9 たまには手抜きのほうがいい

 レオナルドさんの作る扉を通ると、透明な膜を突き抜けるような感触が体を覆う。ゼリーに体を突っ込むような不思議な感覚のあと、私がひょっこり飛び出したのは魔術師寮の食堂の片隅だった。


「あら、アナベル! 久しぶりに見た、おはよう!」

「あ、シャノン、おはよう!」


 ちょうど仕事を終えてきたのか、焼きたてパンの香りを身に纏うシャノンと行きあった。ブラウンの髪を今日もポニーテールに結っている。いつもニコニコしている彼女を私も見習いたい。


「式典記念で配る蒸しパン、つくるのに忙しかったでしょう? 手伝えなくてごめんね」

「いいよそんなこと。無事ちゃんと上がったし。ねえねえそれより、アナベルが三日間も引きこもってた成果、いつ見せてくれるの?」


 わくわく顔で尋ねるシャノンに、私は悪巧みの笑顔を返した。


「これからだよ。バッチリ見てて!」


 そろそろ演舞の最終調整を終えた魔術師第一陣が食堂になだれ込んでくる時間だ。今日は料理番も魔術師もみんな一日中慌ただしいので、いつものような朝昼晩に分けたご飯を用意しないことになっている。手の空いた時間で勝手に食べられるように、冷めても美味しいキッシュやパン、大鍋の冷製スープなど、種類を多めに用意しておくのだ。

 ビュッフェの一角にテーブルを用意してもらっていた私は、そこにシリルとレオナルドさんが置いてくれた『グラノーラ試食セット』の準備をする。まずは魔術師寮の皆さんにお披露目といこう。


「うお、アナベルだ。おはよう」

「アナベルー! 待ってたぞー!」


 ディアンさんやエリックさん、それに他の先輩たちも、私の姿を見つけては手を振ってくれる。なんかちょっとむず痒いな。


「相当美味いから期待してていいって、みんなに言いふらしておいたぞ」


 まだ厨房にいるコックコート姿のディアンさんからは、お茶目なウィンクが飛んできた。え、どうしよう。勝手にハードルを上げられてしまっている。私の顔が引きつったのを知ってか知らずか、ディアンさんは得意げに親指まで掲げてみせた。うう、ここはもう口コミがプラスに作用したことを信じるしかない。


「あら! アナベルだわ! おっはよーー!」


 バタン、と派手な音がして、ついに食堂の扉が開いた。

 元気のいい声とともに、食堂一番乗りを果たしたのは我らが大天使ミーシャである。


「ミーシャ! 会いたかったよー!」


 私もぶんぶん手を振ると、パアア、と顔を明るくさせて駆け寄ってきてくれる。うわあかわいい。めちゃくちゃかわいい。背中に羽の幻覚が見える。


「ひさしぶりね、アナベル。イアン司令官の宿題があったんでしょ。ちゃんとできた?」

「うん、一応ね。私の全力で挑んだつもり。食べてくれる?」

「わたしがさいしょにもらっていいの? うれしい!」


 彼女にはぜひ味見してほしいと思っていたのだ。ソフィア王女と仲良くなれたのはイアンさんから聞いたけど、そのあと結局ミーシャに会えてなかったからね。


 透明なボウルにグラノーラを掬って入れると、カラカラと乾いた音を立てる。ドライフルーツの赤や黄色がガラスの器に映えてとても鮮やかである。はちみつヨーグルトをとろりとかければ、ミーシャがわくわくした表情に変わる。

 仕上げにシャーベット。光を浴びてキラキラと反射する、ピンクのベリーシャーベットを上に乗せれば完成だ。いくらみんなが体を動かしてきたとはいえ朝なので、体が冷えすぎないように量は少なめで。


 どこからともなく「おお」と声が上がった。気づけばギャラリーが増えている。未知への恐怖半分、期待半分ってところかな。


「召し上がれ」


 盛り付けたボウルとミーシャに手渡すと、彼女はスプーンを使っておそるおそる、グラノーラを口に運んだ。


 その場が静まり返ること、3秒。

 食べてもらうのを目の前で待つ瞬間は、永遠にも似た緊張がある。


 ザクザク、とグラノーラを噛み砕く音が聞こえてくるほどの静寂。

 それを、ごくりと呑み込んで打ち破ったのはミーシャ本人だった。


「アナベル……」

「はい」

「――なにこれ、おいしい!」


 それはもう、あたり一面に花が咲くかのような満面の笑顔で。


「めっちゃくちゃおいしいよ! ザクザクだけど、とろとろもしてて、甘くてしょっぱい! おいしくて楽しい!」


 ああ、良かった。

 とろけるようなその笑顔が見られただけで、なんだかとっても満たされた気持ちになる。

 このグラノーラが本当に捌けるのかとか、私の今後の料理番人生とか、今はただどうでもよくて。

 目の前の人が「美味しい」と幸せそうに笑ってくれる、それが私の幸せなんだと、改めて知る。


 みんなも食べてみて、と促すミーシャに、ざわざわと喧騒が広がっていく。「あの……私にも、くれる?」「俺も……」と誰かが言ったのを皮切りに、次々とボウルを手に取って私の前に並び始めた。私は慌ててそれぞれの器に、グラノーラを盛っていく。ざわめきは歓声になり、興奮冷めらやぬ歓談になっていった。

 中には非常食として訓練中にグラノーラを食べたことのある魔術師もいたようだ。最初は揃って苦虫を噛み潰したような顔でいやいやと首を振っていたが、口に突っ込まれるなり目を丸くして「美味い」というまでがセットだった。私はちょっと誇らしい気持ちになった。


「随分と盛況じゃない。私にもくれる?」

「スーザン!」


 にっこり微笑んで私の前にボウルを差し出したスーザンは、今日も元気そうな顔色である。まだ本番の衣装ではなく練習着ではあるが、化粧でより美しく整えられた彼女はいつもの三割り増しでカッコよく綺麗だ。


「今日は演舞、頑張ってね。めちゃくちゃ応援してるから」

「頑張るのはあなたもでしょ。イアンも突然訳わからないこと言い出すわよね……」


 それは本当にそう思う。苦笑いになった私に、スーザンがでも、と言葉を続ける。


「あの人、できない人にできないことは言わない人だから。仕事の鬼なんて言われているけど、これは本当よ。自信持って」

「そうかなあ。まあ、できる限りのことはするけど」


 ぶっちゃけ、どうして私なんかにこんな仕事を託したのかも謎なんですが。雑談しながらスーザンにもグラノーラをよそって手渡す。「ドライフルーツって美容にもいいのよね」と彼女が言うので、うんうんと頷いておいた。皮ごと干すから、栄養がぎゅっと濃縮されるらしいよ。果物には美肌効果のあるものとか、貧血にいいとされるものも多い。キレイを目指す人にはぜひ取り入れてもらいたいもののひとつだ。それにしてもスーザン、よく調べているなあ。


「ところで、シリルが――」


 スーザンが何かを言いかけたところで、不意にぴたりと口籠る。え、なになに、続きが気になるんだけど? 

 けれどその先は言葉になることはなく、不愉快そうに表情を険しくして彼女は後ろを振り返った。



「料理番ともあろう人間が手抜きかよ」

「コレが料理、ねえ。毎日こんなもんばっかり出されたらたまったもんじゃねえな」



 スーザンが視線を向けた先には、わざと私に聞こえるような声の大きさで嫌味をぶつけてくる二人の男がいた。

 演舞メンバーじゃない夜勤明けの魔術師……だろうか。目の下のクマが取れていないところを見ると、よほどお疲れなのか、はたまた私に当てこすりできるほどヒマなのか。いつもの朝食のように、手間をかけて焼いたバゲットやスープも用意してあるので、別にグラノーラが気に入らなければそっちを食べればいいだけなんだけど……まあ適当に放っておこう、と思ったところで、スーザンがぐいっと一歩踏み出した。あ、ヤバい。彼女ってこういうタイプが絶対に許せない人だった。


「ちょっとあなたたち。言いたい事があるなら直接こっちにきて話したらどう?」


 スーザンが彼らにツカツカと歩み寄る。イアンさん直属の副官がわざわざ文句を言いにくると思わなかったのか、男二人は一瞬ビクッと肩を震わせたが、逃げ出しはしなかった。


「アローラ副官――お疲れ様です」

「挨拶なんかいらないわよ。それよりなんなの、今の言葉。あのグラノーラは、以前軍と魔術師の共同訓練でも使用された非常食レーションで、バカみたいに不味かったのを彼女が三日かけて改良したものよ。それを手抜き呼ばわりなんてとんだ恥知らずだわ。撤回しなさい」

「――しかし」


 あああスーザン! 待ってスーザン!

 私はダッシュで彼女に駆け寄った。


「いいのスーザン、ホントの事だから」

「アナベル! 言わせっぱなしなんて……」

「違うの。『手抜き』で合ってるんだよ、グラノーラは」


 きょとん、としたスーザンとポカンとした魔術師二人に、私はもう一回説明する。


「『手抜き』するためのメニューなの、グラノーラは。仕事と家事を両立している人なら、うっかり朝食のパンを買いそびれる日もあれば、キッシュさえ焼けない夜だってきっとある。料理番に何かあって、食事を作れない日もあるかもしれない。もしそんな日があっても、最低限の栄養がとれてお腹が満たされる。そういうメニューとして成り立つように考えてあるの」


 天候不順で食材が手に入らないとか、どこかで災害が発生してそっちに人手を割かないといけないとか。今は平和で平穏な日々が続いているから忘れがちだけど、本来魔術師とはそういう仕事で、それを支える料理番だってもちろん無関係ではない。

 けれどそんな時でも、家や職場にドライフルーツ入りのグラノーラが置いてあったら。それだけでなんとか、数日の飢えを凌ぐことができるかもしれない。

 たまには手抜きの方がいいこともあるのだ。

 私は彼らに向き直った。


「まあ、シャーベットは完全にお楽しみで載せたものですが。お気に召さなければ、パンもスープもありますから、そっちをぜひ召し上がってください。もちろん、これが毎日になるってことはありませんからご安心を。料理番の誇りにかけて、いえ、初代魔術師の英霊に誓ったっていいですよ?」


 ちょっとドヤ顔で胸を張れば、バツが悪そうに彼らは視線を逸らして俯いた。ああ、言い過ぎたっていう自覚はあるわけね。

 何かモゴモゴいいながら、そそくさと退散していった二人を見送る。この程度で引き下がってくれて良かった。


「あんなので済ませて、本当によかったの? 腹が立つことを言われたんだから、もっと怒ってもよかったのに」


 まだ言いたりなさそうな顔をしているスーザンに、思わず苦笑してしまった。本当に正義感の強い人だ。


「ありがとうスーザン。でも、いいの。全員に認めてもらうなんて、そもそも無理な話だよ。それより、キチンと弁明の機会をくれて嬉しかった。ありがとう」

「あなたって本当に……お人よしよね。ま、アナベルらしいわ」


 呆れられた。スーザンも大概だと思うけどな。一介の料理番にここまで世話を焼いてくれるんだから。

 

 さて、みんなにこれだけ喜んでもらえれば、あとは置いておくだけで、このグラノーラの山は放っておいても減るだろう。

 料理番たちも次の持ち場や、休憩に入り始めた。中にはさっきのやりとりを見守っていたらしい人もいて、「よくやった」なんて肩を叩いてくれたりもした。そりゃまあ、料理番をナメられっぱなしも困りますからね! 


 私はうん、と一つ頷いて、そっとその場を後にする。

 早く戻って屋外のシリルたちと合流しなくちゃ。

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