第十三話 「なかなかどうして、世界は広いな!」
翌朝、みんなより早く起きてしまった。
あたしは久しぶりのベッドを抜け出し、外に出る。新たに始めた日課をこなすためだ。
外はまだ薄暗く、太陽が少し顔を出している程度。
そんな薄ら寒い中で、深く息を吸って、吐く。前世の記憶を辿りながら、身体もゆっくりと動かしていく。
今あたしがやっているのは、いわゆる太極拳だ。たまにテレビで健康と美容に良いとか言われている、あの太極拳。
これが精神統一には丁度良く、気分が落ち着く。
『ライナク』のレントが使う総合格闘技『ライジングアーツ』にも、当然太極拳の要素は取り入れられているので、鍛錬も兼ねられる。
今日こそ『森の王』を討たねばならない。決戦までにできる限りの準備をしておきたかった。
思えば前世では身体が弱かったあたしが、こうして健康体に生まれて朝イチで太極拳ができるとは。そういう点だけは創造神テラ様に感謝ね。
「何なのだ、それは? キミの一族に伝わる踊りか何かか?」
気付けば、ジークさんの声。彼女も早起きしていたようだ。
「おはようございます、騎士サマ。ただの精神統一よ」
「おっと、ルーティーンだったか。邪魔をしたな」
「別に構わないけど。あなたも朝の日課?」
「その予定だったが、キミが起きているなら丁度いい」
ジークさんはその辺に落ちていた檜の棒を拾い、レイピアを手に取った時と同じ構えを取る。
「少し、組手をしないか? 無論、マキナ抜きで」
「……へぇ」
悪くない、と思えてしまった。『森の王』戦のウォーミングアップ程度には良いかもしれない。
それに、ジークさんの手の内も知りたいと思っていた。これから連携するなら尚更だ。
「どこからでも来るといいぞ」
「じゃあ遠慮なく」
あたしは『ライジングアーツ』の構えを取り、軽くステップして脚を踏み込み、一気に間合いを詰める。いつもの得意な距離に持ち込む戦い方が、果たして王国騎士相手に通用するかどうか。
答えは、すぐに出た。
「シッ――!」
脇腹狙いで右フックを繰り出そうとする。だが、彼女の動きの方が速かった。
「なるほど!」
短く感嘆しながら、ジークさんはバックステップで躱す。しかしそれも想定内。むしろここで追撃するのが正解だろう。拳を引き戻しつつ、そのまま左回し蹴りを放つ。
けれどこれもまた空振りに終わった。ジークさんはまるでこちらの動きが全て見えているかのように最小限の動きで回避していく。
思ったよりジークさんの身のこなしが軽い。
身軽さではニューの方が上だが、ニューの身のこなしは猿とかそういう類のものに近い。
対してジークさんの動きは、訓練され、実戦を重ねてきた熟練の兵士の動き。
十八歳と聞いていたが、前世と合わせてもあたしより歳下。ミュウ君が知識と閃きの天才なら、彼女は体術の天才といえるだろう。
「決して直線的というわけではなく、稀にフェイントを仕掛けて相手を惑わす柔軟さも併せ持っている。魔法技術の隆盛及びマキナの台頭で、武器を使わぬ格闘術は護身術レベルにまで廃れたと聞いてはいたが――」
ジークさんが反撃に転じ、レイピアに見立てた檜の棒をカウンターの要領で、あたしの顔めがけて突く。予備動作さえ見極めていれば、右に避けるのは容易かった。
「なかなかどうして、世界は広いな!」
そこへジークさんは『足元がお留守ですよ』とばかりに身体を回転させて足払い。バランスを崩したあたしは咄嗟に両手で地を支え、逆立ちしつつの回転脚。ジークさんが慌てて飛び退くと同時にあたしも着地し、一呼吸置く間もなく再び踏み込む。
すかさずそれを読んだジークさんがカウンターで棒を突いてくるも、あたしは反射的に真剣白刃取りの要領で迫る棒を両手で受け止める。
そこからはほぼ合気道のように相手の力を利用して投げ飛ばすような感じで、ジークさんを投げ飛ばした。
「……ふぅ」
地面に叩きつけられる寸前で受け身を取られたものの、勝負あり。
前世、『ライジングナックル』で培ってきたあらゆる経験と知識を総動員していなかったら、ジークさんほどの天才には敵わなかったろう。
「いやはや、多少荒削りに見えたが見事なものだ。誰から手ほどきを受けたのかな?」
「師匠はいない。勝手にあたしが見て、真似ただけよ」
寝転がっていたジークさんに手を差し伸べて、起こす。
「別に信じてくれなくてもいいけど、あたしには前世の記憶があって。その記憶の中の格闘家の動きを自分なりにトレースして再現したのが、あたしの『我流・ライジングアーツ』ってわけ」
「なるほど……全然わからん」
「信じる以前に理解できなかったかー」
「わからん、が――」
ジークさんは立ち上がりながら不敵に笑い、あたしを見据えた。
「洗練されたものであるのは伝わった。ただの暴力というわけではなく、相手を理解しようとする姿勢も感じられた。きっとキミは、恵まれて育ったのだろうな。心から信頼できる人間に囲まれて……」
ジークリンデ・シグルド……この人はやはり鋭い。
知能指数は足りていないが、何事にも前向きで、その上人を見る目がある。
そういうところが、彼女を騎士団のいち小隊長にしたのだろう。
拳を交わすことで見えてくるものがある。ライナクでレントの師匠もそんなことを言っていた。
あたしはただ喧嘩をするために『ライジングアーツ』を真似ていたわけではない。
それこそジークさんの言う通り、相手を理解し、対話するための力として模倣してきた。
現に、今の組手であたしはジークさんの強さの一端を知ることができた、気がする。
「買いかぶりすぎよ……あたしはただ、自分が生きるために技を極めただけで……」
身内以外から褒められ慣れていないせいか、顔が熱くなる。
「そんなことはない。キミは志だけなら立派な騎士の器だ。私が保証する」
「そこまで褒められるとホント恥ずかしいけど……ありがと」
ここでふと、腹の虫が鳴くような音が聞こえる。無論発信源はジークさんだ。
「運動したら腹が減ったな。皆を起こして朝食にしよう」
「そうね。特にジークさんの場合、魔力の燃費が悪いからガッツリ食べないと。戦闘中にぶっ倒れても困るし」
「はっはっはっ、違いない! 返す言葉もないな!」
「ねえ、その台詞気に入ったの? ちゃんと反省してる?」
「はっはっはっ」
「笑って誤魔化した!? どんだけ面の皮厚いのよ!?」
『森の王』との決戦、本番前の朝。
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