第53話 「イツラ姫の休息」
「ねっ! ちゃんと抜け出せたでしょう」
「はあ」
「このホテルには小さい時から良く連れて来られていたのよ。両親と他国の要人とかとの面談が長くなると、手持ち無沙汰だから館内を探検して回っていたのよ」
「本当に大丈夫なのですか。姫様が居なくなったと分かったら、大騒動になりませんか」
「大丈夫よ。父を出迎えにコロニー外に出ている事になっているから」
「……」
──それで行方が分からなくなる方が、余程大騒動になる気もしない事もないが、今さら仕方がないか……。
突然部屋に現れたイツラ姫の目的は、俺とお忍びで街を散策する事だった。
イツラ姫はアウグドに向けて出発して以来、一度も自由に行動した事がなかったそうだ。
やっと帰国出来たものの、この先も式典や公式行事の連続で自由な時間は取れないらしい。
国王が戻って来るまでの、束の間のこの三日間が唯一自由に過ごせるチャンスだったらしく、何故か部屋に引きこもっていた俺も羽を伸ばしたいだろうと考え、誘いに来たという事だった。
とてもそんな気分ではなく、やんわりと断りを入れていたけれど、独りで行くと言い出したので仕方なく付き合う事にしたのだ。
イツラ姫はいつもと違い可愛らしい服を着ている。確かワンピースとかいう服だ。
麦わら帽子とサングラスを着けて、街の女の子達と同じような格好だと言っているけれど、姫の高貴な雰囲気は隠せて居ない気がする。
でも、横に居る俺が割と普通の格好をしているので、まあ大丈夫なのかも知れない。
「イツラ姫」
「ちょっと、その呼び方をされると、周りにバレてしまうでしょう」
「あ、はい。そうですね。では、何とお呼びすれば良いですか」
「うーんとねぇ。マリーって呼んで下さい」
「ま、マリー姫ですか」
「……リオンさん。『姫』は要りません。隠している意味がないでしょう」
「あ、はい。でも、何でマリーなんですか」
「昔からそんな風な可愛らしい名前に憧れていたの。イツラという名前も素晴らしい意味があるのだけれど、可愛くはないでしょ。だからマリーが良いの! そう言えば貴方の名前もニュースになっているから、そのままでは良くないわね。リオ兄で良い?」
「あ、はい。ご自由に」
「うふふ。では、リオ兄行きましょう」
マリーことイツラ姫は、俺の腕を掴みながら胸を張って嬉しそうに歩き始めた。
女の子から『リオ兄』なんて呼ばれた事なんてないから、ちょっとドキドキしてしまう。
イツラ姫はイーリスで引きこもって居た時も、俺が本当に怪我をしていると信じていて、心配して何度も訪ねて来てくれていた。
それなのに俺は彼女がイーリスから去る時も、ろくに挨拶もせず見送りもしなかった。
あんなに無礼な事をし続けて来たのに、イツラ姫は普通に接してくれている。
最初は乗り気ではなかったけれど、無礼な振舞いのお詫びの意味も込めて、イツラ姫に久しぶりの自由を楽しんで貰える様に頑張ろうと思った。
「うーん。ここのピザ美味しい!」
イツラ姫が至福の表情をしながらピザを頬張っている。
自分が作った訳でも何でもないが、こんなに嬉しそうに食べる姿を見ていると、こっちまで嬉しくなってしまう。
周囲の人に顔が分かると姫だと気付かれてしまうのでサングラスは外せない。でも、時々丸いレンズから上目遣いで覗く表情が絶妙に可愛らしかった。
「イツ……マリー。これからどうするの?」
「えーとねぇ。リオ兄とこれから映画を観て、そのあと洋服を買いに行って、喫茶店でアイスクリームを食べて、夕方になったら公園の湖を見に行くのよ」
何だか予定がびっしりと組まれているけれど、普段は自由の無い姫が精一杯楽しみたいと言う事だから、しっかりとお供をしないといけない。
それにしても、ヤーパンの首都コロニーの素晴らしさには圧倒される。
アウグドも華やかで美しい街だったけれど、裕福な人達の観光が中心の街だった。
一方、ヤーパンの街には普通の人達の生活が溢れている。農業コロニーにあった小さな町をコロニー全体に広げた感じだ。
商業施設のエリアには、広い歩道に街路樹の緑が続き、その両脇に華やかな看板を付けた沢山のお店が建ち並んでいる。
俺がいちいち感動していると、上空の反対側にうっすらと見える街並みを指さしながら色々と教えてくれた。
高層ビルが立ち並ぶビジネス街のこと。そこから伸びるチューブ型の交通機関の先に住宅街が広がっていること。そしてその先にまた街があって、自然があって、そこに住む人々の暮らしがあって……。
俺の住んでいた作業用コロニーと比べると、完全に違う世界だった。
──こんな街並みを親方やあんちゃん達にも見せたかった……。
そう思うと、寂しさと悔しさがふっと胸に沸いたが、今は考えない事にした。
────
「リオ兄、映画楽しかったわね!」
「そ、そうですね」
悲しい別れのシーンで号泣し、最後のハッピーエンドのシーンでは、手を胸の前で組んで目を潤ませていたイツラ姫。感情豊かで本当に可愛らしい女の子だと思う。
一国の命運を握り、公人として凛とした姿をし続けていた事を思うと、こんな風に息抜きに付き合えた事が本当に良かったと思えてくる。
そして、俺自身も塞ぎ込んでいた気持ちを忘れる事が出来ていた。
「じゃあ、次はお洋服を見に行きましょう」
「は、はい……」
笑顔で俺の腕を引いて行くイツラ姫。この嬉しそうな顔には見覚えがある。服を買いに行く前のセシリアさんと同じだ。
きっとこれから延々と服屋を回る事になるのだ。何着も試着した姿を見せられ、意見を求められる。
「どう?」と聞かれるから「似合っています」と答えると、「ちゃんと見てる?」と怒られる。
「どっちが良いと思う」と聞かれるから、訳も分からず「こっちかなぁ」と答えると「ええー、そっちはないなぁ」とか……。
そして買うのかと思ったら、買わずに他の店で同じことを繰り返し、最後に「リオンちゃんが似合うって言ったから」と、もう一度最初の店から回って、両手に溢れんばかりの服を買っていた。
やはり、イツラ姫も同じなのだろうか……。
取り敢えず、イツラ姫の場合は数件で済んでしまった。
気に入った物を直ぐに買っていた事もあるけれど、試着の時にサングラスを外した顔を店員に見られてしまい、騒ぎ出しそうな店員に「良く似ているって言われるんですぅ」とか言って、走って逃げ出して来たのだ。
別に追われていた訳ではないけれど、イツラ姫の手を握って走り続けた。
振り向くと、イツラ姫も走りながらとても楽しそうに笑っている。何だか凄く楽しい。
そのまま街中を駆け抜け、ちょっとした路地に入り込んで息を整える事にした。
「マリー、大丈夫ですか」
「ハアハア……。久しぶりに走ったから息が切れちゃって。もう少し持って下さいね」
「ええ、ゆっくりで大丈夫で……」
ふと気が付くと、路地の入口に数人の男が立ち、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。いかにもゴロツキという雰囲気で嫌な感じだ。
「おやおや、可愛らしいカップルじゃん。こんな所でお楽しみ中か?」
他の男達が
路地の反対側には高いフェンスが張られていて、路地の出口は男達が塞いでいる側しか無い。
「ねえ、少しお金貸してくんない。俺達貧乏なのよ」
男が取り出したナイフを見つめカチャカチャといわせている。他の男達も何やら武器を持っている様子だ。
「お兄ちゃんさあ。何もしないから、お金と女の子置いてどっかに行ってくんないかなぁ」
男が威嚇する様に、目をむきながら顔を突き出して来た。本当に嫌な奴等だ。
「そうそう。俺らここで女の子と楽しくお話して、そのあとご飯でも食べに行きたいだけだからさぁ。黙って消えた方が良いと思うよ。女の子の方もそっちの方が絶対楽しいって」
男達の下卑た笑い声が路地の壁に反射している。
その時、それまで俺の背中に隠れていたイツラ姫が前に出ようとした。
「あなた達! 私はこの国の……」
「マリーは黙って。俺の後ろに隠れていて」
慌ててイツラ姫の口を押えて言葉を遮った。こんなゴロツキ共に姫だと分かる方が危険だと思ったからだ。
イツラ姫はサングラスの隙間からチラリと俺の顔を見ると、小さく頷いて背後へと戻って行った。
「何だお嬢ちゃん。『早くあなた達とお話がしたいわ』って言ったのか?」
男達がニヤニヤしながら少しずつ距離を詰めて来る。
相手の人数は五人。俺の頭の中で何かが始まった……。
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