第五十四話『温泉のある島・その③』
「はふぅ~……」
「生き返りますぅ~……」
稲刈りを終えたあたしたちは、満を持して温泉を満喫していた。手拭いを頭に乗せたフィーリは、そのままとろけてしまいそうな顔をしていた。
「これ、沸かしてるんじゃないんですよね?」
「そーよー。直接地面から湧き出てるの。大自然の神秘よねー」
雨の多い村にも立派な銭湯があったけど、やっぱり簡易ボイラーで沸かしたお湯と温泉は違う。有効成分たっぷり。温まる。お肌すべすべ。
「はぁ~、極楽極楽ぅ~……」
露天風呂ということで、満天の夜星を眺めながら、あたしたちは至高の時間を過ごしたのだった。
○ ○ ○
温泉の後は宿に戻って、夕食。今日はがっつり稲刈りしてお腹空いたし、晩ご飯は何かしら。
「いい匂いがしてますけど、食堂でもあるんですかね?」
温泉上がりに浴衣を着て、畳の上に足を投げ出したフィーリが目を細め、鼻をひくつかせながら言う。
「たぶん、ここに直接持って来てくれるはずよー」
そう言った矢先、亭主がお膳に乗った夕飯を持ってきてくれた。あたしは待ってましたとばかりに姿勢を正す。
メニューはというと、白いご飯にワカメの味噌汁。野菜のおひたし、冷奴。主菜は島らしく、お刺身の盛り合わせ。ご無沙汰していた純和食だ。
「おおお、お米! 白米!」
あたしは思わず声が出た。亭主は「米には麦も混ざっていますが」と申し訳なさそうに言うけど、全然大丈夫! むしろ体に良さそう!
「あ、オトーフがあります!」
見慣れた品を見つけて、フィーリも喜んでいた。以前、作ってあげたもんねー。
「それでは、ごゆっくり」と、亭主が頭を下げて退室したのを確認して、挨拶をしてから、あたしは食事に箸を伸ばす。
「あのー、メイさん、この二本の棒で食べるんですか?」
「んえ?」
さっそく白米を口に運んだところで、フィーリが箸を片手ずつに持って、不安そうな声をあげていた。
「さすがにフィーリに箸は無理よねー。スプーンとフォーク、使っていいわよ」
「……すごい安心感ですが、なんだか負けた気がします」
容量無限バッグからスプーンとフォークを出して渡してあげると、何とも言えない顔でそう言った。
「昼間刈り取った草の実が、この白いゴハンになるんですか? 不思議ですねぇ」
「でも、美味しいでしょー?」
「はい! もちもちして、甘くて、美味しいです。これがメイさんの探し求めていた味なんですね!」
「そう! これが食べたかったのよー」と、心の底から返事をして、続いて刺身に手を付ける。
白身魚とタコのお刺身が盛られた器の横には、醤油の入った小さな徳利がついていた。小皿はついてなかったので、直接刺身に垂らす。
「あー、お刺身も美味しい―。フィーリも食べてみたら?」
「オサシミ……?」
フィーリがおっかなびっくりに醤油をかけ、フォークで白身魚のお刺身を突き刺して口に運ぶ。何も言わなかったけど、表情が歪んでいた。口に合わなかったみたい。
なんにしても、あたしは大満足。白米だけじゃなく、この世界でお刺身が食べられるなんて思わなかった。すぐ近くで魚が獲れる、島ならではよね。
「この緑色のも食べられるんですかね……あむ」
「あ」
フィーリは刺身の横に置かれていたワサビを、そのまま口に含んだ。直後、鼻を押さえながら「んーーー!」と悶える。
「フィーリ、お茶。お茶飲みなさい」
……まさか、ワサビを直接食べちゃうなんて。先に教えたげれば良かったわねー。
「……はぁ、酷い目に遭いました」
お茶を飲んでようやく落ち着いたフィーリは、次は何を食べるべきか……と、視線とフォークをお膳の上で泳がせる。迷い箸ならぬ、迷いフォーク。お行儀悪いけど、しょうがないわよね。
「これはなんでしょーか」と、おひたしを食べてみて、「味が薄いです」と、醤油をぶっかけていた。この繊細な味わいが良いのに。お子様ねー。
次に、「こっちの赤黒いオサシミは……」と、タコのお刺身を口に運ぶ。これはお気に召したみたいで、コリコリとした食感を楽しんでいた。一度茹でられているっぽいし、タコだから、生臭さが少なかったのかも。
「ちなみにフィーリ、それ、タコだから」
「え、タコって、あの足がいっぱいある魔物ですか?」
「魔物じゃないと思うけど……美味しいでしょ」
「美味しいですけど……これが、あのタコ……」
なんて言いながら、フォークの先の刺身を見つめていた。
カルチャーショックを受けまくっているフィーリを横目に、あたしは本当に久しぶりの白いご飯を堪能したのだった。
○ ○ ○
「フィーリ、そろそろ寝ましょー」
温泉も堪能したし、たらふく食べてお腹も膨れた。後は寝るだけ。
「ベッドがないですが、どこかに寝室があるんですか?」
そう言って周囲を見渡すフィーリに、「ここで寝るのよー」と、屏風の裏に隠されていた布団を引っ張り出し、畳の上に敷く。
「こ、こんなところにベッドが……!」と驚くフィーリに、「コンパクトでしょー」と、自慢顔をする。別にあたしが用意したわけじゃないけどさ。
そのまま横になって、最後に行燈の火を吹き消す。あー、なんだかんだで疲れたし、今日はゆっくり眠れそうだわー。
「……それにしても、今日のメイさん、すごかったです」
「んー? 何が―?」
布団に入ってしばらくすると、隣のフィーリがそう話しかけてきた。
「この町のこと、すごく詳しいですし。なんか、輝いてました」
「あー、この町、あたしの故郷に似てるのよ。なんか、おばーちゃんの家とか来てる気分?」
あたしは苦笑しながら言う。照明器具が行燈だったり、そりゃ時代の差は感じるけど、畳に布団、外から聞こえる虫の声。日本の田舎に帰ってきたような、そんな錯覚さえ覚える。
「帰りたいですか?」
「え?」
「故郷、帰りたくなりました?」
「……帰りたくないかなー」
少し考えて、あたしはそう答えた。実際に帰れる場所ではないのだけど。
「元々、旅をしながら錬金術を広めるって目標があったし、それはまだ道半ばだから」
直後、「錬金術、全然流行ってないですもんね」と、苦笑する声が聞こえた。し、しょうがないでしょー。色々、問題があるんだから。
「……なにより、今が一番楽しいから。人生、楽しんだもの勝ち」
「それ、座右の名ですか?」
「難しい言葉知ってるわねー」
あたしは苦笑する。
少なくとも、この世界に転生しなかったら、これだけ充実した日々は送れなかったと思う。たぶん普通に高校を卒業して、そのまま進学か、就職するだけ。その先に待つのは、平凡な日々。
「……ねぇ、フィーリは今の生活、楽しい?」
「楽しいですよ!」
即答してくれた。うん、それならよかった。
始めは気楽な一人旅だったけど、この子と会ったことで、あたしは変わった気がする。
……この子と、フィーリと出会えて良かった。
「……わたしも、メイさんと出会えて良かったです」
「あはは、嬉しいこと言ってくれるわねー」
その時、まるであたしの心を読んだかのような台詞が飛んできた。まさか、魔法使いは心も読むの?
「……あたしもよー」
どこか恥ずかしくて、虫の音にかき消されそうな、本当に小さな声でそう答えた。
その声が聞こえたのか、フィーリが布団の中で、あたしの手を握ってきてくれた。
あたしもそれを優しく握り返して、やがてまどろみの中へと落ちていった。
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