第112話 言葉がやりすぎになるのを恐れたり
「あおい」
「なに?」
ドアの向こうから、あおいが返事をした。
――わたしが一緒にいるのを嫌がるわけないからね? 一緒にいたいのはこっちだから。
一緒にいたい、まで言ったらヒくかな。ちょっとウザいよな。
「前菜みたいなの作ってつまんでるから、焦らないでゆっくり入ってていいよ」
ふ~~。
体の緊張が一気に抜ける。肝心なことが言えない。
前菜みたいなの、ってなんだよ。ただの豆腐サラダだろうが。もう一品、チーズ焼きでも作ればいいか。
「ありがと。シチューも先に食べてていいよ」
「そうする」
うなずいて、脱衣所を出ようとする足を右手でぴしゃりとたたく。回れ右すんじゃねー。
せめて否定しろよ。もう一緒にいたくないのか、って聞いてきたんだぞ、こいつ。
――何考えてんの? 蓋しめないぐらいで、一緒にいたい気持ちは無くならないから。
「あおい」
「なに?」
快適な同居ができてると思ってるから、とか。そのぐらいのほうがいいかな? 一緒にいたい気持ちが無くならないって、重くね?
「あとでわたしも入って掃除するから、お湯はためっぱなしでいいよ」
「うん。ありがとう」
ふ~~。
もう、今言う必要なくないか? 風呂出てからでいいんじゃね? しつこくなってね?
……いや? だめだ。時間が経てば経つほど、ただのフォローとか言い訳に聞こえる。すぐに否定しなかった時点で、あおいの中では「否定しなかった」のが答えになってしまってる。今言っても遅いぐらいだ。
蓋は気になるけど、そんなことで、あおいを嫌いになるはずないんだって。そのまま言え。
そのぐらい言えよ。なんの勇気がいるんだよ。
「あおい」
「なに?」
蓋はどうでもいい。どうでも良くないけど! あおいといられなくなるぐらいなら、蓋マジどうでもいい。せめてそれ言え。
「今日は、出血大サービスだから」
「なに?」
あおいの声が、そろそろ不審そうな色合いに変わってきている。
「全部あけっぱなしにしていいよ」
返事がない。
「シャンプーもリンスも乳液も。全部蓋、あけっぱなしでいいよ。水道もシャワーも水出しっぱなし! 電気もつけっぱなし! 服も脱ぎっぱなし! 靴下も丸まったまま放りっぱなし。今日だけトクベツ! 換気扇もつけなくていいからね!」
わたしは確かにうるさいよ。言わなきゃそのままになるんだから、そりゃ言うよ! 気にせずいつもみたいに「わかったよ!」って言ってほしいのに。
つまり、そんなことで。そんなちょっとしたことで、
「今日に限り、もうひとつサービス! 今日はお風呂の蓋もあけっぱなし! あけっぱなしでいいから」
だんだん気分が高まってきて、何を言っているのかわからなくなってくる。
なんで今日に限って、そんな落ちてんだよ。なにか言って調子が戻るなら、何でも言ってあげたいぐらいなのに。ヒかれない程度に。
ヒかれない、の塩梅がわからないけど。
「あけっぱなしでいいから、今日は。あおい……」
正直もう、ゆっくり浸かってもらえればそれだけでいいんじゃないか。
「あおい」
「わかった。全部あけっぱなしにする。ありがとう」
全部あけっぱなしにするのか……。
あおいが寝てから直すのは、していい……んだよね?
結局まだ、あおいの気分は直っていないままなんだろうか。
「あおい、あのさ」
どくどくと心臓が跳ね始める。告白するとかじゃないんだから。ただ伝えればいいだけ。
「……なに?」
すこしうるさそうな、迷惑そうな問いが返ってきて、かえって言いづらくなる。
「あおい」
「聞いてる。なに」
――好きだよ。
「あおい」
「だから、なにって」
毎日でもうるさがられていたいぐらい。
「どれだけ迷惑かけてもいいよ。迷惑でいいよ。一緒にいてくれたら」
一気に言った。
あおいから、言葉はすぐに返ってこなかった。
ヒいたか?
え? ヒいた? 大丈夫かコレ? キモくね……?
なんか、今、ヒモに縋りつく情けない女みたいなこと、言った気がする。
重くね? キモくね? ドン引きじゃね!?
なんで、なんの反応もしてくんないんだよ!
言いすぎた……? 言いすぎた……!
もういい。ヒくならヒけ。
今のわたしに、言葉を選ぶ余裕はない。
しばらくして、浴室の扉が少しだけ開いた。
「シチュー食べてて」
少し声音が和らいでいた。返事が返ってきたことにほっとする。多少、突き放された気もしないではないが。
これ以上はちょっとマジで言えんわ。
脱衣所をあとにして、わたしは自分を落ち着かせるためにもう一品作ることにした。
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