第51話 炎の壁
歓迎会の翌日。
貴子は、テカットに用意してもらった丸太小屋で目を覚ました。
「……頭痛い」
二日酔いだった。
貴子は、五分ほど一点を見つめてじ~~~っとしていたが、外から漂ってきた良い匂いに鼻をひくつかせ、ベッドから降り、魔女衣装を身につけて金属バットを持ち丸太小屋を出た。
小屋の扉を閉めて貴子が周りを見る。
村人は、家の中や外で火をおこして朝食の準備をしていた。
太陽は、昇りはじめて一時間といった高さだ。
貴子は、寝ぼけまなこをこすり、村長であるテカットの家を探して村の中を歩きだした。
昨日、貴子とダニェルは同じ家で休む予定だったが、シェゼがダニェルの服を掴んだまま寝てしまい手を放さなかったので、ダニェルは、シェゼの親である村長の家に泊まったのだった。
「どこだったかな?」
貴子が丘を囲むようにして建っている家々を見渡した。
村長宅は、昨夜教えてもらったのだが、酔っていたし似たようなログハウス風の家ばかりなのでよく覚えていなかった。
「う〜ん……」
と貴子が困っていると、家の前にあるレンガの竈で炊事をしているおばあさんと目が合った。
「ハヤァ」
貴子が知っている単語で挨拶をした。
おばあさんは、
「タ、タァグ オォフィン」
どこかぎこちない感じに返事をして、すぐに貴子から視線を逸らした。
「……『ハヤァ』って挨拶の言葉で良かったよな?」
おばあさんのリアクションに貴子が首をひねる。
今度は、おじいさんが近くにいたので、
「ハヤァ」
貴子が手を上げて挨拶した。
「ハ、ハハハ」
おじいさんは、硬い表情で笑い歩き去った。
その後も、貴子が村人に挨拶をすると、みんなギクシャクとした反応を返してきた。
「私、酔っぱらって変なことやらかしたのかな?」
わけがわからない貴子だった。
貴子が、昨日の酒を飲んだ自分の行動を思い返しながら歩いていると、薪を脇に抱えている、頭にシロツメクサの花冠を載せた、長い赤茶色の髪で大きな丸い目の、ダニェルと同じ九歳くらいの女の子を見つけた。
シェゼだ。
「おーい」
シェゼに声をかける貴子。
シェゼは、ビクッと肩を跳ね上げ、抱えていた薪を落とし、硬い動きで首を貴子へ向けた。
「ハヤァ」
シェゼに駆け寄った貴子が挨拶をする。
「お、おはよう」
シェゼの口から日本語の挨拶が帰ってきた。
「お、日本語じゃん。ダニエルに教わったの? 覚えてくれるなんて嬉しいなぁ」
貴子が目尻を下げて喜んだ。
「フ、フフフ」
シェゼは、引き攣ったように頬を持ち上げ笑った。
「ねぇ、シェゼの家どこだったっけ? ダニエル起きた? ダニエル」
貴子が尋ねると、シェゼは、森のほうを指さし、
「ダ、ダニェル、村、出た、行った」
緊張しているような硬い声で言った。
「おお〜、またまた日本語だ」
貴子は、喜んで、
「……え?」
言われた内容に気づき、
「ダニエル、村、出た、行った?」
聞いた。
「ヤァヤァヤァ」
シェゼがブンブン首を縦に振った。
「え? 何で? 先に行ったってこと? いつ行ったの?」
詳しいことを聞こうと貴子が矢継ぎ早に質問する。
「ダニェル、村、出た、行った」
シェゼは、同じ内容を繰り返した。
「まあ、わかんないよね。つーか、なんでその単語覚えたの?」
謎のチョイスを不思議に思う貴子。
「ダニェル、村、出た、行った」
シェゼは、三度繰り返した。
「それはわかったけど……え〜、何で出て行ったんだろ?」
貴子が顔を森へ向け、頬に手を当て考える。
その姿勢のまま動かなくなった。
貴子の考え込む姿を見たシェゼは、念を押すように、
「ダニェル、村、出た、行った」
と反復し、
「空、飛ぶ、出た、行った」
付け加えた。
「…………………………」
貴子は、たっぷりと聞いた内容を吟味し、
「んん?」
シェゼへ顔を向けた。
「空、飛ぶ、出た、行った?」
貴子が確認する。
「ヤァヤァヤァ」
シェゼがカクカク頷いた。
「空」
貴子は、空を指さし、
「飛ぶ」
鳥のように手をパタパタ動かし、
「出た、行った?」
聞いた。
「ヤァヤァヤァ」
イエスの返事。
「んなアホな」
貴子が間髪入れず言った。
「ダニエルが空飛べるわけないでしょ。何なの? ジョーク? ドッキリ?」
シェゼが何をしたいのか理解できない貴子。
「タァグ オォフィン、タカコ」
そこへ、折よくテカットがやってきた。
「あ、ちょっとテカットさん、ダニエルどこにいるか知らない? ダニエル」
貴子が所在を尋ねる。
「ヤァヤァ」
テカットは、頷き、
「ダニェル、空、飛ぶ、村、出た、行った」
日本語で説明した。
「あんたもか……」
貴子がげんなりした顔でこめかみを揉んだ
さらには、他の村人たちもぞろぞろ貴子のもとへとやってきて、それぞれに、『ダニェル』という名前を口にして遠くの空へ指先を向けた。
シェゼたちと同じことを言っているのだろうとわかるゼスチャーに、貴子は、
「だから、ダニエルは空飛べないっての」
うんざり顔でため息をついた。
すると、シェゼが貴子の背後へ回り、
「タカコ、村、出た、行った」
貴子を森のほうへと押した。
「え? 今度は何? 出て行ってないよ。私はここにいるでしょ」
貴子は、意味不明ながらも否定したが、グイグイ背中を押すシェゼに、
「……もしかして、私に村を出て行けって言ってんの?」
と予想した。
そこへ、一人のおばあさんが貴子に近寄ってきて、
「エイ、シア マルホ」
貴子の荷袋を手渡した。
貴子が荷袋を受け取ると、五十人ほどの村人全員が手を上げてお見送り態勢をとった。
「絶対そう言ってるわ」
貴子は、確信した。
「ン~~~」
シェゼが力を込めて貴子の背中を押している。
貴子は、くるりと体を反転させてその手から逃れると、
ガンッ
と金属バットで地面を殴った。
みんながビクリと肩を震わせた。
「あのね、言っても通じないだろうけど、ダニエルは自力で空を飛べないの。それに、そもそも私に何も言わず先に行ったりするような子じゃないの」
貴子は、そう説明し、
「それなのに嘘ついたり、私を強引に帰らせようとするなんて……まさか、あんたら」
受け取った荷袋を捨て、
「ダニエルに変なことしたんじゃないだろうな……」
村人たちを睨め付けた。
言っていることはわからないが、貴子に睨まれた村人は、気まずい顔で視線を背けた。
「シェゼ、ダニエルはどこ?」
貴子が昨日一緒に寝たはずのシェゼに厳しい目を向けた。
「ア、アウ……」
シェゼは、たじろぎ、
「ウェクト サイ コミ クアック セファ ソワ ダ ユドゥク!」
怒ったような顔で何かを叫んだあと、
ピィーーーーーッ
指笛を鳴らした。
綺麗な高音が森まで届く。
その直後、ドッドッドッと遠くから地響きが聞こえてきたかと思うと、
「グオーーーーーッ」
木々の間から超巨体の大熊、ポォミが姿を現した。
「ポォミ、クアック サフィ セファ ソワ ダ ユドゥク!」
シェゼが強い口調でポォミに何かを言うと、ポォミは、
「ガアッ! ガアッ!」
牙を剥いて貴子を威嚇し、
「ガアーーーーーッ!」
貴子へ向けて一直線に駆け出した。
ポォミの丸太のような太い四肢が大地を蹴り、ワゴン車並みの巨体を揺らして貴子に迫る。
明らかな敵意を見せるポォミを前にして、貴子は、目を閉じた。
集中力を高め、おのれの頭の中に魔法を描き出す。
胸の中に熱い塊が生まれたのを感じて貴子は目を開け、
「火よ、走れ!」
金属バットを横へ振った。
外にあるレンガ作りの竈から火が飛び出し、貴子とポォミの間にある草地を這うようにして横一文字に通り過ぎた。
草地に火が移り燃えはじめる。
それを見て貴子は、金属バットで大地を叩き、
「燃え盛れ炎! 私の前に壁を作れ!」
振り上げた。
瞬間、草地を燃やす火がゴウと火勢を上げて烈火となり貴子とポォミとの間を隔てる巨大な炎の壁となった。
近づくものを焼き尽くす勢いで炎の壁が赤々と燃え上がる。
「ガウ!?」
ポォミが炎の壁の手前で急ブレーキをかけて止まった。
「ガ、ガウ!? ガウ!?」
後ろへ下がり、おろおろとその場を行ったり来たりとパニックになっている。
「ポォミ」
貴子が炎の壁越しにポォミを呼んだ。
陽炎のようにユラユラ揺れる貴子の姿をポォミが見つめる。
獣の本能が、『こいつ、ヤバい』と教えてくれる。
「おすわり」
貴子は、静かな声で命令した。
「ガ、ガウガウガウ」
ポォミは、頭を上下に何度も振ってお尻をペタンと地面に下ろした。
それを確認して貴子が後ろを振り返った。
エイベイエの村人たちは、驚愕を露わに目と口を限界まで開けて貴子を見ていた。
「マ、マァリヤ……」
皆が口々につぶやく。
ようやく貴子が魔女だと気づいたのだった。
「シェゼ」
炎の壁を背に貴子が呼ぶ。
「ヒッ!?」
シェゼは、顔色を真っ青にして貴子を見た。
「ダニエルは、どこ?」
貴子がシェゼに近づく。
「ヒィィィッ!」
シェゼは、引きつった悲鳴を上げて腰砕けのように尻もちをつき、
シャ〜
オシッコを漏らした。
貴子は、シェゼに聞くのをあきらめ、
「テカット」
村長を見た。
「ヒッ!?」
テカットは、顔色を真っ青にして貴子を見た。
「ダニエルは、どこ?」
貴子がテカットに近づく。
「ヒィィィッ!」
テカットは、引きつった悲鳴を上げて腰砕けのように尻もちをつき、
シャ〜
オシッコを漏らした。
「漏らしてないでさっさと言え」
テカットには容赦ない貴子だった。
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