幕間その一 「初めて徒手空拳で狩りをした時のお話」
これはあたしが異世界フロイデヴェルトにラグナ族として生まれて十年経った頃、初めて徒手空拳で狩りをした時のお話。
「すまねえな、レヴィンちゃんが扱える武器は売り物にねえんだ」
定期的に集落に来てくれている旅商人のロブロイさんは、あたしに現実を叩きつけてきた。
ここラグナ族の集落では十歳を過ぎると、大人たちの狩りに同行させてもらえるのだが、狩りにも訓練は必要。あたしは一通り狩猟道具を使ってみたものの、ろくに扱えないでいた。
いや、扱えないという誰でも一度は通過するレベルの話ではない。あたしの場合は、ほぼ例外なく道具を壊してしまうのだ。
一度力を込めれば弓を折り、力を込めて槍を投げれば空気との摩擦熱で目標に当たる前に四散、斧を振るえば刃こぼれを起こし、ナイフ程度なら簡単に折れる。
凄腕の傭兵として王都で活躍している父から遺伝した怪力だというのならギリギリ許容できよう。
しかしあたしの場合は、健康体で駆けられることが嬉しくて、よく集落の周辺で著名な野生児の如く遊びまくったのが、結果的に体力づくりに繋がってしまったのだ。
父からの遺伝とそれが化学反応を起こしてしまったのだろうと自覚するのに、それほど時間はかからなかった。
「そこをなんとか……同世代の子はみんな扱えてるのに、あたしだけ壊してばっかりなのが申し訳ないのよ」
「と、言われてもねえ。たとえレヴィンちゃんが扱えそうなものだったとしても、おじさんは売らないから」
「何でよ?」
「『壊し屋レヴィン』って悪名が集落中に知られてたら尚更だよ。おじさんは商品を大切にしないお客様とは商売しないって決めてるんだ」
「うっ……」
ぐうの音も出ない。誰が壊し屋の悪名を広めたのかは置いといて、確かにあたしが商人の側でもそんな客は願い下げだ。
「力になってやれず、すまないね」
「気にしなくていい……ひとりでどうにかするわ」
何も買わずロブロイさんと別れて、家に帰る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あたしはただ、第二の人生をこの健康体で普通に歩みたかっただけなのに。
この怪力のせいで、同世代の子たちと同じ歩幅で歩けないという体たらく。このままだと、いつか誰かを殺してしまいそうで怖い。
でもいっそ殺すなら、その辺の凶暴な動物の方が――。
「よし、やってみよう」
自分の考えを振り払うように声を出す。
そうだ。狩猟道具を使わなくても獲物は狩れる。それを証明してやろうじゃないか。
まずは獲物の動きを封じる罠を作ろう。ロブロイさんと物々交換で取引をして素材を貰うことにした。
「ロブロイさん、これで捕獲罠に使える素材、おねがい!」
「その手があったか。じゃあこの素材あげるね。頑張って」
「ありがとう!」
ロブロイさんの笑顔に見送れながら、早速作業に取り掛かる。
とは言っても、罠作りなんて経験も何もないので、父が集落に帰ってきたタイミングで教えを請うてみた。
「ああ、いいぜ。とは言っても、罠作るのはアイツの方が上手かったから見様見真似だぞ」
「アイツって?」
「俺の嫁さんでお前の母ちゃんだよ」
「そっか……でも別に見様見真似でいいよ。気になったところをアレンジ加えてみるから」
「ウチの娘は優秀だな!」
あたしの頭を荒々しく撫でながら大げさに褒める父。ちょっと痛いけど、こういうスキンシップは嫌いじゃない。
数日かけて、遂に罠が完成。
材料はロブロイさんから貰った素材と、森で見つけた丈夫な蔓を組み合わせたものだが、それなりに強度はあるはずだ。
「ほぉう、初めて作った罠にしちゃあ悪くねえ」
「早速仕掛けてくるわね!」
さあ、これで狩りを始めよう。
意気揚々と森の中へ足を踏み入れる。今度こそ獲物を捕らえるぞ!
※※※
あたしは獲物が通りそうな場所に目星をつけて、罠を仕掛けていく。
「さて、これで引っかかってくれるといいけど……」
設置した罠を見て回り、最後のひとつを設置した時だった。ガサガサと茂みが揺れる音が聞こえてくる。
ついに来たか。
あたしはいつでも戦える準備をしながら、ゆっくりと音のした方へと近づく。
茂みの奥で見たものは――。
「ええい、こんなところに罠なんぞ仕掛けおって! わし神ぞ? 分体じゃけど神界じゃ創造神ぞ? 罰当たりにも程が……あ、駄目じゃ。わしの力じゃと全然抜け出せん。誰が助けてくれぇ! 罠にかかった哀れな妖精を救ってくだされ人間様ぁ!」
あたしの罠に引っかかって悪戦苦闘している、創造神の分体の惨めな姿だった。
「……なんでよ」
「お、レヴィンではないか! ちょっと手を貸してほしくての! この通り、頼む!」
頭を下げているつもりのリテラに溜め息が出る。
神様ともあろう方が人間の子供が仕掛けた罠に嵌まって助けを乞うなど、如何に弱々しい分体とはいえ恥ずかしくないのか。
とても見てはいられないので、仕方なく罠を解いてあげる。
「いやあ、助かった助かった」
「まったく……あたしが仕掛けた罠じゃなきゃ、売り物として捕まえられてオークション行きだったわよ。神なのに」
「何? 仕掛けたのお主か! この歳で戦術眼を磨いておったんじゃな! 関心関心!」
「うわっ、叱るどころか褒めてきた! 気持ち悪いなぁ、その保護者目線……」
罠から開放されて元気にあたしの周りを飛び回るリテラ。
この創造神の分体たる妖精は、あたしが生まれてからずっと集落に住み着いて、流行病で亡くなった母・ハンナの代わりにあたしの教育係を仰せつかっている。
正直ウザい存在ではあるが、教育に関しては有能だったので何も言えない。このフロイデヴェルトについての知識もそこそこ教えてもらったし。
「で? しばらく見ないと思ったら、どこに行ってたのよ?」
「決まっておるじゃろ、魔獣の調査じゃ。何の成果も得られんかったがのう」
そういえば前にそんなことを言っていたような。
「わしのことより、そっちはどうなんじゃ? どれくらい武器を壊した?」
「どれだけ獲物を仕留めたか、みたいなノリで聞くんじゃないわよ……。獲物ならまだ一匹も獲れてないし、壊した狩猟道具はもう数えるのをやめてる」
「それで罠、か。まあ確かに武器を壊すよりは確実かもしれんのう」
リテラの言葉にあたしは何も言い返せない。
実際、武器を使って狩りをするよりも、こうして罠を使ったほうが獲物を確実に仕留められる確率は高い。それは認める。
でもあたしは道具破壊からくる狩猟経験のなさで、同世代から随分と差をつけられている。どんな手を使ってでも大物を獲らねば、壊し屋の汚名は返上できない。
「とにかく、次からはさっきみたいにあたしの罠に引っかからないでよ。解除するのも一苦労なんだ……から……」
「わかっとるわかっとる。動けなくなって獣に食われては一巻の終わりじゃからのう」
気が抜けて呑気に漫才でもしていたのがいけなかったのか。
こちらに迫ってくる重い足音に気付き、リテラの後ろを見れば、大きな影がすぐそこまで迫っていた。
「危ない!」
身体が反射的に動き、リテラを抱え込んで地面に伏せる。
直後、あたしたちの頭上を巨大な何かが通過していった。
「ひぃ!? またビックリさせおって! 何なんじゃいったい!?」
「どうやら、とびきりデカいのが釣れたみたいよ」
あたしたちを通り過ぎていったものは、四足でブレーキをかけて、あたしたちの方に振り返る。
ビッグボアだ。
まさに巨大な猪。一回り小さいサイズのボアを父が獲ってきたことがあったが、鼻の位置があたしの背丈ぐらいなサイズのものはこの辺りでは見たことがない。
ビッグボアが鼻を鳴らして、あたしたちを見る。そして口を開き、牙を見せびらかすように大きく開けた。
「こっちが食われそうじゃあ……」
「でも好都合よ。このまま罠まで誘き出す」
あたしは立ち上がって、腰から申し訳程度の護身用に準備していた木製ナイフを抜き取る。
罠は各所に配置済み。ビッグボアのサイズを考えれば、どれも致命傷になりうるだろう。
あたしは息を吸い込み、ゆっくりと吐き出して、呼吸を整える。
「来る……!」
ビッグボアが動いたのを見計らって、あたしは後ろに跳び上がった。そのまま樹の枝に乗って、そこからさらにジャンプ。次の枝に跳び移っていく。
ビッグボアは一瞬だけ戸惑ったようだったが、すぐにあたしを標的と認識し直して、先程までの緩慢さが嘘のような速度で追いかけてきた。
「よし、いい子ね」
あたしは罠のある方角へ誘導するように、わざと木の少ない場所を選んで逃げていく。
ビッグボアもそれが狙いだと理解しているようで、木々をなぎ倒しながら一直線に向かってきた。
あたしは樹の上を走り抜けるように、樹から樹へと跳んで移動する。
ビッグボアは樹々を薙ぎ倒しながら追いかけてきた。下手すれば追いつかれるかもしれないが、そこは気合と筋肉でカバーする。
もうすぐ罠を仕掛けた地点だ。あと少し―――。
「うわっ!?」
しかしここで足場としていた樹の枝が折れた。
このまま落下してしまえば、猪突猛進中のビッグボアに轢かれて吹き飛んでしまう。そうなればいくら頑丈なラグナ族とはいえ即死は免れない。
「こんなところで……負けたくない!」
あたしは咄嗟に樹の幹を三角跳びの要領で蹴る。そのまま別の樹を蹴って方向転換。
勢いのまま、猛進するビッグボアに向けて蹴りを放った。
「セリャァァァッ!!」
猪は急に曲がれない。渾身の三角跳び蹴りはビッグボアの眉間に命中、その巨体を弾き飛ばした。
だがそれで止まれるはずもなく、数メートルほど地面を引きずった後に、ドサリと仰向けに倒れ込む。同時にズシンという衝撃と音が響いた。
着地を決めたところで、あたしはようやく自分の置かれた状況に思い至る。
「あれ? あたし今、『メテオ・シュート』使ってた?」
『メテオ・シュート』とは、さっきの三角跳び蹴りのことだ。『ライジングナックル』の主人公・レントが使っていた必殺技のひとつで、地上にいる相手に奇襲を仕掛ける空中専用技。
ライナクをやっていた時はヒーローの必殺技っぽくて格好良いという理由でよく使っていたものだ。
まさかそれを偶然にも実践できたとは。この健康体なら、レントのすべての技を再現するのも不可能ではないのでは?
「やりおったのう、こいつぅ!」
リテラが飛んで追いついてきたところで、我に返る。
「跳び蹴りで眉間に当てて頭蓋を一撃とは。こりゃ脳もグチャグチャじゃのう。ようやった!」
「今ので……死んだの?」
恐る恐るビッグボアに近づいてみる。あの荒々しかった鼻息も聞こえず、赤いと思っていた目も白目を剥いて濁っている。完全に絶命していた。
「ああ、死んでおる。間違いなく死んどるよ」
「そっか……良かったぁ……」
思わずその場に座り込んでしまった。
偶然が重なったとはいえ、あたしは初めて狩りを成功させた。しかも罠や道具を使わずに大物を仕留めたなど、まるで漫画に出てくる最強の空手家のような偉業も成し遂げた。達成感と安堵からか、全身から力が抜けていく。
「ほれ、立て。後始末が残っとるぞ」
「わかってるけど、ちょっと休ませて……」
「まあ初めて自分で狩猟できたんじゃ、無理もないか。ほれ、水でも飲め」
「ありがと……」
あたしはリテラから受け取った水筒の水を一気に飲み干す。
冷たい水が喉を通り抜ける感覚に、熱くなっていた頭が冷えていく気がした。
「やはりお主は道具を使うより、素手で獲物を仕留める方が合っているのかもしれんな」
「そうね……素直に喜べないけど」
「だが、自分の身体でレントの技が使えたのは気持ち良かったじゃろ?」
「ノーコメントで」
「照れるな照れるな」
「照れてない!」
あたしは立ち上がると、ビッグボアの死体へと歩み寄る。
この世界に生まれて十年、生きるためとはいえ生き物の命を奪ったのは、これが初めて。
どうか魂だけは安らかに。あたしはあなたの肉を糧に、これからも生きていきます。
そんな感じで糧となる命に黙祷を捧げて、仕留めた獲物を背負い、集落まで戻るのだった。
※※※
ビッグボアを背負って集落にたどり着くと、集まっていた大人たちがざわめいた。
仕留めた大物を子供のあたしが持ってきたのだから無理もない。
「レヴィンちゃん、これは一体……?」
ロブロイさんも唖然としていたが、すぐに気を取り直す。
「まさかひとりでこれだけの獲物を狩ってきたのかい!?」
「うん。死にそうになったけど、ロブロイさんの素材が役に立ったよ」
嘘である。確かにロブロイさんから貰った素材で罠を作ったが、それすら使わず蹴って倒したなど、言っても信じてもらえないだろう。
「それは何よりだけど、本当にひとりで大丈夫だったのか? 何かあったんじゃないかと思って心配してたんだぞ」
「大丈夫、これでも鍛えてるし、レオン・ゾンネの娘だもの」
腕の力こぶをアピールするようなポーズでニカリと笑うあたし。
少しこの身体で生きていける自信がついたことの表れでもあった。
「さあさ、皆の衆。これだけのデカい獲物じゃ、今日中に食わんと勿体ないぞ! 宴の準備じゃ!」
まるで自分の手柄のように割り込んで仕切り始めたリテラ。大人たちは戸惑いながらも、彼女の言葉に従って解体作業を始めた。
「よぉし、さっさと血抜きして解体だ。牙や角は残しとけ! ロブロイに交換してもらう分だからな!」
父がリテラの仕切りを引き継いで指示を出す。ビッグボアの死骸に縄をかけて引っ張り、小川の方へ運ぶ。
「レヴィン、運搬を手伝ってくれ!」
「わかった!」
あたしは父に呼ばれて、得意分野で宴の準備に貢献したのだった。
※※※
太陽が沈んで双子月が見えた頃、ビッグボアの肉を皆で食す宴が始まった。
あたしも初めて食べる大きな猪のお肉に舌鼓を打つ。
「美味しい……!」
獣臭さや野性味はあるが、噛み応えのある食感と旨みたっぷりの脂がたまらない。
味付けはロブロイさんが提供してくれた塩のみだが、それがまた肉本来の味わいを引き立てている。
夢中で食べていると、父が隣に座ってきた。骨についた肉を貪るその姿は、まるで漫画のワンシーンだ。
「クーッ! ボアの肉も良かったが、ビッグボアの肉ともなると格別だぜ! 葡萄酒にも合う!」
「ほんと、美味しいわね」
「そりゃお前が獲った肉だからな! 旨くねえわけがねえ!」
「パパ、出来上がるの早すぎない?」
「馬鹿言え、酒じゃなくてお前の功績に酔ってんだよ!」
十年親子として付き合っていても未だに慣れないこの暑苦しさ。
それも悪くないと思えてしまうのは宴の持つ魔力のせいなんだろうか……なんてね。
「パパ。あたし、自分の生きる道が決まった気がするよ」
「急にどうした」
「今回の狩りを通して理解したのよ。自分の得意分野は何なのか、どうすれば満足に生きられるか。要は思い出したの、あたしの原点ってやつを」
「原点?」
「あたしはただ、『負けたくなかった』。それだけ」
それこそが、あたしがこの世界で生きる意味。負けず嫌いの意地汚さが、今の自分を作り上げた。
「へへっ、俺の子供らしくなく難しいこと考えてたと思ったら、負けたくないってか。似てきたな、ハンナに」
「ママも負けず嫌いだったの?」
「ああ。若い頃はそりゃあもう、事あるごとに俺に突っかかってきてな。色々勝負を挑まれたモンよ」
「最初はライバル同士だったのね」
「それがいつの間にか流れで結ばれてお前を産んじまったんだから、人生わかんねえよな!」
父は豪快に笑いながら酒をあおる。
「レヴィン、お前はこれからもその調子で大人になるまで生きていてくれ。そしていずれ、俺の――」
「うぇーい! 飲んどるか、レオーン!」
突然リテラが親子の団欒に割り込む。どうやらリテラも相当葡萄酒をガブ飲みしたようで、すっかり出来上がっている。
「うわっ、酔っ払いが増えた……」
「お主も成人になれば酒の魔力にノックアウトじゃぞ~、ぐへへへへ」
「あぁもう酒臭っ! ごめん、パパ。さっきなんて言ったの?」
「さっきぃ? 覚えてねえなぁ! もう一杯葡萄酒くれ!」
結局、父が何を言おうとしたのか聞けないまま宴の夜は更けていった。
それからのあたしは、トレーニングメニューを増やしながら狩りにも参加して、必殺技再現のレパートリーを増やしていくのだが……それはまた別のお話。
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