第17話 聖なる金属バット

 音を立てないようゆっくりとドアを閉めた貴子。


「やってみるとは言ったけど、どうしようか」


 悩んでいた。

 何も作戦を考えていなかった。


「う〜ん……日本で覚えた悪霊対処法を試すか」


 ひとまず本で読んだことをやってみることにした。

 この世界でもキリストの効果ってあるのかなと疑問に思いつつではあるが。


「え〜っと」


 貴子が蝋燭の乗った受け皿を床に置き、


「まずは、自分を悪霊から守る魔法陣を作らないと」


 額と胸にカバラ十字を切りながら式句を唱える。


「汝に、おお神よ。国と力と栄えとは世々に至るまで。アー」


「ガァァァァァァァァァァッ!」


 サットが起き上がった。


「メーーーーーーーーーーーーーーーン出やがったなこんちくしょうがぁぁぁぁぁっ!」


 貴子が叫んだ。


「タカコ!」


 声を聞いたダニェルが扉の隙間から顔を覗かせた。


「ダニエルっ、入ってきちゃダメだからね!」


 ダニェルに忠告して、貴子が金属バットを剣道家のように中段に構える。

 サットは、ベッドの上で浮かび、ざんばら髪の隙間から濁った目で貴子を見ていた。

 白いワンピース風の服がヒラヒラと揺れている。


「こ、怖ぇ〜。幽霊みたいっつーか、もう幽霊そのものだよ」


 貴子がグチる。


「マァリヤ……マァリヤ……。テビ シィ メセナフィン ザノ エ マァリヤ ルシィニキィ ジクグ」


「『魔女、魔女。魔女、いる、私、ビックリ』」


 扉の隙間からダニェルの訳。


「お前が言うな」


 貴子がつっこんだ。


「おい、あんた。サットさんに取り憑いてる霊が喋ってるんだろ? サットさんから出て行け」


「『クアック セファ ソワ キオ!』」


 ダニェルが語気を強く訳す。


「カァ シウ ノォル シュ クアック セファ? ダ セイエ シィ ネェン。メイ ミティ アリ タミス。アリ カッド シィ エ タァグ。トア シィ ネェブフィン オディ ジェス テビ、テビ シィ ダ ビィピオ ミナァナ ザノ シィ オォバ ウェンブト オク アッテティグ ソワ ラキュス テビマフ、ケケケケケ」


 サットが口角を上げて笑った。


「……あ~、う~……『イヤ』」


 ダニェルのはしょった翻訳。

 長くて覚え切れなかったのだ。


「一つ聞くけど、サットさんをどうするつもりなの?」


 貴子が疑問をぶつけ、ダニェルがそれをサットへ伝え、


「メイ ニス ケェオフィン シュ アミィナイ アリ タミス コミ シィキ ザバ」


「『体、弱い、する。私、体、もらう』」


 サットの答えを日本語に訳した。


「つまり、サットさんの体を弱らせてから乗っ取るってこと? ふざけんな」


 貴子が吐き捨てる。


「あれだけたくさんの人がサットさんの無事を祈ってるんだ。そんなことさせるか」


 サットの中にいる悪霊を睨みつけた。

 とはいえ、どうしたものかと貴子が焦る。


 日本で覚えた儀式を目覚めた悪霊の前でやっている余裕はない。

 魔法を使うなら『聖』魔法なのだろうが、貴子は、その『聖』がうまくイメージできなかった。


 『聖』とは『聖霊』。

 つまり、神様のことだ。


 神様の力は人に対して直接的ではなく間接的に現れる。

 時に言葉に宿り、時に場所に宿り、時に物に宿る。


「私が今必要としてるのは、悪霊を倒す何かだから、イメージするのは聖なる武器のようなもので……」


 と貴子がそこまで考えた時だった。

 胸にいつもの熱い塊を感じたかと思うと、貴子の目の前で何かが光りだした。


「ん?」


 貴子が視線を下げる。


「……マジで?」


 中段に構えた金属バットが薄暗闇の中で白い光を放っていた。

 光が闇を浄化するように室内を白く白く照らす。


「オゥ……」


 ダニェルが驚きと眩しさに目を細めた。


「ハ、ハァテ シィ ザノ ダァナ!?」


 サットの表情は、眩しそうというより苦しそうで、


「エイ! カァギン エベィ テビ リスコ シュ メオ!」


 しかも、少しイラついているように貴子の目には見えた。


「タカコ! サット、言う、『武器、近い、やめる』! サット、その武器、嫌い!」


 ダニェルの訳とアドバイスが貴子の推測が当たっていることを教えてくれた。


「よっしゃ! だったらあとは、この聖なる金属バットで悪霊を殴って……殴って………………殴るの?」


 悪霊を殴るということは、サットを殴ることでもある。

 みんなが助けてくれと言っている人を殴るのである。

 村の英雄を金属バットで殴るのである。


「大丈夫か……?」


 貴子が躊躇した。


「ハゥン?」


 貴子の様子を見ていたサットは、


「オゥ」


 貴子が攻撃してこない理由に気づき、


「シウ ベヒダ!」


 その隙に動いた。

 サットが手を振り上げるとベッドの横、テーブルの上にあった桶が浮き上がり、


「ヤッ!」


 手を振り下ろすと、貴子目がけて宙を飛んだ。


「うっそ!? そんなことできんの!?」


 驚きつつも貴子は、


「しゃあ!」


 飛んできた桶を金属バットで叩き壊す。

 壊れた桶の破片が辺りに散らばった。

 次にサットは、椅子を飛ばした。


「やぁっ!」


 貴子がこれも金属バットで叩き壊す。

 次にサットは、テーブルを飛ばした。


「ちぇすとぉっ!」


 貴子が三度金属バットで壊した。

 次にサットは、ベッドを見た。


「そんな大きいのも飛ばせるの!?」


 貴子が驚き身構える。

 そこへ、貴子の正面斜め下から壊れたテーブルの脚が飛んできた。


「げっ!?」


 意表をついた攻撃に貴子が慌ててしゃがむ。

 尖った先端は、貴子の被る三角帽子に当たって通り過ぎた。

 帽子が脱げただけで、貴子自身は無傷で攻撃をかわすことができた。


「タカコ、大丈夫!?」


「だ、大丈夫大丈夫」


 ダニェルに答えて貴子は、脱げた三角帽子を拾おうと後ろを振り返った。


「あ……」


 三角帽子がテーブルの脚によって壁に縫い付けられていた。

 貴子は、呆然とした表情で三角帽子を見つめた。


「クケケケケケケケケケケ」


 貴子の様子に、危ない目にあってショックを受けていると考えたサットが愉快そうに笑った。


 貴子が立ち上がり、壁からテーブルの脚を抜いて三角帽子を取った。

 帽子には、大きな穴が開いていた。


「おばあちゃんが作ってくれた帽子が……」


 貴子が泣き出しそうな顔で三角帽子の穴に触れた。

 この三角帽子は、貴子が小さい頃、祖母から誕生日プレゼントにもらったものだった。


 「私、魔法使いになる!」と言う貴子に、祖母がわざわざ手作りして贈ってくれた、世界にひとつしかない帽子だった。

 大事大事な帽子だった。


 貴子は、自分が危ない目にあったことにショックを受けたわけではなく、帽子に傷をつけられたことにダメージを受けていたのだった。

 俯き帽子を見つめる貴子の肩が震えている。


「タカコ……?」


 心配そうなダニェル。


「ケケケケケ」


 笑うサット。そして、


「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふふ」


 貴子も笑っていた。


「?」


 貴子を見るダニェルとサットが、怪訝そうな表情を顔に浮かべる。

 笑いを収めた貴子が三角帽子を被り直して顔を上げた。


 額には青筋が浮かび、目尻が悪魔のごとく吊り上がっていた。

 貴子は、ブチ切れていた。


「……やりやがったな、この寄生虫野郎が」


 貴子の金属バットを握る手に力が込められる。


「やってやる。殺ってやるよ」


 ガンッと床板を殴り、


「おとし前つけさしてやる、フヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」


 危なく笑った。


「ゴクリ……」


 ダニェルが生唾を飲んだ。


「ゴクリ……」


 サットも息を飲んだ。

 悪霊もビビるほどの迫力だった。


「動くなよ」


 貴子がサットとの距離を詰める。


「エ、エイ! ベフィ シウ ケス テビ、サット イス ベェウ ソビィケオ! シウ ネイトワ!?」


 サットが焦った顔で口を開き、


「『それ、殴る、サット、怪我、する。あなた、わかる?』」


 ダニェルの訳。


「ハハ、わかってるわかってる」


 ダニェルへ顔を向け陽気に答える貴子。


「でもよく考えたら、怪我しても魔法で治せばいいからさ」


「オゥ、ヤァ。タカコ ゼス ベェウ ネレェオ ハジ ルルゥカ!」


 ダニェルが納得顔で頷き、それをサットに伝え、


「ほんじゃ」


 貴子がグリンっと、フクロウみたいな気色悪い首の動きで顔をサットへと戻し、


「ヒッ」


 ビビるサットに、


「脳味噌ぶちまけて死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 金属バットを振り上げ襲いかかった。

 とてもわかっているとは思えないセリフだった。

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