8 朝が始まった

 翌日はよく晴れた。


 国中が待ちに待った、建国記念の式典である。

 寝ずに朝を迎えることになるかと思ったけど、昨日全力ダッシュした成果とシリルが最後追い上げてくれたおかげで、普通の人間の生活時間には就寝することができた。前日ほぼ徹夜だったからぐっすり眠れたよ。健康のためにはご飯の次に睡眠大事。いや、どっちが優先とかじゃなくて、どっちも大事って意味ね。


 しらみ始めたばかりの空を見上げて、私は大きく背伸びした。朝焼けのピンクに染まる雲と、淡い水色のコントラストが眩しい。こんな早朝だけど、街はすでにそわそわと起き出している気配がした。きっとどの家も、慌ただしい一日を過ごすことだろう。

 昨日まで首に下げていた魔法石ネックレスは、外して自分の引き出しにしまってきた。今日は「魔術師を目指していたアナベル」じゃない。「料理番のアナベル」初の大仕事にして晴れ舞台だ。気合を入れて肩をぐるぐる回していると、ふは、と後ろで小さく噴き出す声がした。


「随分と元気だな」

「おかげさまでね。今日は頑張っちゃうよ!」


 同じ時間から屋台の最終準備を手伝ってくれているシリルである。振り向いてVサインを作って見せると、彼は柔らかな表情で私を見つめた。


「いい一日にしよう」

「そうだね、楽しくやろう」


 きっとそれが、私たちの仕事の一番大切なことだと思うから。


「保冷箱の準備は?」

「完璧だ」


 ちょっと得意げな表情で、シリルが積み重なる白い箱のタワーを指差す。その顔がちょっとかわいくて、私は思わず笑ってしまう。あと何回、この表情をそばで見ていられるんだろうな……って、いやいや。今日はセンチメンタルになるのはやめよう。


「ところで、僕が運んだその箱は結局何なんですか?」


 私に尋ねたのは、レオナルド・ハリソンさん……そう、スーザンの部下の彼である。どうしてこんなところに朝っぱらからいるかといえば、何を隠そう、彼こそオルムステッド料理長がよこした『助っ人』だからだ。確かに、荷物運び要員として、足が速くて力持ちな子が欲しいとは言った。けれどそれが料理番見習いではなく、現役魔術師として鍛えている青年で、なおかつ空間移動魔法の使い手だなんて、贅沢が過ぎると思うんだよね。本人が「今日は暇だからいいですよ」と言ってくれているとはいえ、ですよ。

 おおかた、オルムステッド料理長とおしゃべりしている間になんやかんやで手伝わされる話を丸め込まれたんだろうと思う。あの人そういうの得意だからな……。結局、助かるからってこき使っている私も私なんだけど。

 魔術師のローブは今身につけていないけど、首から下げた魔導書のネックレスに輝くオレンジ色の魔法石が眩しい。彼の瞳の色によく似合う。


「レオナルドさん、この白いタワーが気になる? 気になりますよね? これはね、ふふふ……これこそ我々の秘密兵器というかですね。どうしようかな、今教えちゃおっかな、あとでにしよっか――」

「シャーベット保冷箱だ」

「シリルさあん!? 人がもったいつけて喋ってるのを勝手に取らないでくださあい!?」


 あっさりバラされてしまったので、私はいささかしょげた。


「仕方ないから教えてあげます。これはね、シリルに作ってもらった『ベリーシャーベット』を冷やしたまま置いておくための、簡易式冷凍貯蔵箱なんです。ちなみにこの箱は、この間料理長が魔術師に図面を引かせて作った特注品を強奪……じゃなくて拝借したものです」

「シャーベット? あの、高級氷菓子の?」


 そう。シャーベットは本来、嗜好品にして高級品だ。けれどその提供を可能にしたのがシリルの魔力と魔法である。


「ミックスベリーのジュースを袋に入れてしっかり閉じたら、外側にもう一重袋をかけて、その中に氷と塩を入れます。あとは固まるまで振り続けるだけ。氷は塩と反応するとかなりの低温になります。その冷気を外側にまとってゆっくり撹拌されるシャーベットは、舌触りもなめらかになるし、提供する時も氷の塊を削り取るよりよっぽどラクです。まあ、シャーベットを保冷しておくにも作るにも、彼の氷魔法と袋を振り続けるだけの魔力がなければこの量は作れないですけどね」


 私は宣言通り、彼の魔力と魔法に思う存分頼ったという訳である。


「なるほど、食材に直接触れるわけではないから、魔法が調理にも応用出来るということか」

「そうそう。これでグラノーラが一般家庭にも流行らないかなー、なんて、ちょっとした打算も込みの演出です」


 グラノーラはその食べにくささえのぞけば、保存食としても栄養食としてもかなり有用なアイテムだ。一時の流行りものにするには惜しい。いったいどこの国からどんな条件で仕入れたものか知らないけど、国土が決して肥沃とはいえないベリルでは、本来食糧事情がいつだって厳しい。きっと有事の時には助けになってくれるはず。

 それに、食べ切りで家族分程度のシャーベットなら、氷魔法を使える人なら誰でも簡単に作ることができる。ヨーグルトやはちみつだけで手軽に食べるより、ちょっと贅沢な感じがするでしょう。


「シャーベットにベリージュースを選んだのは何か理由が?」

「本当は牛乳を使った『アイスクリーム』なる食べ物が、グラノーラには合うと思ったんですけどね」


 作るのがシャーベットよりちょっと手間だし、今回はやめておこうと思ったのだ。あとシャーベットの方が単純に溶けにくい。保冷ボックスがあるとはいえ、野外で配るものならちょっとでもマシな方がいい。


「ミックスベリージュースなら手に入りやすくて、子供や女性にも人気の味っていうのが一つ。あとは、ベリーは薬膳としての効果も期待されるくらい、栄養満点な果物ですから。血行をよくしたりイライラ解消にもいいらしいですよ。そうだ、疲れ目にも効くんです! レオナルドさんも食べておきます?」

「疲れ目……それは確かに気になる……いやしかし、今はいいです、まだ仕事中ですし」


 レオナルドさんの空間移動魔法は、彼の目を酷使する繊細な魔法なのだそうだ。その補助のためにモノクルをかけているのださっき知ったので、ぜひベリーシャーベットを試して欲しかったんだけどな。ま、後で休憩の時に食べてもらえばいっか。

 とりあえず、効能でもなんでも食べ物に興味を示してくれるようになっただけ前進だ。よかった。


「それより、そろそろ朝食の時間では?」

「そうだ! 食堂に行かないと!」


 私がハッとすれば、レオナルドさんが「お送りしますよ」とモノクルを掛けた。


「やった! レオナルドさんの魔法また見れる!」

「そんなに喜ばれると……調子狂うな」


 恥ずかしそうにぽりぽりと頬をかくレオナルドさんがちょっとかわいい。あなたにとっては当たり前なのかもしれないけど、この魔法って本当にすごいんだからね。ピンポイントで移動できる魔法なんて、シリルですら扱えないんだよ。

 レオナルドさんが何かを見定めるようにすっと目を細める。瞬きを三回、そしてモノクルに手を当てててもう一回。仕上げにパチン、と指を鳴らすと、アンティーク調の凝った装飾を施した扉が突然目の前に出現した!


「いっやあ、何度見ても綺麗な魔法だね……」

「いいから早く行ってくださいよ!」


 扉を開けてくれたレオナルドさんは照れ隠しのように叫んだ。


「じゃあ、いってきます!」


 見送ってくれるシリルが、親指を立てて「健闘を祈る」と言ってくれたのが、私はとても嬉しかった。

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