第47話 森の熊さん

 貴子の空中浮遊魔法を試し終え、二人は再び歩き出す。


 先へ進むと左手側にあった森が街道のほうへとだんだん迫るような広がり方を見せはじめた。


 森の端は、少しづつ街道との距離を詰め、最終的には貴子たちの行手を塞いでしまった。

 木々は、緑の壁のように貴子の右手側へずっと伸びている。


「あらら。ここから森の中を通れってか?」


 貴子が目の前の奥深い森へ目を向けるが、


「あ、なんだ、真横に道がつづいてんじゃん」


 森に沿って九十度右へ曲がる街道に気づき、


「ほんじゃ、行きますか」


 そちらへ進もうとした。しかし、


「タカコ、待つ」


 ダニェルが貴子の魔女ローブの裾を引いて止めた。


「何? どした?」


 と聞く貴子にダニェルは、クゥツに描いてもらった地図を見せ、


「私たち、今、ここ」


 自分たちがいる場所を貴子に指で示し、


「これ、フベィヤの森、の形」


 眼前に立ち塞がった森の形と、クゥツから聞いた森の名前を教えた。


「フベィヤの森か。ここだけ変な形だね」


 貴子たちの前にある森は、左に広がる大森林からこぶのように飛び出しており、横に長い『コ』の字型をしていた。

 貴子たちがいるのは、『コ』の二画目の書き始めのところだ。


 地図によると街道は、横に長い『コ』の文字をなぞるようにつづいており、『コ』の文字一画目の書き始め近くには目的の町デュワがあった。


 つまり、


「ここ、から、ここ、真っ直ぐ、行く、近い」


 今いるところから、『コ』の文字の一画目書き始め目指してフベィヤの森を横断すれば近道になるとダニェルは言いたいのだった。


 ただそれは、近くても『道』ではないので、


「それって大丈夫なの? 迷ったりしない?」


 貴子が当然の心配をした。


「大丈夫。行く」


 しかし、ダニェルは、貴子の賛同を待たずに街道を外れて森のほうへ歩き出した。


「あ、ちょっと、ダニエル」


 貴子が声をかけるがダニェルは止まらない。


「ん〜……」


 行くか止めるか悩む貴子。

 だが、ダニェルが先を急ぐ気持ちもわかるし、


「森の中なら街道より涼しいよな」


 という理由でダニェルについていくことにした。


「ところで、フベィヤってどういう意味?」


「『迷う、人』の、意味」


「……おいおい」



 ◇◇◇



 で。


「……迷った」


 ダニェルは、迷った。


「迷ったか……」


 そう言うしかない貴子だった。


 森に入ってからおよそ二日と半日。

 クゥツの地図が正確ならば、もう森を抜けてもいい頃というのがダニェルの予想だった。


 だが、森を出られそうな気配は微塵もなかった。

 緑の葉にほぼ覆われている、森から見上げる空の色は、オレンジに染まりはじめている。


 森に入って三回目の日没が近づいていた。


「タカコ、ごめんなさい……」


 ダニェルが目を涙で潤ませ、うなだれて謝った。

 このルートを選んだことを後悔し、先を急ぐあまり迷惑をかけたことを反省していた。


「私、大丈夫、思った……でも、違う……ごめんなさい」


「いいよ、気にしないで」


 貴子がダニェルの背中をさすり慰めた。


「でも、これからは無理して急がないほうがいいね。こういうことがあるからさ」


「ヤァ……」


 肩を落としてしょんぼりなダニェルだった。


「さて、これからどうしようか……」


 貴子が周囲へ目を向ける。

 辺りにあるのは草木だけ。

 自分たちがフベィヤの森のどの辺りにいるのか見当もつかない


「だったら上だよな」


 貴子が空を見上げた。

 魔法で飛べば街道も見えるだろうし脱出できるという意味だ。

 しかし、木々の背丈は高く、十五メートルは上昇する必要がある。


「そんなに高く飛んだら、森出る前に気失って墜落するな」


 想像して貴子が肩を震わせた。


「でも、森を出る方向を確かめるくらいなら……」


 と貴子が考えを巡らせていると、


「タカコ、飛ぶ?」


 まだ涙目のダニェルが貴子に聞いてきた。


「そうだね。飛ぶっていうか、浮かんで街道に出る方向を確認しようかなって。怖いけど」


 貴子が憂鬱な顔で説明する。

 そんな貴子の表情を見たダニェルは、


「私、飛ぶ、できる?」


 と尋ね、


「飛ぶ、できる、時、私、タカコ、代わる。飛ぶ」


 提案した。


「私の代わりに飛ぶの?」


 貴子が確認の意味で聞く。


「ヤァ。私、飛ぶ」


 ダニェルは、大きく頷いた。


「私、飛ぶ、無理?」


「いや、いけると思うけど……高くて怖いよ?」


「大丈夫。汚名返上、する」


 ダニェルが難しい言葉を使ってやる気度を表した。


「う〜ん……」


 貴子は考え、


「……そうだな、ダニエルのほうが視力いいわけだし、お願いしようかな」


 その案を飲むことにした。


「ヤァ!」


 ダニェルは、気合いのこもった返事をした。


「よし、じゃあこれにまたがって」


 貴子がダニェルに金属バットを渡す。

 ダニェルは、それを受け取り、逆手に持って股に挟んだ。


 貴子が目を閉じて意識を集中する。

 頭の中に空を飛ぶダニェルを思い描くと胸に熱い塊が生まれた。

 貴子は、腕をダニェルのほうへ真っ直ぐに伸ばして、


「いくよ!」


 と心の準備をさせ、


「ヤァ!」


 ダニェルが答えたのを聞いて、


「飛べ!」


 腕を振り上げた。

 風が上昇気流を作り出しダニェルを持ち上げるようにして空中に浮かべた。


「ワァオッ、メイ ニス イォキィ ファアフィン!」


 ダニェルが驚きに声を上げる。


「私、言った、『マジで、浮いた』!」


 ダニェルの訳。


「もっと行くよ!」


 貴子が言うと、金属バットに跨るダニェルは、見えないエレベーターにでも乗っているかのようにスーっと真上へ上がってゆき、緑の葉を突き抜け樹上に出たところで止まった。


「ホァーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 ダニェルが森を一望できる空中で興奮をあらわにした。


「メセナフィン! メセーナフィン!」


 周りの景色を見て何かを叫んでいるダニェルに、貴子が、


「おーい。道見えるー?」


 顔を上向け聞いた。


「ヤハーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 ダニェルは、はしゃいでいた。


「ダニエルー? 聞いてるー? 道見えるー?」


 貴子が再び聞いた。


「アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 ダニェルは、笑った。

 空から見える景色に夢中でまったく聞いてなかった。


「ダメだありゃ」


 貴子があきらめた。でも、


「落ち込んでるよりいいか」


 ということで、


「そっとしとこう」


 しばらく見守ることにした。


「メイ ゼス レェタ ダ スワイ! テビ シィ ミティ エ セシュ カデラァオ!」


 ダニェルが笑顔で何かを叫び、顔をあちこちへ向けている。


 喜ぶダニェルを見上げて貴子も微笑みながら、怖くないのかなぁ、よく考えたらバットに乗る必要ないかもなぁなどと考えていると、


 ガサ


 と貴子の前にあるやぶから葉擦れの音がした。


「ん?」


 貴子が顔を正面に向けた。


「あ、熊だ」


 熊がいた。

 体がワゴン車くらいある超巨体の熊だった。


「……」


 貴子の脳みそが一時停止。

 十秒後。


「……く、く、く」


 貴子の脳が再起動。


「熊だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 絶叫した。


「マァリヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 熊も絶叫した。


「熊がしゃべったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 貴子が絶叫おかわり。


「タカコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」


 ダニェルも絶叫。

 貴子が熊に驚いて集中を切らしたために落下中だった。


「あっ、ヤベ!」


 貴子が気づいて頭にダニェルの浮かぶ姿を描き出す。

 すぐに魔法の効果は現れ、落ちるダニェルにブレーキがかかった。

 地面の一メートル手前でダニェルは止まった。


「ハァ〜〜〜」


 ダニェルと貴子が安堵の息を吐いた。

 ダニェルは、金属バットから地面に降り立ち、顔を上げ、熊に気づいて、


「バイロォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 叫んだ。


「そうだった!」


 ダニェルの叫びで熊のことを思い出した貴子。


「ダニエルっ、死んだフリ! 死んだフリして!」


 すぐに指示を出した。

 魔法を使うことも忘れるほどテンパっていた。


「し、死ぬ!? どうして!?」


 当然ダニェルには意味不明。


 そうやって二人がギャアギャアドタバタやっていると、


「デ、ディ シウ エ マァリヤ?」


 熊のほうから可愛らしい声が聞こえ、その後ろからシロツメクサの花冠を頭に載せた少女が姿を現した。


「女の子!?」


 貴子は、目を丸くして驚き、


「あっ、さっきの『マァリヤ』ってきみの声か!」


 と気づき、


「こ、こっち来て! 熊に襲われちゃうから!」


 自分たちのほうへ来るよう手まねいた。


「テ、テカ トゥワ! テビ シィ リデコウ!」


 ダニェルも花冠の少女を見て貴子のように手を動かした。

 二人の反応を見た少女は、


「オゥ」


 と何かに気づいた表情をつくり、


「スカップ タァキエィ ロタ メオ」


 超巨体熊に何かを言った。

 熊は、少女の後方へ歩いて行き、五メートルほどの距離を置いてドシンとお尻を地面に下ろした。


「……女の子、言った、『離れる』」


 ダニェルが信じられないものを見たように口を半開きにして翻訳。


「く、熊って言葉わかるの?」


 貴子が一応聞いた。


「ネ、ネェン」


 ダニェルが否定。


「い、いや、でも、何? この子の言ったこと熊さんわかるんだよね? しかも言うこと聞いてるし。この子何者?」


「ジュウ ディ シウ? ハァテ シィ ザノ バイロォ?」


 ダニェルにもわからないので少女に尋ねる。


「メイ ニス シェゼ。メイ マァフ オク エ ユドゥク オク アリ スワイ。ザノ ジェイ ジ ソミエ シィ ポォミ。サハ シィ メア マイニィ」


「『私、シェゼ。この森、住む。熊、名前、ポォミ。私の、友達』」


 ダニェルが驚きをもって翻訳。

 それを聞いて貴子が一人と一頭を見る。


 頭にシロツメクサの花冠を載せている少女シェゼは、長い赤茶色の髪、大きな丸い目、白のワンピース型の服、ダニェルと同じくらいの歳。

 熊のポォミは、黒い毛並み、つぶらな瞳、ワゴン車サイズの巨体。


「お友達っスか……」


 呆気にとられる貴子だった。


「メイ ニス ダニェル。サハ シィ タカコ」


 ダニェルは、ひとまず目の前の状況を受け入れ、自分と貴子を紹介し、


「シェゼ、カァ シウ アァフ ダ イデノウィム シュ ロビィ ダ スワイ? 『あなた、森、出る、方向、わかる?』」


 今一番欲しい情報を求めた。しかし、


「ディ シウ エ マァリヤ?」


 シェゼは、瞳を輝かせて逆に聞いてきた。


「シェゼ、聞いた、『あなた、魔女?』」


 ダニェルの訳。

 貴子がそれに答えようとしたが、シェゼの瞳は、貴子に向けられておらず、


「マァリヤ ダニェル……」


 真っ直ぐにダニェルを見つめていた。

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