌いだが、その嫌いなものによって安堵している。もう、自分の持つ感覚だとかを信じられなくなってしまうのではないだろうか。


 基本、人間は口を開けばその事だけを考える。

 例えるなら、人気があるゲームの話題で盛り上がればその事しか考えないだろう。それらの感覚があるという事を相手に感じると、安心出来る。

 これらを踏まえて、とりあえず考えついてみると、ある結果が生まれた。

 それは、僕自身が持つ癖。口を開かなければ何を考えているのか分からない他人が、いついかなる時も僕に不信感を抱いているのではと考えてしまうらしい。

 全く、面倒な思考だと思いつつもそれを振り切れない僕はしっかりと存在しているらしい。

 勝手な思い込みで作られた空想の思考は想像の域を出ない。だがしかし、だ。自意識過剰と言われようが、一度考えれば忘れない。トラウマとかと同じ、気になるものは気になるのだ。

 というか最近、心の中とはいえ喋りすぎる傾向があるのだろうか。それらを話す相手も居ないのに、解説じみた考えが頭を次々と流れているのは何故だろうか———

「だーれだ?」

「ひゃうんっ⁉︎」

 唐突といえ、とんでもない声を出した気がする。それも、かなりの声量で。本当にやめていただきたい。

 誰かと聞かれれば、それは100%桜さん以外の誰でもない声なのだが、恥の為か彼女に顔を見られたくないという衝動に駆られた。悲しいことに、結構プライドを削ぎ落としてくれたらしい。

 というか、向こうで斗真がものすごい笑ってる。今度、数年前のように玩具を使って殴ってみようかな。

「おはよー日向ちゃん‼︎」

 普段、斗真からは名字で呼ぶよう頼んでいる。なんと言っても僕はこの名前が嫌いだった。別に語感とかそういう意味はない。ただ、自分に似合わない。それだけだ。自分がこの名前を使っているという時点で、名前の通り明るく振る舞う全国の日向さんに申し訳なく感じてしまうのだ。偏見だなんて、分かってる。その上で、たどり着いたのだ。

 それをそんな大声で呼ばれたものなら溜まったものじゃない。いつのまにか自分の思考は、この教室に居るうち5,6人が『あいつの名前初めて知った』みたいな事考えてるだろうと自己解釈をしていた。それくらい、僕の存在は薄いと知っているから。

「いやぁ朝からいい声出してくれるねぇ……凄い元気貰ったよ」

「あの……ほんとやめて下さい……」

 照れと恥ずかしさが交わり、第三の感情を生み出しそうになった所で、ふと目に映った、遠くの方で机に突っ伏したままピクピクと震える斗真の姿を見て正気に戻った。あいつ本当に今度殴ろう。

 ここまでの話を聴く限り、御影さんは僕のことを悪くは思っていないらしい。それは大変嬉しいが、とりあえず今後、痴態を晒さぬようにしようと思った。おそらく第三者からの印象が転ぶ先は、二択。良か悪の二択なのだから。

 もう、中途半端なカーストには戻れない気がする。


 しかし、彼女が皆に太陽と比喩されるのであれば、自分はその辺の星屑にすら成れないと思っていた。それでも、今ならなんとか星屑の一片には成れた気がする。

「あの……桜さん。周りに僕の性別のこと知られたくないので、あんまり口にしないで下さいね……?」

「うん、じゃあ日向ちゃんも私が女の子しか好きになれないこと、言わないでね……?」

 なんとなく不安要素として生まれていたのだが、やっぱりこの人、あの時の僕の話を聴いてくれていなかったらしい。目標依然として、ちゃんとした関係を築いていけるだろうか。先程のような声を出しているうちは認めてくれないかなと、感じる。そしてまた今夜も、いつまで経っても低くならない地声を怨みながら布団に潜る羽目になると。この時の僕は考えもしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る