第46話 責任をはたしたり

 チャットを終わらせたあたりで、リビングから炊飯器の電子音が聞こえてきた。隣の部屋から芽生が出ていく音が聞こえる。

 今夜は豚角煮丼らしい。芽生はあまり茶色いだけのものを作らないから、きっと今回も三つ葉や小葱を散らすんだろう。

 もうリビング行ったほうがいいな。

 リビングへ出ると、芽生は角煮を温め直しながら、盛り付けてあったサラダを冷蔵庫から出しているところだった。


「ごはん♪」


 私はわざと浮かれた空気を出す。怒っていないことを証明するためだ。


「角煮だよ」

「さっき聞いたよ」


 丼を出して白飯をよそう。芽生が待ったを入れた。


「少なめで」

「相変わらず女子力が高いな。嫌味か」

「もっと高かったらカリフラワーを米がわりにしてるんだけどね」


 角煮ぐらいは白米で食べろよ……。

 つやつやと白く光る米粒から、ふわぁと湯気が立つ。多めによそった丼と、少なめによそった丼を流し台に置くと、芽生はやっぱり角煮の上から三つ葉と小葱を散らした。

 甘辛のタレがご飯にとろりとかかって美味しそうだ。


「本当は温泉卵ものせたら、色合いもいいんだけど」


 芽生は自分の作ったものにダメ出しをするように言った。 

 豚角煮に温泉卵とか最高だろ。


「好き」


 私が言うと、芽生はふいに私を見つめた。


「最高の組み合わせだと思う」

「え、ああ、いいよね、温泉卵」


 芽生は視線をさまよわせて温泉卵をのせない言い訳をする。


「温泉卵はさ、ほらやっぱり卵だし。そもそもうちらは、プリンで過剰摂取だから……あっだっ!!」


 テーブルの脚に足のつま先をぶつけたらしい。芽生はよろけて、運んでいる丼をひっくり返しそうになった。どうにか丼をテーブルに着地させた。


「いた……」

「足やっちゃった?」

「というか、首やったかも」

「え? 大丈夫?」


 リビングの引き出しに湿布があったはず。要るかと聞くと、芽生は唸っている。湿布を渡してやる。


「首やばい?」

「やばいってほどじゃないけど、湿布もらう」


 芽生は素直に受け取って首に湿布を貼ると、気を取り直したように席についた。首が傾いたままになっている。本当に大丈夫か? 


「さあ食べよう、豚角煮丼」


 豚角煮は私の大好物だ。本来、芽生はあまり丼ものを作らない。仲直りの為に作ったのだろう。

 私が作れば肉だけが目立つゴツい丼になるが、芽生は盛り付けに気を使う女なので、丼ものでもどこか上品に見える。


 私の料理と違う……私は目分量でこのぐらいだったっけ? と思いながら調味料を入れるから、思った味にならない事がある。

 芽生は予定通りに作らないと気持ち悪くなるようで、たいてい「クックポッド」だののページを携帯の写真に保存して、調味料の分量が自分の舌に合うように書き入れる。写真の上から、大さじ二とか三とか、テキストで編集して書き入れるのだ。それを見ながら作る。


 要は、マメだ。こういうところは真似できない。……真似できないし、少し嫌いと言ってもいいかもしれない。真似できないから嫌なのか、そもそも真似したいわけでもないのか。わからない。だらしないといわれる人間にとって、完璧主義の人間というのは、面倒くさいものなのだ。

 私がリビングを掃除すれば、芽生は「四角い部屋を丸く掃くようなやり方をするな」と怒る。落ち着かないといって部屋の隅に掃除機をかけ、そしていうのだ。貸しがいくつになったから、と。

 そして、私が「端っこ」に掃除機をかけ、どんなに自分では綺麗に掃除したつもりでも、芽生から見れば穴だらけの掃除に見えるらしい。じつに面倒くさい。


 足して二で割ったらちょうどいいのかな。

 私が芽生の側に寄っていったほうがいいのかな。

 じっさい芽生の豚角煮は実に美味しかった。私の作る角煮よりずっと。


 豚角煮の後に芽生が、責任を果たしました、というように苺をのせたプリンを出した。


「絶対に作ると約束していた、苺のせプリンでございます……」

「苦しゅうない。ちこうよれ」


 芽生はぱちぱちとまばたきをして、椅子を寄せた。首をかたむけている――痛いからか? 苦手なしぐさだけど仕方ない。芽生は、私の手首にふんわりと手を置いた。


 ――ん?


 私の顔を覗き込んで、至近距離で目をみつめてきた。

 

「あ、」


 腕があたって水をこぼした。

 自分の反応に驚く。


「ほらやった」


 変にどきどきして、動揺している。

 ――ほらやった?


「なに、なんで」


 ああこれ、一度やられて意識して、それを文章化して……体に落とし込んだものだから、なんか変になってるんだ。


「なに、こぼすの見越してたの?」


 焦って聞く私に、芽生は、なんでもないことだという顔で説明する。


「別に。さっき丼ひっくり返しかけたから」

「それやったの、芽生だよね? 私じゃないよね?」

「二度あることは三度あるっていうからね。次はあおいが水でもこぼしそうだなって」


 ――今日、二度目になにかこぼしそうになったか?

 頭が働かない。私がこぼしたものを拭く間に、芽生が水を入れ直してくれていた。


「二回目なんかこぼした?」

「こぼしてないっけ?」


 席について、プリンをスプーンですくった芽生が、私を見てにっこりした。


「じゃ、次のが二回目だ。はいあーん」


 芽生は私の手首にまた手をのせた。「二回目」をこぼすのを防ぐために。

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