第21話 ダニェルが旅をする理由

 陽が沈み、夜。

 商人一行は、馬車を止め、野営の準備をしていた。


 貴子とダニェルは、馬車の荷台から下りるのは禁止で、外に出る時は、荷台入り口の前にいる見張り役の男に声をかけるよう言われていた。


 貴子が桶の水にハンカチを浸し、持ち上げて絞って、横になっているダニェルの額に乗せた。


 荷台の奥で、貴子はずっとダニェルの看病をしていた。

 ダニェルは、貴子の魔女ローブを掛け布団代わりにして眠っている。

 表情は苦しそう。

 呼吸は荒く熱が下がらない。


「ダニエル、吐きそうになったら言ってね」


 貴子がダニェルに話しかける。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 寝ているダニェルからの返事はない。

 早いテンポの呼吸音が聞こえるだけだ。


「大丈夫かな……あの薬本物なのかな……」


 貴子が昼間にダニェルが飲んだ粉薬の中身を疑っていると、


「はぁ、はぁ……マァヤ」


 ダニェルの口からうわ言がこぼれた。


「『マァヤ』か……」


 貴子がうわ言をなぞる。

 貴子は、意味を知っていた。

 『お母さん』という意味だ。


 村の子供たちが母親らしき人に対してよく口にしていたので、自然と意味に気づき覚えていた。


 ダニエルは、十歳くらい。

 母親が恋しいんだろう。

 どうして私についてきたのか理由を聞いてないけど、やっぱり旅なんて無理だったんだ。


「……何とかして、ダニエルだけでも村に帰せたらいいんだけど」


 汗びっしょりのダニェルの首を布で拭きながら、貴子がひとり呟き思い悩む。


「か、帰る、イ、イヤ」


 しかし、そのひとり言にダニェルが返事をした。

 うっすらと開いた目は、天井へ向けられている。


「ダニエル、起きてたの? 具合どう? ちょっとはマシになってる?」


 貴子が心配するが、


「か、帰る、はぁ、はぁ、イヤ」


 ダニェルは、それを聞き流して、もう一度同じ内容を繰り返した。


「何で? お母ちゃんに会いたいんでしょ? ハァラさんに」


 貴子がうわ言で聞いたことを尋ねると、


「お、お母ちゃん、さ、探す」


 よくわからない答えが返ってきた。


「うん? ハァラさんを探す? ん?」


 右へ左へと貴子が首をひねる。


「ハ、ハァラ、お、お母ちゃん、の、はぁ、はぁ、い、妹」


「え? そうだったの?」


 驚きに目をパチクリさせる貴子。


「お、お母ちゃん、はぁ、はぁ、わ、私、お、置く、き、消える、した」


「ダニエルを置いていなくなったの? えぇ〜……」


 ダニェルの意外な過去に、貴子は言葉がつづかない。


「お、お母ちゃん、さ、探す! た、旅、す、する!」


 ダニェルは、意志に力を込めて貴子に伝え、


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 言い終えると胸を一層激しく上下させた


「お、落ち着いてダニエル。安静に、安静にね」


 ダニェルの興奮した声にビックリした貴子が、ダニェルの胸元に手を置いてなだめ、


「今は、病気を治すことだけ考えて。ね?」


 額から流れる汗を拭ってやった。

 そうやって貴子がかいがいしくダニェルの看病をしていると、


「タカコ」


 荷台の入り口にマルシャがやってきた。


「あ、マルシャ」


 貴子が入り口へと向かった。


 マルシャは、看病のための道具を持ってきてくれて以降も、馬車が止まるたびに貴子たちを心配して様子を見にきてくれていたので、貴子はマルシャに対してすっかり警戒を解いていた。


「メイ エベェオ トォルセン」


 マルシャが、手に持っている木の板を荷台に置いた。

 板には、布が被せられた器が載っていた。


「おお~、いい匂い」


 貴子がクンクンと鼻を動かす。

 板の上に載っていたのは、晩御飯だった。


「ありがとう。サリィシャ、マルシャ」


「ヤァ」


 貴子が礼を言うと、マルシャは笑顔でコクンと頷き、


「フェズ シィ ダニェル? シィ テビ ウィゴウ ベフィ メイ カァギン メビオ ダ カッサル?」


 何かを聞いてきた。


「う~ん……?」


 貴子の首がゆっくりと横向きになった。

 言っていることがわからないからだ。

 とりあえず貴子は、マルシャの質問をスルーして、


「あのさ、ダニエルの熱が下がらないんだよ。サディの薬って本物?」


 さっき気になったことを身振り手振り付きで聞いた。


「ハゥン……?」


 マルシャの首がゆっくりと横向きになった。

 言っていることがわからないからだ。


「わかんないし伝わんない……」


 がっくりな貴子。


「ダニエルってすごいな」


 貴子は、ダニェルの翻訳能力のありがたみを思い知らされていた。


「ヤイエ ダニェル イス クアック ビレィ シィル」


 マルシャは、励ますように貴子の膝をポンポンとたたき、


「テェデ、タカコ」


 踵を返して歩き出した。


「ありがと。またね」


 貴子は、手を振って見送った。


「ダニエル、ご飯だよ」


 貴子は、食事が載った板を持ち、ダニェルの元へと戻って麦藁が敷かれた床の上に置いた。

 器に掛けられている布を取ると、穀物のスープが二皿と、ナンのようなパンが二つと、コップが二つと、


「酒だ!」


 葡萄酒の匂いが微かにただよう皮袋が置いてあった。


「うっひょー!」


 貴子は、さっそく皮袋のコルク栓を抜き、葡萄酒をコップになみなみと注ぎ、


「いっただっきまーーーす!」


 コップを持ち上げ、口をつけ、


「……いかんいかん」


 正気に戻った。

 ダニエルが苦しんでるのに私は何やってんだ、と。

 貴子は、葡萄酒の入った皮袋とコップを持って荷台の入り口へ行き、


「ども、お疲れ様っス」


 見張り役として外に立っている若い男の背中に挨拶をした。


「ハゥン?」


 男が振り返る。


「これどうぞ。あげます。飲んで」


 貴子がコップと皮袋を男の前に差し出した。


「シュ メオ? アリ?」


 男が皮袋と自分を交互に指さす。

 「俺にくれるのか?」と言っているんだろうと解釈して、


「ヤァヤァ」


 貴子が頷いた。


「ワォッ、サリィシャ! ホッホーウ!」


 男は、大喜びでコップと皮袋を受け取り、


「いえいえ。ほんじゃ、ごゆっくり」


 貴子は、ダニェルのところへ戻った。


「ふっふ〜ん。ダニエル、見てたか? 私は、酒の誘惑に勝ったぞ」


 貴子が威張る。


「はぁ、はぁ」


 ダニェルの返事は、また荒い呼吸だけになった。


「……一人で喋ってても寂しい。ダニエル、早く元気になっておくれ」


 貴子が、いつもはサラサラの、しかし今は汗に濡れているダニェルの金色の髪を優しく撫でた。



 ……



 その夜、貴子は、一睡もすることなくダニェルの看病をつづけた。

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