第38話 「見学はご自由に」
「失礼します」
黒い軍服の男が扉の脇で敬礼を執っている。階級章は
直立不動で敬礼を向ける先にいるのは、革製の椅子に腰かけ、ダークブラウンの木製デスクに向かう、青い目をした金髪の青年。この方面隊の指揮官である大佐のヴィチュスラーだ。
彼の部屋は士官クラスとしては非常に質素であり、不要な装飾や華美な調度品類は一切置いていない。彼自身が好まないからだ。
下士官が敬礼を解くと、ヴィチュスラーはデスクワークを中断し軽く椅子を引いた。
その途端、強力な磁力で床と離れない仕組みのキャスター部から、何かを引っ掻く様な奇妙な音が鳴り響く。だが、彼にそれを気に留める様子はない。
自分の階級の威厳を気にする者であれば、この様な不具合も下士官に命じ直ぐに修繕させるのだろうが、この金髪の青年はそんな些細な事は気にも留めない。
己に任された兵力でいかに戦果を上げ、どの様にしてこの戦争を優位に進めるかと言う事にしか興味がないのだ。
「どうした」
「はっ! アウグドに派遣しておりました部隊から連絡がございました」
「ふむ。その表情からすると、あまり
「はい。アウグドに於ける陽動作戦も、宙域での艦艇の
「ほう」
「どうやらエルテリア軍の協力があった模様です。あと、未確認ではありますが……」
下士官が報告を
「未確認でも良い。聞いておく」
「はっ! オーディンの機体と思われるGWが、ヤーパン側にいるとの報告です」
「ほう。それは興味深いな。その様な事が有るのか? 黒騎士に聞いてみるか」
「お繋ぎしますか」
「ああ、頼む」
下士官が連絡用のモニターに取り付き、艦橋に指示を伝えている。
しばらくすると、画面には何も映らないが通話がONになった。
「何だ」
「ヴィチュスラーだ」
「ほう。指揮官自ら何の用だ」
「ヤーパン軍にオーディンの機体が参加しているとの報告があったのだが、その様な事が有り得るのか聞きたくてな」
「知らん」
「否定はしないのだな」
腕を組んだヴィチュスラーの青い瞳が、何も映っていないモニターを胡散臭げに睨んでいる。
「最初に言ったはずだ。オーディンの騎士は、それぞれが自分の意思で行動すると」
「つまり、貴公もいつどちらを向くのか分からないと言う事か」
「信用が出来ないのなら、この先は別行動でも構わないぞ。俺は俺の行動原理で動くだけだ。単独になっても己の目的を果たすまで」
「ふっ。最後まで同じ向きで有る事を期待している」
「それはそちら次第とも言えるが……。ちなみに、その機体は何色だ」
ヴィチュスラーが下士官の方を向くと、慌てて報告書に目を落とした。
「し、白い機体だそうです」
「聞こえたか。白だそうだ」
「ほう、白か……。二十年近くオーディンには戻っていないが、これは興味深い」
「白に何か意味が有るのか」
「いや、こちらの話だ。とにかく、他のオーディンの者達の行動については何も知らん。但し『オーディンは中立を保つために、為すべきことを為す』という行動原理は変わらない。それがどちら側を向いていようとな」
モニター画面に「OFF」の文字が浮き上がる。
これ以上の会話は無駄とばかりに、黒騎士と呼ばれる男が一方的に回線を切ったのだ。
ヴィチュスラーはそれを気にする事もなく、こめかみに指を当てながら思案に
「……アウグド方面の宙域はムルガン中将の師団か。無能な士官が多い師団だが仕方があるまい。まあ、イツラ姫を捕らえる事は出来ないまでも、足跡を掴めればヤーパン回廊に到達する時期くらいは予測出来るだろう。後は回廊の入り口で捕えれば……」
考えが纏まったのか、ヴィチュスラーは下士官の方へと鋭い視線を向けた。
「ムルガン中将の師団に通達を送り、ヤーパン艦隊の予想される航路に向けて追撃を掛けさせろ」
「はっ!」
「ああ、通達文は丁寧にな。ムルガン中将はプライドだけは高い御仁だ。大佐如き下の階級の者から無礼な通達文が届いたと、へそを曲げられては困るからな」
「承知しました」
再び直立不動で敬礼を行い、下士官が部屋から出て行く。
見送ったヴィチュスラーは中断した作業を再開すべく、奇妙な音を響かせながら椅子を押し出した。
────
『リオン。お疲れ様』
「アルテミス。この宙域は凄いね。小惑星を掻き分けながら進む感じだね」
『航路としては利用する事が無い外縁部ですから』
「そっか。こういう事態に陥らない限り、大回りの外縁部を通過する必要も、航路を切り開く価値も無いんだね」
『そうですね。航路を開拓するのであれば、もっと効率が良く安全な宙域を優先するでしょうね』
イーリスの格納庫にシャルーアを着艦させコクピットから飛び降りる。
直ぐにクレーンが現れ、シャルーアをハンガーへと移動させた。補給やメンテナンスを自動でしてくれるのは本当に助かる。
これからシャワーと食事を済ませ、『タンクベット』と呼ばれる急速回復ができる睡眠カプセルで短時間の休息を取り、また直ぐに小惑星の押し出し作業に戻らなければならない。
イツラ姫を乗せたヤーパン艦隊は、行く手をセントラルコロニー軍に阻まれ、背後をドロシア軍に包囲され、ヤーパンへと向かう道を閉ざされた状況に陥っていた。
そこで、外縁部から危険な恒星宙域を通過するという、普通では考えられない航路をアルテミスが提案し、結果その航路を辿る事になったのだ。
ドロシア軍からの追撃を躱す意味もあるのだが、ヤーパン艦隊は外縁部に出る為に、敢えて通行し難い小惑星が密集した宙域を通り抜けている。
艦隊の先頭はイーリスで、他の艦がその後方を一列に並んで航行している。
そして、艦隊の航路上に有る無数の小惑星を、GW部隊で航路外へと押し出す作業をしているのだ。
船速を上げられない事もあり、この作業を始めて二週間が経っているが、一向に小惑星帯を抜ける気配は無い。
「あれっ?」
格納庫を後にして部屋に戻ろうとしていたら、着艦の音とクレーンの動作音が聞こえて来た。
──何か問題でも起きて他所のGWが緊急着艦して来たとか。大丈夫かな。
慌てて取って返し、格納庫へと戻った。
「うわわっ」
廊下から格納庫内を覗ける位置に顔を出した途端、いきなり赤いパイロットスーツが抱き付いて来たのだ。
「リオンちゃんお疲れ!」
「せ、セシリアさん。どうしたんですか?」
「お仕事の後に、補給と休憩に来たのよ」
「えっ? イーリスにですか」
「だって、この船が先頭だし、一番近いじゃない」
セシリアさんは笑顔で腕をほどくと、
「でも、ヤーパンの艦まで戻るのと、数分も違わないでしょう」
「あっちはシャワーもタンクベットも混んでいるから面倒なの」
「はあ……」
「こっちは個室が空いているし、色々全自動で便利だし、タイミングが良いと、こうしてリオンちゃんとも会えるでしょう」
セシリアさんが言う通り、イーリスの個室は何部屋か空いていて、セシリアさんは俺の横の部屋を『別荘』と名付け、いつか訪ねて来ると宣言していたのだ。
冗談だと聞き流していたのだけれど、まさか本当に来るとは思っていなかった。
──イーリスも特に拒否しないので、禁止区域に立ち入らなければ問題無いのかも知れない……。
「そう言えば、ヤスツナ軍曹が貴方のこと探していたわよ。『こんなに忙しい時に、あの小僧は何処に居る!』って。人手不足でエルテリア艦の応援に行っているって答えておいたわよ」
「あ、ありがとうございます。また、時間が出来たら伺います」
実はあれからも、戦闘が有る度に整備を手伝いに行っていたのだ。
機体に関する知識や最新の技術を得る事が出来て結構楽しく過ごさせて貰っていた。
それに、厳しいけれどしっかりと指導してくれるヤスツナさんの事は、結構好きなのだ。
今は小惑星の掻き出し作業で、休む間もなく機体が出入りしているから、確かにメカニックの人達は大変かも知れない。
「あら、リオンちゃん。私の部屋で一緒にシャワーを浴びるつもりなの? 良いわよー」
気が付くと、セシリアさんが使う部屋の扉の前に立っていて、セシリアさんはパイロットスーツを脱ぎ始めていた。
視界の中に薄手のアンダーウェアーしか身に付けていない姿が飛び込んできて、慌てて部屋を後にする。
「あー、リオンちゃん。パイロットスーツがそっちに行っちゃった。取ってー」
振り向くと、開きっぱなしのセシリアさんの部屋の扉からパイロットスーツが漂い出て、緩やかに床へと落ちて行った。
艦内は床から足が離れない程度の靴の磁力と、床に吸い込まれる空気の流れでゆるやかな疑似重力が形成されている。だから、物を手放すと床へ向けてゆっくりと落ちて行くのだ。
仕方がないので、拾い上げて部屋の中に投げ返してあげた。
その時、一瞬だけ部屋の中が見えてしまい、裸でシャワーカプセルへと歩くセシリアさんの後ろ姿が目に飛び込んで来たのだ。
慌てて目線を逸らそうとした瞬間、セシリアさんは、まるで俺が見るのを分かっていたかの様に振り返り、艶やかに微笑みながら透明のシャワーカプセルへと入って行った。
「リオンちゃん。見学はご自由にどうぞー」
セシリアさんの声と共に、シャワーの噴射音が聞こえて来る。
「い、いえ……部屋に戻ります!」
恐らく聞こえていない返事をしながら、急いで扉を閉め、自分の部屋へと戻った。
部屋には誰も居ないのに、恥ずかしいやら何やらで、顔が火照って仕方がない。
しばらく経っても、セシリアさんの綺麗な後ろ姿が頭から離れなかった。
その事を頭の中から振り払うかの様に強めのシャワーを浴びて、急いで食事を取り、タンクベットへと飛び込む。
──休息だ。いま大事なのは休息だ。早く寝るんだ。思い出すな……早く寝ろ。
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