第四章

第19話 ゲロリ

 キリィシァ村をあとにした貴子とダニェル。

 次に選んだ目的地は、以前サットが働いていたシャダイという町だ。


 サットの家に泊めてもらっている間、二人は、サットからシャダイの町の大きさや発展具合を教えてもらい、行ってみたくなったのだった。


 シャダイ目指して貴子とダニェルが街道を歩いて行く。


「おっと」


 突然の風に脱がされた三角帽子を貴子がジャンプして素早くキャッチ。


「へへ」


 帽子の穴がふさがれた箇所を見て貴子が微笑んだ。

 悪霊に空けられた穴は、ミュセェラが完璧に修理してくれていた。


「タカコ、話、聞く、する」


 そんな貴子へダニェルからの珍しく強い口調の声。


「あ、はいはい。する、します」


「タカコ、お酒、飲む、多い、ダメ」


「ごめんなさい」


 貴子は今、ダニェルに注意されていた。

 酒の飲み過ぎで。


 バッファたちの村でも毎晩アホほど飲んでいたが、キリィシァ村でも同じように飲み、さらには、お土産にもらった葡萄酒も村を発った昨日の夜に全部飲んでしまっていた。


 それを見たダニェルが、このままではいかんということで貴子に苦言を呈していた。


「大人、言う。お酒、飲む、多い、頭、悪い、なる」


「はい」


「これから、一日、コップ、一個、だけ」


「一杯ね。いっ・ぱ・い」


「一杯一杯一杯。一杯、だけ」


「え〜、そんな〜。ブーブー」


 貴子が不満たっぷりにブーたれた。


「ダメ」


 なかなか厳しいダニェルだった。


「フゥ」


 疲れた顔でダニェルが足を止めた。


「およ? どした、ダニエル?」


「休憩、する」


「そうなの? ダニエルから休憩を言い出すとは珍しい」


 だいたいいつも貴子が疲れたら休憩というパターンだった。


「んしょ」


 ダニェルは、肩から荷物を下ろし、


「んしょ」


 道端に座り、


「ゲロリ」


 ゲロを吐いた。


「おおう!? マジでどうしたダニエルよ!?」


 前置きなしの嘔吐にビックリな貴子。

 幸い服に吐瀉物は着いておらず、貴子は、ポケットからハンカチを取り出して水で濡らし、ダニェルの口を拭ってあげた。


「ちょっと顔あげてね」


 貴子が、俯き加減のダニェルの顔を、おでこに手を当て上向かせた。


「ん? 熱い?」


 ダニェルのおでこは、通常の体温よりも高かった。


「あれ? もしかして病気? ダニエル、体おかしいとこある?」


「う〜……胸、頭、変……」


「胸と頭か……だんだん暑くなってきてるから熱中症かな?」


 貴子は、そう考え、


「とにかく横になって。すぐ治してあげるからね」


 ダニェルをその場に寝かせ、持っていた金属バットを置き、目を閉じて集中力を高めた。

 魔法でダニェルを治すためにだ。


「ダニエルの元気な姿……ダニエルの元気な姿……」


 貴子が頭に健康な状態のダニェルを思い描く。しかし、


「……おかしい」


 いつもの魔法を使う前に感じる胸の中の熱い塊が出てこない。


「でも、とりあえず」


 貴子が両手をダニェルの胸に置いて、


「治れ!」


 命じるように言った。


「……」


 何も起こらない。


「あれ〜? 何で?」


 貴子がもう一度最初から試す。

 だが、胸に熱い塊も出ないし、魔法も発動しない。


「……怪我は治せても病気は治せないのかも」


 貴子は、そう結論を出した。


「ごめん、ダニエル。魔法で治せないみたい」


「はぁ、はぁ(コクリ)」


 ダニェルが寝転んだ状態で頷いて返事をした。

 いきなり嘔吐して声が弱々しくなったかと思ったら、今は、喋るのも辛そうなダニェル。

 目がとろ〜んとして潤み、呼吸が荒くなってきていた。


「どうしよう……」


 貴子の顔に焦りが見え始める。

 ここで看病していても回復するかわからない。

 次の目的地までは、まだ距離がある。

 一旦キリィシァ村に戻ろうか。


 そんなことを考えていた時、道の先にある小高い丘を越えて、三台の馬車がこちらへとやって来る様子が貴子の目に見えた。


「あ、ちょうどいいや。おーい!」


 貴子が馬車に向かって手を大きく振った。

 馬車は、そのまままっすぐ進み、貴子の前で止まった。

 先頭の馬車の御者台から一人、幌付きの荷台から十人ほどの男たちが降りてきた。


 みんな、地味な色合いのこの世界でよく見るチュニックのような服を着ており、手には手甲、足には脛当てをつけ、腰帯に剣を挿していた。


 そして、男たちに遅れて二台目の馬車の荷台からは、貴子と同じ二十歳くらいで、長い黒艶髪、尻下がりの目をした甘い顔立ちの美女と、白いもっさりとしたヒゲを生やした老人が降りてきた。


 女性は、ワンピース風の服装。

 老人は、同じくワンピースタイプの服だが、もう一枚、古代ローマ人が身につけていたトーガのような布を体に巻いていた。


「(う〜ん、ヤバい人たちに声かけたかも……)」


 と貴子が剣を持った男たちを見てたじろいでいると、もっさりヒゲの老人が前に出てきて、


「ハァテ シィ ダ テイオ?」


 心配そうに尋ねてきた。

 優しい声音に貴子は少し安心して、


「あ、あのですね、ウチのダニエルが病気みたいなんですよ。お医者さんいたりします? もしくは薬があったらわけてもらえないかなぁって」


 日本語で話しかけた。


「ハゥン? ハァテ アスヤァシャ シィ テビ? ゼスギン シウ エソォク マァリ ケット?」


 貴子は、相手が何を言っているのかわからないが、向こうも同じようなことを言っているんだろうと予想できるので、


「ダニエル、病気。ゲロ吐いた、気持ち悪い」


 道端で寝転ぶダニェルを指さしたあと、嘔吐するゼスチャーをして、苦しそうな顔を作った。


「ハゥン?」


 老人がダニェルのほうを見た。


「ホゥホゥ……」


 老人は、貴子の言ったことを理解したように頷いてダニェルの横にしゃがみ、ダニェルの髪、頭皮、頬、目、口の中、服を捲り上げて体などを見始めた。


「何してるの? 診察? おじいちゃんってお医者さん?」


 老人は、ダニェルの体のあちこちを見たあと、貴子の通じていない質問をスルーして、


「エイ」


 一緒に馬車を降りて来たトロンとした顔つきの美女に声をかけた。

 美女は、相手の言いたいことを察して馬車の荷台に戻り、すぐにまた出てきて老人に四角い小箱を渡した。


 青銅製で蔦の葉模様の装飾が施された手のひらに乗るサイズのものだった。

 老人が小箱の蓋を開けると、中には灰色がかったのある粉が入っていた。


「何それ? 粉薬?」


 貴子が食べるゼスチャーをして聞く。


「ヤァヤァ」


 頷く老人。


「それをくれるってことだよね。ありがとう、おじいちゃん。助かります」


 貴子がペッコリ頭を下げた。


「ダニエル、この人が薬くれるって。薬わかる? 飲む、体治る、食べ物」


 目をつむって荒い呼吸を繰り返していたダニェルがまぶたを上げ、貴子、老人と視線を移して小さく頷いた。

 それを見てから貴子がダニェルの上体をゆっくりと起こしてやり、


「そんじゃ、お願いします」


 もう一度老人に頭を下げた。


「ヤァ」


 老人は、返事をして、茶杓のような木製のスプーンで粉をひと匙掬い、わずかに開いたダニェルの口にスプーンの先端ごと粉を入れた。


「〜〜〜ッ」


 ダニェルの顔がシワシワになる。

 苦いのだ。


「はい、ダニエル、水だよ」


 老人がダニェルの口からスプーンを抜き、代わりに貴子が水の入った皮袋の飲み口を挿し入れると、ダニェルはゴクゴク喉を鳴らして水と一緒に薬を飲み下した。


 老人は、上下に動くダニェルのノドをじっと見つめ、ニヤリと薄く笑った。

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