7 もっと同じ景色を

 自分で言うのもどうかと思うが、意図に気付いたそこからの私の気合いは凄まじかった。


 混乱の中パエリアをしっかり平らげた私は、シリルをあの手この手で理屈を捏ねて追い返し、夜中までかかって一人で紙袋を完成させた。袋に窓を作る透過魔法はシリルの見本を『|複写(コピー)』すれば良かったので、めちゃくちゃ魔力と体力は消費したもののなんとかなった。といっても、なんだかんだで部屋に帰るのを渋ったシリルが半分以上手伝ってくれてしまったので、負担はだいぶ軽かったはずなんだけど。魔術師になる人はさすがに違うな、なんて、僻みにも似た思考がよぎるのを必死に振り払った。


 今日も仮眠をとった後は全力で備品の用意をして、父に借りた場所で屋台の設営準備をして、シュミレーションをした。とにかく彼に頼らなくてもいいように。全力で駆け抜けた。

 気づいたら走り回っているうちに何も食べないまま日が落ちたけれども、このくらいは想定内だ。エネルギー補給ゼリーと、魔力補充剤はちゃんと摂取したよ。って、これじゃスーザンやレオナルドさんをあんまり偉そうに叱れないや。


「――ベル。アナベル!」

「っうわあ! ごめんシリル、いつからいた?」

「五回は呼んだ」


 本格的に疲れてるな。たはは、と笑ってシリルを見上げる。彼は明らかに怒気を孕んだ眼差しで私を睨んでいた。

 ランプをつけた実習室は、昼間ほどではないが十分に明るさがある。かなりとっ散らかってるけど、明日には全て終わるはずなので許してほしい。


「今日の業務、終わったんだねお疲れ様――わお、怒りの炎が背後から噴き出して見える」

「見えるか、それは良かった」


 よくないよくない。もの凄く怖い。「理由は分かるな」と言われたので曖昧に頷いておく。次の瞬間、口にスパッと何かが突っ込まれて、反射的に咀嚼した。


「んっ……むぐ……」

「座れ」


 テキパキとスペースを作られて、トン、と両肩を押さえられる。カクンと膝から力が抜けて、無抵抗に腰を下ろすことになってしまった。ああ、座ってしまった。気づかないふりをしていた疲れが、パンパンになった足に溜まっているのがよくわかる。お尻に根っこが生えて動けなくなっちゃうよ。


「アナベルの好きなスクランブルエッグのサンドイッチと、こっちはベーコンレタストマトのサンド。それから栄養価の高いジンジャースープも。ちゃんと休んでちゃんと食べろ」

「一日くらい、大丈夫だよ。スーザンみたいに常習化しようっていうわけじゃ――」

「問答無用。食べ終わるまで作業禁止」

「……あい……」


 もぐもぐと口を動かすと、程よい塩味の効いた卵が体に染み込んできた。好きだから自分でもよく作るんだけど、シリルが作ってくれる卵サンドは私が作るのより少しだけ甘くてふわふわしていて……なんていうか、優しい味がする。彼が作る料理はどれをとっても美味しいんだよ、悔しいことに。このサンドイッチもスープも、たぶんシリルが今日の献立とは別にわざわざ用意してくれたものだ。体のエネルギーになりやすいものばかり、それも私の好物ばかりだもの。


「作ってくれたんだ……ありがとう」

「別に。普段食生活を見直せとか言っておいて、いざという時に料理番が倒れていたら誰も話を聞いてくれなくなるからな」

「それはまあ、ごもっともです」


 シリルはざっとテーブルを見渡して、私のチェックリストを探し出して残った作業を片付け始めた。慌てて立ちあがろうとしたが、鋭い視線に制される。こうなったら早く食べ切ることに専念する方がよさそうだ。


 お腹がいっぱいすぎると眠たくなって作業できない、とはよく言うけど、お腹が減りすぎても頭が回らないよね。


「うう……沁みる……シリルに甘えないって決めたのに」


 私がしみじみとサンドイッチを咀嚼していると、シリルが呆れたような、心配するような目を向けてきた。


「なんだそのくだらない意地は。二人で乗り切ろうって言っただろ。アナベルに無理させるためにこっちを任せたわけじゃない」


 くだらないって何よ。自分はいなくなるくせに。

 怒りのような、泣きたいような気持ちがぐらりと腹の底から湧き上がる。なんだそれ。私だって好きでシリルに自分の仕事を任せているわけじゃない。反射で腹を立てかけて、いやいや、とその言葉をサンドイッチと共に飲み込む。彼と喧嘩をしたいわけじゃない。


 どうしてこんなにむしゃくしゃした、悲しい気持ちになるのだろう。


 シリルが事前に相談してくれなかったこと? それはある。

 大して魔術師に憧れのないシリルが、すんなり私の憧れの魔術師になってしまいそうなこと? それもちょっとあるけど仕方がないことだとは思う。持って生まれた素質が違うもの。

 料理番からあっさり鞍替えしそうなこと? それはまあまああるな。この仕事が好きって顔してたくせに、って思っているところはある。けど上の要請なら、シリルのような天才を放っておきたくないのは仕方がない。緊急事態なんだろう。シリルもそういうところは割り切ってそうだもんな。


 そうじゃなくて、何かもっと大事なことに腹を立てているような。

 そこまで考えて、私は改めて作業を進めるシリルの、綺麗な銀髪とアイスブルーの瞳が光る横顔を見つめた。

 あの静かな表情が、本当は様々な色に彩られることを、おそらく私だけが知っている。


 冷たそうな無表情が、甘いものを食べる時はわずかに綻ぶこと。

 初めて食べる料理の時は、綺麗な顔がわずかに緊張で強張ること。

 料理を作る時、機嫌がいいとごく稀に鼻歌を歌っていること。


 風邪をひきかけて実習を早退した私に、授業のメモ書きと作った料理をわざわざ部屋まで持ってきてくれた事もあった。料理番になって初仕事の日、緊張でガチガチだった私に、無言で飴を差し出してくれた事もあったっけ。あのときはなんで飴? と思ったけど、逆に飴がポケットに入っているシリル、という状況がちょっとがおかしくて、力が抜けたんだった。


 それから、やっぱり忘れられないのは私が鍋の中身を被って大火傷したあの日。あの時のシリルの目は本当に怒っていて、怖くて、一瞬火傷した事も吹っ飛ぶくらいの衝撃だった。けれどすごく心配してくれていたというのが分かって、なんだかむずかゆいというか、申し訳ないというか、うん。やっぱりちょっと嬉しかったんだ。


 どうした、と尋ねてくるとき、絶対に私を見捨てないこと。私の無理難題に、呆れながらも付き合ってくれること。


 いろんな場面が走馬灯のように一気に蘇ってくる。おかしいな、私、死ぬわけじゃないのにな。どうしてこんなに、心臓が締め付けられるような、苦しい思いをしてるんだろう。


 そこで、ようやく気がついた。


 私、シリルともっといっぱい同じ景色が見たかったんだ。もっと色んなものを食べて、色んなものを作って、二人で共有したかった。

 たぶん、それができなくなることが一番悔しいんだ。


 色々言いたい気持ちをぐっと堪えて、私はできる限り最高の笑顔を浮かべるように意識した。大丈夫、ちゃんと笑えてる、はず。


「明日は思う存分寄りかからせてもらうよ、シリルの魔法と技量にね。保冷ストッカーの用意は出来てるから、頑張って」

「任せろ」


 短いけれど力強い一言に、私は再び泣きたくなった。

 何度も助けられてきたけれど、これで最後にするから。きっと。

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