第7話 一緒に
井戸水の雨が止むと、みんなは、未使用の桶を使って再度井戸から水を汲み上げた。
代表のおじいさんが桶の中を覗き、試し飲みして笑顔で何事かをみんなに言うと、わっと場が沸いた。
もちろん喜びの声で、だ。
そして、村人は、貴子のところへと集まり、言葉や抱擁や頬に口づけをして感謝の気持ちを伝えたのだった。
◇◇◇
井戸の作業が終わったので、村人は、それぞれ畑仕事や家畜の世話などの本来の仕事へと戻って行った。
貴子は、水をたらふく飲んだあと朝食を兼ねた昼食を済ませ、ダニェルに村の中を案内してもらいながら、ダニェルにせがまれて日本語を教えていた。
「これは、何?」
「これは、花。は・な」
「花。花。花。これは、何?」
「これは、木。き」
「木。木。木。これは、何?」
「これは――」
ダニェルがものを指でさし、貴子が日本語を教える。
村は、小さいので、案内してもらうところもすぐになくなり、ほぼ日本語教室になっていた。
「これは、何?」
「これは、ウンコ。ウ・ン・コ」
「ウンコ。ウンコ……ぷぷっ、ウ、ウンコ、ぷぷぷっ」
ダニェルが口を押さえて可愛らしく笑った。
異世界でもウンコって子供に大人気だなぁ、とは貴子の心の声。
そんな風に貴子が日本語を教えていると、
「サァクネィ マグ テカ!」
村の入り口のほうからの女性の大きな声が村中に響いた。
何だろうとダニェルと貴子がそちらへ顔を向けると、村の入り口に若い男が四、五十人ほどもいた。
まさかまた野盗か、と貴子は考えたが、
「スィン!」
とダニェルが言って、笑顔でそちらへ駆けて行く姿を見て、あれは村の男たちなのだろうとわかった。
村人全員が彼らの元に集まる。
男たちは、みんなの出迎えを喜んでいたが、女や子供が自分に抱きつこうとすると、手で制してあわてて止めた。
彼らの姿は、もともとは白かっただろうチュニックのような服が濡れており、薄紫色に染まっていた。
中には、お腹を押さえて苦しそうに表情を歪めている者もいる。
男たちの一人がみんなを代表するように語り出し、『帰ってくる途中で空から何かが降ってきてご覧の通りさ』といった感じのボディアクションを交えて説明していた。
それを見た貴子は、とても嫌な予感を覚えた。
「(アレ、魔法で捨てた井戸水じゃね?)」
と。
「(それがかかったんじゃね?)」
と。
貴子が男たちの格好をじっくり観察する。
腰帯に刀身の短い剣、斧、鉈などを挿している。
弓を持っている人もいる。
お腹痛くなる水かかったくらいで怒らないと思う。
でも、怒ったらどうしよう。
剣で刺される?
まさか、そんな……けど、あのお腹押さえて辛そうにしてる人、すごい顔怖い。
『狂犬』とか異名ありそう。
大丈夫かな?
ヤバい?
逃げたほうがいい?
どうする?
などと貴子が迷っていると、男の話を聞いた村人たちが、何かを思い出そうとするように空を見上げ、少しの間をおいて、「あ」という顔を作って一斉に貴子へ視線を向けた。
「さいなら!」
貴子は、逃げることにした。
◇◇◇
「んしょっ」
貴子の放り投げた石が、ポチャンと音を立てて水面を揺らし沈んでゆく。
村から逃げ出した貴子は、昨日の森の中にあった泉のほとりへ来ていた。
体育座りをして、
「この世界に来ちゃたものはしょうがないとして、これからどうしよっかなぁ」
と考えに
日本に帰れるんだろうか?
帰っても魔法は使えるんだろうか?
使えなくなるならここに残りたい。
せっかく夢が叶ったんだから満足するまでこの世界にいて、あちこち歩き回りたい。
歩き回るなら、日本のキャンプセットとかあったほうがいいから取りに帰りたいし、お父ちゃんお母ちゃんにも話しておきたい。
でも、取りに帰れたとしても、もう戻って来れなくなるかもしれない。
魔法も使えなくなるかもしれない。
だったらここに残りたい。
「う〜む……」
貴子の思考がぐるぐる廻る。そこへ、
「タカコー!」
貴子の知っている子供の声が聞こえてきた。
ガサガサと草葉を揺らし現れたのは、
「や、ダニエル」
貴子の思った通りの人物、美少女のように可愛い美少年、ダニェルだった。
貴子を見つけたダニェルは、切羽詰まったようだった表情を安堵に変え、思い切り走って、
「タカコ!」
貴子の首に抱きついた。
「ぐえっ」
貴子がちょっとえづいた。
「ごほっ、ごほっ、ダ、ダニエルや、ど、どしたの?」
貴子がダニェルを引き剥がし尋ねる。
ダニェルは、少し涙ぐんでいた。
「およよ? マジでどした?」
あやすように貴子が頭をなでて尋ねると、
「ぐすっ、な、何?」
ダニェルは、村のある方向と今いる場所を指さした。
「どうして村から出て行ったの?」と聞きたいのだと貴子が察して、少しの日本語と身振り手振りで、水をかけられた男の人たちが怒ると思ったからとんずらこいたことを伝えた。
理由を教えてもらったダニェルは、
「男、野盗、ありがとうありがとうありがとう。男、井戸、ありがとうありがとうありがとう」
力説するように、両手で握り拳を作って言った。
「あ、みんな怒ってないのね。昨日今日のことを聞いてすごく感謝してくれてるのか。よかったよかった」
貴子がほっとひと安心。
貴子の表情を見て説明が通じたことがわかりダニェルも胸を撫で、
「村、村、村」
貴子の腕をぐいぐい引いた。
「村に戻ろうってことね」
貴子は、ダニェルの言いたいことを読み取って、
「よし、戻ろっか」
勢い良く腰を上げた。
貴子がお尻についた草をパンパン払っていると、
「タカコ、村? 明日、村? 明日明日、村? 明日明日明日明日明日明日、村?」
ダニェルが何かを尋ねてきた。
「ん〜?」
貴子は、なぞなぞのような問いかけに首をひねって頭を働かせ、
「……あ、『いつまで村にいるの?』ってことかな」
おそらくの答えに当たった。
「二日くらいお世話になろうかな。んで、必要なものそろえて、旅に出ようと思う」
貴子は、考えた末、帰る方法を探しつつこの世界を歩き回ることにしていた。
「たび、にでよう、と?」
ダニェルが首を傾げたので、貴子が、
「そう、旅。た・び。あっちに行ったり、そっちに行ったり、世界を見て回るの」
いろんな方向を指でさし、歩き回るゼスチャー付きで説明した。
「オゥ、旅! ソクトォリ! ソクトォリ ダ クァアオ!」
旅の意味を理解して、ダニェルは、頬を紅潮させて鼻息を荒げ、
「タカコっ、これ! これ!」
と両手で空気を押さえるような手振りをして、どこかへ走って行った。
「多分、ここで待っててってことだろ」
そう解釈して、貴子は、ダニェルの意図がよくわからないながらも、もう一度泉のそばに腰を下ろした。
◇◇◇
三十分後、
「タカコー!」
ダニェルが走って戻ってきた。
「旅!」
肩から大きな荷袋を下げていた。
「……え〜と?」
貴子の首が真横になるくらい傾げられた。
「タカコ、旅! 私、旅! タカコ、私、旅!」
「……もしかして、私と一緒に行くつもり? 旅に?」
貴子が自分とダニェルを交互に指でさした。
「サァ!」
ダニェルが良い笑顔で頷いた。
「え、いや、今すぐ行くわけじゃないよ? 村に戻ってしばらくしてからだし、ダニエルも村に戻ろうって言ったでしょ? てゆーか、ダニエルに旅は無理じゃない? この世界のことよく知らないけど、危ない獣とかいるんでしょ? それに、お父ちゃんとお母ちゃんに許可取ってないよね? ダメって言うよ? 子供が馬鹿言っちゃいけませんって怒られるよ? 学校とかどうすんの?」
矢継ぎ早に質問する貴子。ダニェルは、
「う~ん、う~ん」
難しい顔でうなって、
「う〜〜〜ん」
荷袋の中を漁り、
「サァ」
銅のコインを差し出した。
「……いや、そういうんでなく」
貴子は、ダニェルの手をそっと押し戻した。
「旅! 旅!」
行く気満々なダニェル。すでにワクワクしている。
そんなダニェルの肩に貴子はポンと手を置き、
「とりあえず、一回村に戻ろう? 行くかどうかはそれから。ね?」
村のほうを指さして提案した。
「サァ!」
ダニェルは、元気よく返事をして歩き出した。
貴子が、大きく手を振って歩く自分よりも頭ひとつ分小さいまだ子供なダニェルの後ろ姿を眺める。
ダニエルの親は、ダニエルの旅に反対するだろうし、私も危険だからやめておいたほうが良いと思う。とはいえ、
「(一人旅ってのも寂しいし、ダニエルがいてくれたら嬉しいかも)」
という思いも貴子の中にあった。
「花。木。ウンコ。ぷっ、ウ、ウンコ、ぷぷぷっ」
覚えた日本語を早速使っているダニェルのあとにつづいて歩き出し、一緒に旅をする自分たちを想像して頬を緩める貴子だった。
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