第22話 快方

 夜が明け、貴子たちのいる馬車の荷台に朝陽が差し込む。


「うわ〜」


 貴子が眩しさに目を細めた。


「目が~、目が~~~ってね。ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ」


 徹夜の影響でちょっと変なテンションだった。


「ダニエル、今日もいい天気になりそうだぞ」


 貴子がダニェルを見る。


「すぅ……すぅ……」


 ダニェルは、静かな寝息を立てていた。

 夜半頃までは苦しそうな息遣いだったが、朝が近づくにつれ、ダニェルの呼吸は落ち着いていった。

 熱も今はだいぶ下がっている。


「これならもう大丈夫だよね」


 貴子も一安心だった。


「タァグ オォフィン、タカコ、ダニェル」


 入り口からの声。

 マルシャだ。


「おはよー」


 貴子が挨拶して荷台入り口へ向かった。


「アリ シィ オォセン」


 マルシャが、布が被せてある板の上に載せた朝食を貴子に差し出した。


「サリィシャ、マルシャ」


 礼を言って貴子が受け取った。


「フェズ シィ ダニェル?」


 貴子の背後に目を向けてマルシャが尋ねた。

 ダニェルの容態を聞いたのだろうと考え、貴子が答えようとしたが、


「メイ シィエ……カフ ビレィ……」


 弱々しい声が荷台の奥から聞こえてきた。


「ダニエル!」


 貴子が朝食を置いてダニェルのそばへ急いで戻った。

 ダニェルは、ほんの少し目を開けていた。


「か、体どう!? 気分は!?」


 ダニェルの隣に膝をつき、指をワキワキ動かして貴子が尋ねた。

 ギュっとしそうになったが、ダニェルの体調を考えて我慢している結果こうなっている。


「半分、以上、大丈夫」


 ダニェルが上半身をゆっくり起こした。


「ほとんど大丈夫ってことだよね!? 良かったー!」


 あらためて、貴子がダニェルをギュっとした。


「心配したんだぞー! こんにゃろー!」


 頬をすりすり頭をなでなで。

 貴子が可愛がる。


「あいあおう(ありがとう)」


 ほっぺをすりすりされながらダニェルがお礼を言い、


「はひィひャ、はひュひャ(サリィシャ、マルシャ)」


 マルシャにも感謝を伝えた。


「シア エィディ」


 マルシャがもともと甘い表情をさらに蕩けさせ、微笑んで返した。

 治ったことを喜んでくれていることがわかりすぎるほどわかる顔に、二人も嬉しくなる。


「ようしっ、これでまた旅をつづけ……」


 ギュッとしていたダニェルを解放した貴子が明るく言いかけて、


「……そうだった」


 消沈した。

 頭のすみに追いやっていた自分たちの置かれている状況を思い出したからだった。


「ねぇ、マルシャ。私たちのことなんとかできない?」


 ダメもとで貴子が頼んでみた。

 ダニェルがそれをマルシャに伝える。

 だが、マルシャは、首を横に振り、


「メイ ゼィスギン トォイ フゥエ メア ルイニ ペイル、メイエ メイ ビウ クェバ アゥス サフォ。サディ ワセェオ メオ。ザノ シィ ハウム メイ ゼスギン ヒィシエイ」


 申し訳なさそうな表情で言った。


「『私、お金、借りた。返す、無理。私、売る、なった。サディ、私、買った。私、サディ、言う、無理』」


 ありがたいダニェルの翻訳。


「つまり、マルシャは誰かに借金があったけど返せなかった。で、その誰かはマルシャを売りに出して、買ったのがサディと。だから意見できるような立場じゃないってわけね」


 貴子は、マルシャの言ったことを理解し、


「それでマルシャはここにいるのか」


 この隊商にいる理由を知った。


「マルシャも苦労してるんだね……」


 貴子が重々しく頷く。


「マス シウ ルクテェオ ロタ シア シレニグ」


 そこへ、白いもっさりひげを撫でながらサディがやって来た。


「あ、私の金属バット」


 右手には、貴子の金属バットが握られていた。

 サディがだいぶ回復したダニェルの様子を見る。


「ヤァヤァ」


 嬉しそうに眉尻を下げた。

 この笑顔は、マルシャのものと違って、売りものが健康になって良かったという下衆な意味であることが貴子にもダニェルにもわかるので、二人は嬉しくない。


「サ、サディ」


 そんなサディにマルシャがおずおずと声をかけた。


「ハァテ シィ オディ?」


 サディが片眉を上げてマルシャを見た。


「ハ、ハウム カァギン シウ ルロォト ダノ?」


 マルシャは、手を組み合わせてお願い事をするようにサディへ話しかけた。


「ハンッ。ハァテ エ ロキィナ テイン ディ シウ ルゥタフィン ウィム。ケェオ タァキエィ ロタ メオ」


 サディが馬鹿にしたように鼻で笑い、しっしっと手をぶらつかせる。


「アフィ レシィレ ルトォチ テビ シュ ダ ホォビア モルエ。ザノ シィ スコォズキィ ダ ディスン ソワ テス マァリ クゥロ ビング。テビ シィ ビム クォルバイ」


「バフ サイ!」


 パンッ、とマルシャが話している途中でサディがマルシャの頬をぶった。


「アウッ」


 マルシャが草地に倒れる。


「あ! 何してんだ!」


 突然の展開に貴子が驚いて立ち上がった。


「ちょっとダニエル! 何!? あの二人何話してたの!?」


 貴子が顔を下向け翻訳を要求する。


「マルシャ、言った。『ダニェルと貴子、放す、お願い』」


 ダニェルがまだ力の入らない声で答えた。


「え? 無理って言ってたのに頼んでくれたの? そんで?」


「サディ、言った。『あっち、行け』。マルシャ、言った。『本当の、お金、する。薬、本当の、お金、マァリ金貨、二枚』。サディ、叩いた」


「薬のお金? 本当は、マァリ金貨二枚なの? 何でそれでひっぱたくの?」


「キルゴ金貨、二枚、高い。マァリ金貨、二枚、少し、低い」


「低い!? 安いの!? そうなの!? あ! サディのやつ本当のこと私らの前で言われたからマルシャのこと叩いたんだ!」


 合点がいった貴子。


「ダニエルっ、マァリ金貨なら払える!?」


「ヤァ」


 ダニェルがこっくんと頷いた。


「おいっ、サディ!」


 貴子がサディを睨むように見る。


「マァリ金貨二枚払うから自由にしろ!」


「ワァナ ゼス トォイ テス マァリ クゥロ ビング」


 ダニェルがサディに伝える。


「フンッ。メイ ニス ダ ネィ ジュウ ボォサグ テビ。メイ イス シェッド ダ ディスン ソワ ダ エデット」


「『私、売る、人。物の、お金、私、決める』」


 ダニェルから貴子への訳。


「ふざけんなっ、この守銭奴がぁっ!」


 怒った貴子が荷台の中を走ってサディに掴みかかろうとした。

 しかし、若い男がサディの前に立ちはだかり、


「ヤップ!」


 突っかかってきた貴子の胸を両手で突き飛ばした。


「うわっ!?」


 貴子は、荷台の中を後ろ回りにゴロゴロ転がり、


「ごへっ!」


 後頭部を壁にぶつけて目玉を裏返し、


「きゅ〜」


 気絶してしまった。


「タカコ!」


 ダニェルが立ち上がりかけたが、


「うぅ……」


 病み上がりの体に力が入らずその場にヘタってしまった。


「シウ ノッタァト」


 サディは、見下した視線を貴子へくれてからマルシャのほうを向き、


「エイ、シィキ チシェ ソワ ダノ」


 と言って荷台の中をアゴでさすと、その場を後にした。

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