第95話 変えろと言えなかったり

「おはようございます」


 間が悪い日というのはあるもので。

 エレベーターに、ちょうど皆堂と小林が居合わせるというのも、悪い間のうちのひとつだ。


 皆堂は、ココナツと居合わせちゃいましたね! という仲間同士のような視線を送ってくるし、小林はじっと私の顔を見ている。


 この日の皆堂の服装は大人しかった。秋に入ったからか、アースカラーのネルシャツにジーパン、ゴツゴツと鋲の飛び出した黒いベルトを巻いていた。ピアスホールからはじゃらじゃらと、風が吹いたら風鈴のように音の鳴りそうなピアスが垂れ下がっている。


 夏は、袖のないTシャツの上からショッキングピンクの胸当てのようなものをつけ、透けたロングカーディガンにサンダルといったいでたちをしていた。

 ビーチで見れば、大人しい服装と言えただろう。

 秋に入ってアースカラーを取り入れたことで、色使いはわりと問題なくなっていると思うが……トゲトゲベルトとジーパンは、年配者からは非常識に映るだろう。

 小林の無言の視線は、なにか言いなさいよというメッセージを含んでいる。

 凝視に耐えられなくなって、俯いたまま、目的階に着くのを待った。更衣室に先に入っていく皆堂を尻目に、小林が小声で言った。


「なんで何も言わないのよ」

「うー……」


 小林は少し口を歪ませて私を見ていた。唸っただけでは許して貰えそうにない。


「制服に着替える前ってどこまでが良くて、どこまでがダメなんでしょうか。ネットで色々見てみたんですけど、制服のある会社だとジーパンでもいいって所も多いみたいだし、お客様に会うかもしれない以上はジーパンはありえないという話もあるし。皆堂さんが納得できるように話せる自信がまだなくて」

「ご年配が安心できる無難な服装でいいのよ」

「前に……」


 つい、恐れるように上目遣いで小林まどかを見る。怒られるかな。怒られるか。もういいか。


「前に、私がつけてた、ちっちゃいイヤリング、注意してくださったじゃないですか。あれ、無難なつもりだったんですけど、やっぱり、あの程度でもダメなものですか」

「あれはいいと思う」


 がくっと力が抜けた。

 じゃあなんで注意したんだよ、こいつ。皆堂に見慣れて、あのぐらいはどうでも良くなったのか。


「あなたには、キツく言ってしまってたと思う」

「な、どうして……」

「変なのに目を付けられて他部署に飛ばされてほしくなかったから」


 驚いて小林を見る。


「もう一人も、そういうのが原因で部署移動だから」

「皆堂さんですか」

「月影さん」


 そういえば、うちの部署に二人来ると皆堂が言っていた。月影英子さんか。話したことがない。


「そんなに奇抜なファッションでしたっけ」

「化粧をしないのよ。あと、言葉遣いで」

「言葉遣い?」

「この年で、自分を僕って言ってるのが、向こうのお局連中から色々言われてる。社会人としてどうかとか、アニメオタっぽいとか、色々。直させろって話になってるわね」


 もやっと胸の中に現れた雲が、どす黒い暗雲となって身体中を不安げに立ち込めはじめる。


「その人への注意も、うちの課でする話になってるんですか……?」

「皆堂さんに上手く言えるようなら、あなたにお願いしたいって話が出てるわね」


 一気に来た胃痛に、顔をしかめたのがわかったのか、小林が私を見つめたまま黙った。言語化できない抵抗感が、世界を狭める柔らかい壁のように私を挟み込む。


「どうしたの?」

「…………」

「やっぱり、いや?」


 これが友人なら、素直に言えたのかもしれない。

 その時の脳内には、嫌われてでも仕事で必要なら言わないといけないとか、注意する立場だって辛いんだとか、今までありとあらゆる人から聞いてきた中間管理職の愚痴だとかが大量に流れていた。できない、と言う事が、ただ他の人に嫌な爆弾を放り投げるだけのわがままのように感じられた。


 言語化できない。うまく言えない。言えないけど。

 それを、この私が言うのは、違うんじゃないか……?


「なにか言って?」


 困ったように小林は言い、見つめあっているうちに、更衣室から皆堂が出てきた。皆堂は私たちを見ると首をかしげ、訊ねるように私を見た。私は皆堂から目を反らした。


「着替えないと、朝礼の時間になりますよ」


 皆堂の言葉に、小林が腕時計を見て、そうね、ありがとうと言った。


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