第43話 あなたのファンですと言われたり

 出勤して、小林まどかの席を見る。

 まだ来ていない。珍しい。

 大抵早くから来ていて、私がギリギリに来ようものなら嫌味を言ってくるのに。ギリギリといっても就業開始ギリギリではない。パソコンの準備や今日やる仕事のチェック、メールチェックを始業前にする時間を見積もった上でのギリギリ、つまり十分前のことだ。


「ココナツ、寝込んでるみたいですよ」


 私の視線を見て、寄って来た後輩が言った。じゃらじゃらとアクセサリーをつけ、指には三つの指輪。梳かれた金髪がとがるように存在を主張している。制服を着ているからアクセサリーが目立つが、私服に着替えたらアクセサリーはちょっとしたポイントに成り下がる。私服のインパクトがさらに強いからだ。名札に「皆堂かいどう」とかかれている後輩は、名前のとおり、ファッションから姿勢から何から皆、実に堂々としている。時々うらやましくなる。


「ココナツ?」

「さっき、始業前用の電話にかかってきました。お休みですって」


 よくわからない、という表情を作って返す。


「だれが?」

「ココナツですよ。椰子やし


 皆堂は体を近づけてきて小さい声で言った。


「――コバ椰子やしですよ!」

「あ、ああ、ヤシ、コバヤシね! わかった」


 びっくりした。そんなあだ名があるのは知らなかった。皆堂とはあまり絡むことがなかったから、仕事以外でたいした会話もしたことがなかったのだ。


「きっと先輩のアレが効いたんですよ」

「ええ?」

「昨日の。すげー迫力でびっくりしました、私」


 前日のやり取りを思い出して体にかあっと熱が上がって来た。


「あれは……大人げなかったよ」

「いえ。先輩、よかったです」

「ええ?」


 皆堂は私をじっと見つめた。


「あいつ、常識がない常識がないって、うるっさいんですよ」


 ああ……そうだろうな。イヤリング一個でうるさかったからな。このファッションじゃ小林が口出してこないはずないよな……。


「常識とか、ただのローカルルールじゃないですか。そういうこと言ってくるオンナ、大っ嫌いなんですよ!」


 ローカルルールの「ロ」と「ル」を巻き舌にしたせいで、それはロロローカルルルルールルルと聞こえた。グルルルと獣が威嚇するような雰囲気が増した。昨日の私がすげー迫力だったと皆堂は言うが、皆堂の迫力の方が数段上じゃないか? 威圧的なオーラに委縮してしまう。正直ビビッている。こいつには、常識という言葉は、使わないほうが良さそうだ……。


「何人か、あれ見て、すっきりしたって言ってたの、いましたよ。ココナツにああいう態度とれる人、なかなか居ないから」

「たまたまね、昨日はイヤなとこにヒットしたから」


 皆堂はじーっと私を見て、言った。


「先輩は、行動に出さないけど、わりといつもブレないですよね」

「いつもって?」

「言葉に出さないし、顔にも出さないけど、他のコが何も言えないでビクビクして泣いちゃうようなトコでも、目の奥がすっげー怒ってますもんね」


 なんだよこいつ、そこまで見てんのか。


「何も言い返さずに終わって、で、次の日ココナツ見て、ニッタニタしてるんですよ。先輩って」

「に……?」

「けちょんけちょんに言われてんのに、悠然としてるっていうかね」


 それは、あれだな。ニタニタは、……するよ。椰子をモデルに変態エロ小説を書いてることは言えないけど。


「ココナツみたいな、ああいうヤツって、自分は人に当たり散らすくせに、自分がちょっとキツい態度取られると、すぐヘコむんですよね。人にやらなきゃいいのにさ」

「ヘコむかなぁ、あの人が」

「ヘコんでましたよ。先輩が出ていくの見て、くずおれるみたいになってましたよ」


 皆堂に言われると、私の怒りは間違いなく小林まどかに届いたんだと実感する。出勤してきた小林はどんな様子をするだろうか。


「また明日からどうせ従属の日々が始まるよ……」

「表面的には、でしょ」


 皆堂はふふふと笑って、私の耳に口を寄せた。


「回し蹴りもみました」

「んん?」

「ポストにキレーに決めた回し蹴り」


 うわぁ……。 

 見られてるもんなんだな。ああいうのに限って。


「キレイな動きでした。私、先輩のファンです。昨日から特に」

「ファンて……」

「あの回し蹴りがまた見たいですね。どうせならココナツに蹴りをかましてください。ボテボテ、実を落とさせてやりたいんですよね、いつか。常識常識常識。重いものいくつもブラ下げやがって、てめえが重いからって人に持たせんなって……ウラウラウラァ」


 また舌が巻き始めた。

 いやそれ自分でやれよ……。こえーよ。


「私は暴力に関わる気はないんだよねぇ……自分でやりなよ」


 ――どう転ぶかわかんないもんだ。


 引かれただろうと思っていた、昨日の大声と回し蹴りは、そこまで問題がなかったようだ。少なくとも皆堂には。

 その日は小林まどかが休みだったので、仕事が滞りなく進んだ。

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