第61話 雨の中
翌日は、朝から雨だった。
明け方近くに降り出した雨は、時間が経つにつれ激しくなり、数時間後には町の風景が煙るほどの豪雨に変わっていた。
ミルカは今、デュワの町なかを雨に打たれ歩いていた。
雨が降るだろうことは、祖父であるロィンから予報を聞かされていたが、雨の勢いが予想以上だったため、自分の商売道具である船の様子を見るためにメニゥ河へと向かっていたのだった。
明日は、ダニェルたちを対岸の町スブへ送らなければならない。
船が損傷していたら自分がその役割を担えない。
河を渡っている途中で問題が起こるなど最悪だ。
お金をもらった以上、責任をもって仕事に臨まなければならないのだ。
ミルカは、羽織った外套を打つ雨音を聞きながら、昨日の夜ダニェルと交わした会話を思い出す。
夕食のあと、ダニェルが船賃を渡すと言いだした。
当初、ミルカは、その友人の好意を断った。
五年前、いつか立派な船頭になると言っていた自分がどれだけ船の操縦が上手くなったかを見てもらえればそれで良かったからだ。
それを伝えるとダニェルは、「立派な船頭には代金が支払われるべきだ」と言って小袋から銀貨を数枚取り出し、「僕も立派な客として船に乗りたい」とミルカの手に代金を握らせた。
ダニェルは、お金を返されても受け取らないとばかりに小袋を荷物にしまい込んだ。
そんなダニェルの振る舞いがおかしくて、同時にダニェルも成長していたことが嬉しくて、ミルカは「わかった」とだけ言って笑顔で頷いた。
「フフ」
ミルカは、思い出し笑いに頬を緩め、ダニェルの期待に応えられるよう船がある河岸へと足を急がせた。
……
メニゥ河が見えるところまでやってきたミルカ。
河の流れは速く、水面は荒れており、出ている船は一隻一艘もなかった。
ミルカの同業者が自分の船を岸へと上げている姿が見えた。
ミルカも自分の船を避難させるべく河岸へと下りていった。
河のそばへ来ると風が強く吹きつけてきた。
ミルカは、河の神様であるシヤフェスィンの石像に触れてから、強風に抗って歩き、桟橋にロープを結び付けて停めている自分の船にたどり着いた。
ロープを桟橋の杭から解き、自分の手に巻き付けて河岸へと船を引っ張って歩きだす。
「フン~~~ッ」
ミルカが風と水流に負けぬよう歯を食いしばって少しずつ歩を進めていると、町の中から五人の男が河のほうへと走ってきた。
ずいぶんと焦っているようで、もつれそうになるほど必死に足を動かしている。
河岸まで来ると男たちは足を止め、辺りを見回した。
男たちの中に、頬に切り傷のある男がいた。
ミルカは、すぐに昨日貴子に嫌がらせをしていた五人だと気づいた。
何かを探すように周りへ目を向けていた男たちがミルカに目を止め、ミルカがいる桟橋のほうへと走り出した。
ミルカのもとへ来ると男たちは、ミルカの進路をふさぐように前に立った。
男たちの目は、興奮したように血走っている。
ミルカが何の用かと尋ねるよりも先に、頬傷の男は、背中側から取り出したナイフをミルカの眼前に突きつけた。
ナイフの刃には、まだ乾いていない真っ赤な血がついていた。
◇◇◇
「こうして王子様はシンデレラを見つけ出し、二人は結婚して、いつまでも幸せに暮らしました。おしまい」
「ダ カルク ミィフェオ シンデレラ、ダナ クオック ミィフェオ、コミ ダナ マァフェオ ササァラキィ パル ウィミ。オル」
「ヤァー!」
貴子が話を締めくくり、ダニェルが翻訳して、サエリィとトルタが笑顔で手を叩いて喜んだ。
貴子は今、テーブル席に腰掛け、ダニェルとサエリィとトルタの三人に童話を聞かせていた。
現在、外は雨。
朝食のあと、特に何もすることがなく家の中で退屈していたサエリィとトルタが、貴子に貴子の国の話を聞かせてほしいとせがんできた。
貴子は、快くオーケーして話そうとしたのだが、相手は子供なので、日本の国がどうこうよりも童話を話すことにしたのだった。
貴子が話し始めると、サエリィとトルタだけでなく、翻訳係のダニェルも夢中になって貴子の話に耳を傾けていた。
四人のそばでは、フゥエが針仕事をしながらやはり貴子の話を興味深そうに聞いていて、ロィンは、窓辺に立って空模様を見ていた。
「ちょっと休憩ね」
ぶっ通しで何話も話していたため、喉が疲れた貴子が水の入ったコップに手を伸ばした。
「しかしまぁ、よく降るねぇ」
「ヤァ、よく降る」
「よく降る」
「降る」
貴子が外を見て言うとダニェルが答え、サエリィとトルタも言っている意味はわからないがダニェルを真似て返事をした。
「テビ シィ ノクミキィ ザノ ダ バァフ イス キエッタ……」
ロィンが空を見上げたままひとり呟く。
「『雨、やむ、様子、ない』」
ダニェルが訳し、
「メイ レィオ ベフィ テビ シィ ウィゴウ……」
ミルカを案じて席を立ち、窓辺にいるロィンの隣りへと歩いて行った。
今から三十分ほど前、ミルカは船を見てくると言って外へ出て行った。
ダニェルも一緒に行こうとしたが、ミルカはそれを止めて一人で河へ向かった。
その後も雨足が弱まる気配はなく、むしろ強くなる一方だった。
「ミルカ カァクギン マス シュ イェグラ」
ロィンがダニェルの肩を抱く。
「ヤァ……」
ダニェルは、不安そうながらも頷いた。
二人の表情から、「ミルカなら心配ない」「うん……」と貴子が脳内でアテレコをつけた。
そのまま二人が空の様子を眺めていると、窓の外から複数人の足音が聞こえてきた。
足音はどんどん近づき、十人近い男と女がミルカの家の前を通り過ぎた。
その中に明らかな怪我人が二人いた。
二人とも両脇から男たちに支えられていて、一人の男は、額に布を当て、もう一人の男は、胸に布を当てている。
傷口に当てている布は、激しい雨に打たれても薄れないほどの多量の出血で赤く染まっていた。
ミルカの家にいるみんながギョッとした顔で彼らを見た。
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