第2話 君の返答

 この人生、思い返せば『おかしい』と言われなかった事自体が少なくない。些細なことでも、小さな子供が捕らえれば悩みになるのだろう。

 小さな子供という概念がどこまでなのかは分からないが、多分今の僕は違うのだろう。そうだと信じたい。

 確かに、幼稚園生の頃は誕生日に特撮番組の剣や銃の玩具を買ってもらおうとしていた記憶がある。それを使って斗真と殴り合ったのも記憶に案外新しい。

 ちなみに、加減を知らなかった頃の僕が斗真に圧勝したのは内緒だ。

 それから時間が経てば、男女問わずプレイしているような万人向けゲーム等を好むようになった。多少はマイナー路線に切り替えた頃もあったが、最終的には国民的RPGに行き着いている。そして、今でも続編の発売は心待ちにしている。


 当時の無垢な僕に対し、肉親が疑問を持たず接していたことが不思議でしかたなかった。

 いや、疑問は持っていたのかも知れない。

 それを確かめる術は残念ながら無いのだが。

 だが、今でも稀に少年誌を読むことはあるが、別におかしくはないと思っている。

 はっきりとした『正しい行動』と、曖昧な境界線が敷かれた『正しいと思っている行動』では少し確信を遠ざける事になるが、たまには思い込んでしまう方が良いのかもしれない。


 外の景色が朱色から紫になり、少しずつ闇が溶けていく。景色に投影された色だけを見て確かめて、自宅のベッドに寝転がる。うつ伏せて、枕に顔を埋めて過去を散策していた。

 斗真を殴った事や、斗真を殴った事、あと斗真を殴った事だとか……

 何が『思いこんだ方がいい』なのだ。斗真殴ってた記憶しか存在しないではないか。

 途端、聴き慣れた声が扉の向こう側から聞こえた。今朝以来聴いていない声だ。

「お姉ちゃ〜ん、ご飯だよ〜」

 時計を見ると、時計の針は十九時半を指していた。

「……はぁ……今行くからぁ……」

 身体が重く感じる。どうにか時間をかけ起き上がり、リビングルームへ向かって歩き出していつもの光景にたどり着く。テーブルに向かい置かれた4つの椅子から1番近い場所へと腰掛けた。 

 いつも通りの質素な夕飯を妹の優香ゆうかと二人きりで食べる日常、普段となんら変わりない筈なのに。

 昨日、あの事を斗真に知られていたという事実が味を少し濁していた。

「……どうしたのお姉ちゃん……不味かった?」

 私が落ち込んでいることに気付き、気にかけてくれたらしい。

 とんでもないのだ、妹の料理は普通に美味しい。この日常が浸透していった頃を除いて仕舞えば、味に外れた日など存在しないのだから。

「いや、美味しいよ……いつもごめんね。お姉ちゃん料理下手だから……」

 少し申し訳無く感じながら、言葉を口にすると「大丈夫だよ。私、お料理好きだから」と笑顔で返してくれた。

 妹の前でだけは、自分を『お姉ちゃん』と語る。また、『当然』を盾に真実を伝えることを恐れる自分が震えているらしい。

「本当に……ごめんね」

 本当なら、早く言葉を吐き出してしまいたい。

 そうすれば、楽になるものがあるのだろう。その先というのが、僕の欲しいもの。

 だが、万に一つ違うものが待っていたらと思うと、この身体は動かないのだろう。

 正直言って、今の気持ちを桜さんに伝える事だけに関しては数ヶ月前から覚悟していた。ただ、最後の一押しである秘密の暴露だけが気がかりで、覚悟が決まらず保留を繰り返して今に至る。

 不意に、斗真の言葉が脳内をよぎった。

 『受け入れてくれる』と。

 まだ彼にしか言っていないが為、どのような反応が返ってくるのかが怖くて仕方ないのだ。

 不確定を後押しして勇気付けようとしてくれている彼は、きっと僕が良い結果に出会うことを願っているだろう。

「……ねぇお姉ちゃん、何か困ってるなら相談乗るよ……?」

 また、眼前の少女から聴き慣れた声。

 その表情から、我に帰り自身の顔を少しだけ歪める。

 実の妹に心配をかけてしまっているという事実にそのとき、気付いたのだ。

「……いや、大丈夫だよ。本当に……」

 勝手な解釈として現れたのは、こんな話を何度も聞かされる斗真の身にもなれという内容だ。

 加えて、この無垢な小学生の妹にまで心配を掛けるなんて。

 もう本当に、自分のせいで周りが不快に成るなら早く解決させたいものだと感じた。

 気が付くと両方の涙腺からはかなりの量の水が溢れていた。


 …格好悪い『お姉ちゃん』は、その顔を更に歪めた。



 遂に覚悟を決めたのは昨日の夜。

 この両目から溢れ出た水滴たちが、罪悪感を洗い流してくれればよかったのにと今尚思っている。

 しかし、それは僕がすべきことだ。

 今、目の前には夕景がオレンジ色に染まった世界と……桜御影、その本人が居た。

 もう何も隠さないし、何も迷わない。自分がどう思われようが、斗真や実の妹に迷惑をかける訳にはいかない。それならここで——

 なんて、考え方は今は要らない。罪滅ぼしじゃなくて、私利私欲のため選んだ展開なのだから。

「桜さん。最初に言いたいことがあるんだけど……いいかな」

「うん、私もね、前から日向ちゃんとお話したいなって思ってたんだ。でも、あんまり喋らない子なのかなって思ってたんだけど、今日は話してくれるんだね」

 桜さんはいつもの雰囲気で笑顔を見せて口を開いた。その一言一言が単語、一文字に至るまでがカウントダウンの様に形作り、心臓が速くなるのを感じる。

「僕は……本当は男なんです。それでもこうして女の子として生きて……それで……その……桜さんの事…好きになってしまったんです‼︎」

 顔が熱い。見えなくとも赤くなっていることが感じて取れた。

 もう、悩んでいたあの頃は取り戻せない。僕が手に入れるのは理想か、虚構か。その二つだけだ。

 続けて深々と頭を下げ、心臓を抑えている。それで尚、口から言葉が止まる事はなかった。

「分かってるんです‼︎桜さんからしたら女の子同士でこんな事……それでも僕は『男』として……‼︎」

 最後の覚悟を決め、顔を上げた。視界には、相変わらず夕景と眼前で逆光を受けて影を作るその姿だけがある。

 その目に映っていた桜さんの姿には、僕を軽蔑で見るような素振りは無かった。

 当然と言わんばかりに彼女は顔を赤く染め、口を抑えて目を見開き呟いていた。

 おそらく……いや、確定だ。その表情は、驚いた人が見せるそれだ。

 この反応は、当然なのだろう。


 だが、まさか彼女の返答第一声がそれだなんて予想つくわけがないだろう。

「僕……だと……?」

 少しずつ彼女の目に光が増していくのが見て取れた。不安なことを口走る彼女は好奇心の塊みたいな感じだった。

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