第三十七話『麦畑の中の一軒家・その⑥』



「おーおーおー、いいんじゃなーい」


 街道に自販機を設置してから三日目の朝。パンは見事に完売した。


 真空パックを開ければ、いつでもできたてのパンが食べられるという物珍しさもあっただろうけど、クレアさんのパンが美味しいからこその結果だと思う。噂が噂を呼び、『あのパンはここで買えるのか?』なんて問い合わせまでくる始末。これは、やりようによっては今後、あの商人を通さなくても商売ができるかも。


「クレアさんはシチューも美味しいし、どうせ真空パックにできるなら、シチューを売るのも良いかもね」


 クレアさんのシチュー……なんて、どこかで聞いた商品名を思い浮かべながら、あたしは売上金を回収し、農場へと戻ったのだった。


 ○ ○ ○


「はい。これが売上金。見事に完売よー」


 言いながら、袋いっぱいのお金をクレアさんに手渡す。「ほ、本当に売れちゃったんですね」と、信じられない様子。ふふん。誰があの自動販売機を作ったと思ってるのよ。


「ありがとうございます。お礼というわけではないのですが、これをどうぞ」


「へっ?」


 心の中で自画自賛していたところ、クレアさんが小さな紙をあたしに向けて差し出した。何かしら?


「……船のチケット?」


「はい。この農場前の街道をずっと進むと、海に出ることは教えましたよね。そこの港から出る、豪華客船のチケットです」


 ……豪華客船? この世界、そんなものあるの?


「そんな貴重なチケット、もらっちゃっていいの?」


「構いませんよ。随分前、商人さんが『お得意様へ』と言ってくれたものですから。それに、ペアチケットですし」


 言われてみて、初めて気づいた。本当、これペアチケットだわ。しかも、二枚同時じゃないと使えないやつ。


「わたし、独り身ですし」


 自虐的に微笑む。あたしはその顔を見れずに、視線を窓の外へと泳がせる。


 そこにはまっさらになった麦畑が広がっていて、ずっと向こうの方でフィーリが風魔法を連発しているのが見えた。


 収穫後の畑なら、好きにしていいですよとクレアさんに言われて、フィーリはここ数日、魔法の練習に明け暮れているのだ。何を思ったのかしら。


「……これは先日の話の続きですが」


 その時、クレアさんの声が真剣なものになった。先日の話とは、つまりフィーリのこと。あたしも姿勢を正して、しっかりとその顔を見る。


「あの子、フィーリはもしかしたら……わたしの、娘かもしれません」


 視線だけを外に向けながら、本当に消え入りそうな声で呟いた。


「7年前、奴隷商人に売り渡してしまった娘と、同じ名前なんです。容姿も、その……」


 どこか、面影がある気がして。と、自信なさげに続けた。


 一方のあたしは面食らっていた。フィーリが? クレアさんの娘? 確かにその、年齢とか、境遇とか、共通点があるけどさ。


「街道で名前を聞いた時は、単なる偶然だろうと思っていました。でも、あの子が元奴隷だったと話を聞いてから……」


 彼女の中で、予想が確信に変わりつつあると。あたしにはわからないけど、母親の直感ってものなのかしら。


「働き手の夫を亡くし、生活苦で娘を売りに出す……酷いことをしたと思います。今となっては、言い訳にしかなりませんが」


 うつむきながら言って、唇を噛んでいた。腰ほどまである長い銀髪が、その丸まった背中に沿って流れる。


 ……その姿を見て、あたしははっとなった。


 そうよ。この人、どこかで見たことあると思ったわ。


 この間、時の砂時計の効果で成長した大人フィーリにそっくり。髪の色だけでなく、瞳の色まで同じじゃない。なんで気づかなかったのかしら。


「さすがに小さかったですし、あの子も覚えてはいないと思いますけど」と続けるクレアさんの言葉は、あたしの耳にはほとんど届いていなかった。


 母親と娘は似るって言うけど、成長したフィーリの姿を一度でも見ちゃったら、信じるしかない。あの子、クレアさんの娘だわ。


「結局、クレアさんはフィーリを引き取りたいと思ってるわけ?」


 ……できるだけ言葉を選んだはずなのに、どうしてか、問いただすような口調になってしまった。


 実の母親と一緒に暮らした方がフィーリにとっても良いことだと、頭ではわかっているはずなのに。あたしの中で、フィーリと別れたくないという気持ちが強いんだと思う。


「そう感情的にならないでください。あの子の気持ちを無視していますし、どのみち、今のわたしにはそんな資格なんてありませんから」


 クレアさんは言って、両手で押し留めるような仕草をする。それを見て、あたしも少しだけ冷静になる。


「それに……引き取る気があるなら、最初から船のペアチケットなんて渡しませんよ」


「あ、ああ。そう、ね……」


 いつの間にか手の中で半分潰れていたチケットに視線を落とし、逆に申し訳ない気持ちになった。


「ふふ、メイさんがフィーリを大切にしてくれていることは、あの子からよく聞いてます。昨日も、ベッドの中でお話してくれました」


 言って、笑顔になる。そういえばここ数日、フィーリはクレアさんの部屋のベッドが広いからと、彼女の部屋で一緒に寝ていた。その時に、これまでの旅の話をしたんだろう。


「同じベッドで寝て、一緒にパンやご飯作って、もう十分です。だから、これからもあの子を、よろしくお願いします」


 本当に満足したように言って、彼女は頭を下げた。あたしはそれ以上何も言えず、そのまま部屋を後にしたのだった。

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