第95話 「兄妹」

「ようこそわが家へ。二人とも今日からバーンスタイン家の一員だ。自分の家だと思って過ごして良いんだよ」


 ほんの数刻前まで薄汚れた服を着ていた兄妹は、清潔な服に着替えさせられ、調度品の整った部屋を前に立ち尽くしていた。

 兄妹の目の前で笑顔を見せている男性と、その後ろで笑みを絶やさない女性とは一度だけ会った事が有る。

 兄妹が居た孤児院は、親を亡くした子供たちが、引き取り手が無い時に収容される施設で、公金による僅かな補助と一部の偽善的な寄付金で運営されていた。


 時には食べ物にさえ困るほど困窮した施設で、子供達はある程度の年齢に達すると、男は肉体労働の働き手として、女は男性を相手にする店へと買われて行くのが常であった。

 時折、孤児を養子として引き取りたいという者達が現れ、何人かの子供が引き取られて行く事はあったが、まともな引き取り先かどうか、そこで幸せに過ごせるのかなどを調べる職員などはおらず、更に悲惨な目に遭う子供も少なくはない。

 そんな中、軍の上級士官の夫妻に兄妹揃って引き取られたのは、兄妹にとって僥倖ぎょうこうと言っても過言ではない出来事だったと言える。


 引き取られて直ぐの頃は、酷い目に遭わされるのではないか、いつか施設に戻されるのではないか、という不安からあまり笑わない二人であったが、いつしか夫妻の優しさに愛情を感じ、同じ学校に通う士官の子供達と変わらない生活を送る様になっていた。

 笑顔を絶やさない明るい妹のリーザに、彼女を守る様にいつも傍にいる優しい兄カークス。

 両親の勧めで士官学校への進学を決めたカークスに続き、軍本部の事務系の職に就くために軍に入隊したリーザ。

 普通に生きて行く事を目指していた二人の人生が、思いもよらぬ方向へと進んでしまったのは、入隊したリーザの適性検査の結果が出た時からであった。

 線は細く体もそれほど強くないリーザのパイロット適正能力は、エリートパイロットをも凌ぐ異常な数値を示していたのだ。

 軍は直ぐにリーザをパイロット養成部署へ送ろうとしたが、気の弱いリーザは戦闘を行うパイロットになどなりたくなくて、軍からの推薦を断っていた。

 だが、ミストルテイン作戦を極秘裏に進めていだ軍は、GDのパイロットになり得る人材を逃す訳には行かず、彼女ほどではないものの、高いパイロット適正のある兄カークスと共に、パイロット育成部署へと送る段取りを整えたのである。

 二人を育ててくれた優しい両親の身の安全を脅かす事によって……。




「リーザ、開けろ。いつ出撃になるか分からないんだぞ」


「兄さん。私はもう嫌、GDになんか乗りたくない。嫌!」


「リーザ。今更そんな事を言い出してどうする。あと少しだ。オーディンを倒せば終わりだ」


「嘘よ! オーディンの騎士なんか倒せる訳ないじゃない」


「そんな事はない。俺達は強い。あいつらは機体性能が高いだけの偽物だ。同じ性能の機体で負ける訳がないだろう」


「でも嫌。もう乗りたくない……辛いの」


「リーザ、我儘を言うんじゃない。いま俺達が軍令違反をしたら、父さんたちが厳しい戦場に送られる。お前はそれでいいのか?」


「……」


「俺達が戦争を終わらせてしまえば、父さんたちが送られる戦場もなくなる。そしたら二人で軍を辞めよう。とにかくドアを開けて出て来てくれ。ゆっくり話そう」


「うん……分かった。兄さんごめんなさい」


 リーザがドアのロックを解除し、閉じこもっていた部屋のドアを開けた。


「ぐっ……あああああ!」


 ドアが開くや否や、カークスの脇に潜んでいた兵士たちによって、彼女の体にテーザー銃の針が幾本も撃ち込まれ、電撃で硬直したリーザは、うめきながら崩れ落ちる。

 美しいブロンドの髪を漂わせながら、疑似重力を作り出している床へとリーザがゆっくりと倒れ込んで行った。

 意識を失った妹の体を、カークスが優しく抱きとめる。


「連行して拘束しておけ」


 命令を下す下士官に、カークスが悲しみに満ちた目をむける。


「手荒な真似はしないでくれ。これ以上リーザを怖がらせないでやってくれ。頼む」


「研究員をひとりくびり殺しておいて、妹が罪に問われなかっただけでも有難いと思え」


「ぐっ……」


 両脇を抱えられ連行される妹の後ろ姿を見ながら、自分の不甲斐無さにカークスは身を震わせていた。


「俺が守ると誓ったのに……すまない、リーザ」


 ────


 指揮席で目をつぶっていたロイドボイドが不意に目を開いた。

 鋭い眼差しで戦況を示すモニターに視線を向ける。

 次の瞬間、敵艦隊と対峙しているミストルテイン艦隊の左翼後方に人工物を表す形が現れ、直ぐに敵艦隊で有る事を示す表示に切り替わった。直後に艦橋に警告音が鳴り響く。


「来たか」


 警告音で戦況の変化を知った者達が慌ててモニターに目を向ける。

 前方に展開する艦艇数とほぼ同数の敵艦隊が、自軍を挟み込む様に宙域を埋め始めていた。


「大佐のおっしゃる通りでしたね」


「まあ、中将殿であれば、この程度の予測はしているだろう。こちらが崩れる事はない」


 ロイドボイドの言葉通り、モニターに展開される戦況は、ミストルテイン艦隊の一部が速やかに左翼後方へと展開し、敵艦隊へ対峙する構えを見せた。挟撃される宙域に展開していた部隊も乱れる事なく後退している。

 敵が奇襲を狙っていたのであれば、その思惑は完全に防がれた形となったのだ。


「艦隊司令部に伝えてくれ。敵GW部隊の状況を注視。敵GDが確認でき次第詳細を寄越せと」


「はっ! 承知しました」


「各運用艦のパイロットは出撃待機。指示を待て」


「はっ! 通達します」


 通信オペレーターが旗艦とGD運用艦への連絡を行っている間、ロイドボイドは再びモニターを睨んでいた。その口元には嬉しくて堪らないと言った笑みがこぼれている。


「……さて、どこから出て来るかな、オーディンの騎士とやらは。何人いるのかは知らんが、騎士などと気取っていられるのも、あと僅かな時間に過ぎなくなるさ……」


 彼は脇に控えていた下士官を呼び付けると、他の者には聞き取られないよう注意しつつ指示を与えた。


「リーザの液滴をそろそろ始めろ。間もなく出撃だ」


 下士官は頷くと、きびすを返し指令室を後にした。

 ミストルテインのパイロット達は、操縦のパフォーマンス向上と対Gによる蓄積疲労を軽減するという名目で、全員何かしらの薬液を出撃前に使用している。

 彼らは志願してGDのパイロットになっており、戦闘後に重度の疲労状態に陥るものの、進んで薬物の使用を受け入れていた。

 その事は運用部隊の者達には暗黙裡に周知されているが、リーザに関する事は一部の者にしか知らされていない。

 彼女は本人の意思に反して、強力な薬を施されている。恐怖も痛みも感じず、敵を殲滅せんめつする事だけを目指す、狂人的なパイロットとしての潜在能力を覚醒させる為に……。


「旗艦より入電。敵GDと思われる機影を二機確認。一機は敵右翼側、もう一機は新たに現れた艦隊より出撃して来たとの事です」


「映像はあるか」


「はっ! 投影します」


 オペレーターの声と共に、敵のGDが映る画像がモニターに映し出された。

 片方は白い機体で、もう一方は赤い機体であることが見て取れる。


「ふむ。別々の宙域に現れたか……。バーンスタイン兄妹を白い方に向かわせて、俺は負けた追跡部隊のお礼に赤い機体に向かおうか。まあ、負けた時は俺の指揮下ではなかったがな」


 ロイドボイドがパイロットスーツのシールを首元まで締めて出撃の準備に入る。

 彼に指示を仰ぐ為に運用部隊の副官が傍に寄って来た。


「P系を二〇〇機程残せ。勝利後の残務整理用だ」


「はっ!」


「残りは全機出撃。三部隊に分け、俺とバーンスタイン兄妹に一部隊ずつ。残りは敵中央艦隊への攻撃に参加させよ」


「承知しました!」


 ロイドボイドは直立不動の姿勢を崩さない副官の耳元に顔を寄せた。

 彼はミストルテインのパイロット運用に関する、後ろ暗い情報を共有している。


「……バーンスタイン隊はリーザの覚醒後、直ぐに左翼後方に向かわせろ。白いオーディンの騎士を討ち取れと伝えておけ……」


「……はい。リーザの覚醒確認が取れ次第……」


「では、後の事は頼んだぞ」


「はっ!」


 ロイドボイドが指揮室を後にして、彼のディープグリーンの機体が待つ格納庫へと向かう。不敵な笑みを浮かべ、何かを見据える様な目つきをしながら……。


「オーディンの騎士か……。実力を見せて貰おうか」

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