6 悲しいけれど仕方がない

「エリック、さん。それって、どういう……?」


 あまりにもポカンとした私の顔を見て、エリックさんは明らかに「しまった」という顔をした。


「……いや、例えばの話だよ、例えば。アナベルなら、どこのポジション任せてももう安心だなって、そういう意味!」


 ディアンさんやエリックさんの担当している『鍋』ポジションは、料理の仕上げを一手に担う、いわば花形の仕事である。対して私たちの『下仕込み』は、新人がつくことが多い仕事だ。言葉通りの意味なら、褒め言葉としてはまあ分からなくないけど、ただの異動ならバディごとするのが普通である。一度組んだ料理番のバディは、双方の都合が悪い時か、よっぽどミスが続いた時、あるいは環境の変化で誰かが退職した時くらいしか解消されることはない。つまり『誰とバディ組んでも』発言は、急にでできたにしては脈絡がおかしいのだ。しかもエリックさんの謎の間と表情からして、何か隠しているのは間違いない。


 けどここで問い詰めても答えてくれないだろうな。

 押し黙ってしまった私のせいで、妙な空気が流れてしまって気まずい。

 ええと、こういう時、なんて言ったら……


「すまない、遅くなって――ん? ディアンさんとエリックさんがいらしたんですか」


 ガラリ、と引き戸をあけて現れたのは、渦中の人、シリルだった。


「あ、シリル」

「うわあああシリルお疲れ様っ! それじゃ俺たちはこの辺で! アナベル、がんばれよ!!」


 私の声を遮って、エリックさんが慌てて立ち上がる。いまいち事態を飲み込めていないディアンさんをせっついて、エリックさんは呼び止めるまもなく実習室を立ち去った。


「――なんだ、あれ」


 持ってきたトレーを置きながら、シリルが怪訝そうな顔をして二人の背中を見送った。


「……いや。私にもよく分からないけど、夕飯を持ってきてくれたついでに雑談してたの。厨房内で私のこと、噂になってる?」

「まあ、多少は。俺が一人で仕事をしていたし、料理長が通りかかった時に『アナベルには俺から急ぎの仕事を頼んだ』と話していたから」


 突然いなかったら噂にもなるか。先輩たちが二人で押しかけて、様子を見に来たのも頷ける。けれどエリックさんの言葉については疑問のままだ。


 悩む私をよそに、シリルは出来上がった紙袋の方へ興味を持ったらしい。手に取って「いい出来じゃないか」と褒めてくれた。ぐるぐるしていた気持ちが、少しだけ浮上する。


「ありがと。自画自賛するのもなんだけど、結構うまく行ったと思うんだよね。あ、試作の方も食べる?」

「食べる」


 即答だった。夕食も食べずにすっ飛んできてくれたらしく、トレーには私の分のパエリアまでちゃんと載っていた。サラダも取り分けてある。先に食べちゃって悪かったな。シリルを待てばよかった。

 エリックさんたちに渡したものと同じように、グラノーラにドライフルーツを混ぜてはちみつの混ざったヨーグルトをかけ、シリルに渡す。スプーンですくって一口頬張ったシリルが、きらりと目を輝かせてこちらを見た。


「どう?」

「美味い」


 食い気味な返事が返ってくる。お、これは本当に美味しかった時の反応だ。


「これだけでも十分美味いぞ、アナベル」

「へへへ。色々試してみてよかった」


 シリルと先輩たちのお墨付きがあるなら大丈夫だろう。そろそろ自分じゃ分からなくなってきてたから、味の調整の方は一回放置してたんだよね。ちょうど紙袋も到着したところだったし。


「こっちの袋も土産品として持ち帰りやすいサイズだし、気軽に手土産として渡せていいと思う」

「実は、中身が見えたほうがいいのかなってちょっと気になってるんだけど……ほら、これだとただの茶色の包みでしょ。中身が見えないワクワク感はあるけどさ。でもどうしたらいいか、までは思いつかなくて」

「このままでも十分だとは思うが……そうだな。気になるなら、こうしてみるのはどうだろう」


 シリルはぱぱっ、と人差し指を袋の山に向けて二、三度振った。ぽん、と袋が光に包まれて静かになる。何をしたんだろう?

 私はそばへ寄って一枚袋を開いてみた。


「え、すごい! 窓ができてる!?」


 表側の一部が透明になっていて、中身が透けて見えるようになっている! 透過魔法かな。片側の一部分にだけ魔法をかけるなんて、そんな器用な芸当ができるのか。キレイな長方形で、まるでもともとくり抜かれていたかのような仕上がりだ。透明なだけだから、もちろん中身が漏れるとかいう心配もないし、これなら防湿魔法とかもちゃんとかかりそう。


 ほんと、なんでこんな繊細に魔法を操る人が魔術師じゃないんだろう。


 むくむくと、今まで疑問に思っていたことがまた頭をもたげ始めた。


「アナベルの分を先輩たちが持ってきたってことは、もしかしてもう食べ終わってるか。まだかと思って持ってきたんだが」

「え、うん。ごめん、先に食べちゃった」

「じゃあここで食べていてもいいか? アナベルもおかわりするならこっちの皿の分食べていいぞ。パエリア、好きだろ。入らきゃ俺が食べるけど」

「あー……じゃあ半分だけもらう」


 素直におかわりを受け取ると、シリルはうん、となぜか満足げに頷いてお皿をよこした。食いしんぼうなのは知ってるってか。悪かったですね。


 置いたトレーの前にシリルが座る。彼はむぐ、と早速それを頬張った。

 私は慌てて向かいに座った。


「ねえ、シリルってさ」

「ん?」

「本当に、一度も、魔術師になりたいと思ったことはない?」


 ぐずぐず悩んでいるのも私らしくない。今まで聞かずにいたけれど、もう本人に直接聞いてしまおう。

 子供なら誰でも一度は憧れる職業、魔術師。

 その才能と家柄がありながら、なぜ彼は目の前の道を選ばなかったのか。

 シリルはハッとして一瞬私を見てから、窓の外へ視線を外して「んー……」と考える様子を見せた。


「いや、うーん……昔は大して興味なかったんだが……そうだな。ある。というか、今目指している。現在進行形で」

「いま!?!?」


 私は思わず立ち上がった。


「ちょっと、聞いてないよシリル」

「そうだろうな。初めて言ったし」


 なんで。なんで今なの。

 どうしてこのタイミングなの。

 もともと料理番を目指していたという、あの言葉は嘘だったの。


 言いたいことが突然山ほどできたのに、喉につっかえて出てこない。と同時に、急速に冷えていく頭もあって、私は自分に混乱した。


「なんか、理由とか……あるの」

「まあちょっと。込み入った事情ができて」


 そうか。

 それは私に話せないような、機密事項なのか。


 思えば、シリルは休日によく魔術師に混じって訓練していた。

 魔術師試験に合格こそしていなくても、もともと予備生として声をかけられていたのかもしれない。

 加えて先ほどの、エリックさんの言葉。シリルが魔術師になるなら、もちろん料理番のバディは解消だ。エリックさんがもし、シリルが魔術師を目指していると知っていたなら、あの言葉が突然出てきたことにも頷ける。

 それに、シリルがイアンさんに一人だけ呼び止められた時も何かが変だった。もちろんささやきのほとんどは聞こえなかったけど、『魔術師』という単語だけはなんとなく聞き取れたのだ。あれはもしかして、魔術師に本格的になるための打診だった? としたら、この奇妙なグラノーラ無理難題事件は、私が一人で解消するための手立てを見つけられるかどうかのテストだったりするんじゃないか。つまり、シリルから私が独り立ちできるかどうかの卒業試験だ。


 パズルのピースが音を立ててはまっていく。

 やっぱりあの噂、半分はホントだったんだ。シリルが私の面倒を押し付けられて料理番になったという、料理番に正式就職するときにまことしやかに囁かれていたアレだ。今私は、追試を受けてるようなものなんだ、きっと。


 それならこの試験、なんとしても突破してシリルを私から解放しなくては。


 そこまでみんなからの信頼がなかったなんて、ちょっと、いや結構ショックだけど。頭をガツンと殴られたくらいの衝撃が、今私を襲っているけれど。

 シリルが本来進むべき道に戻れるなら、私は全力でこの任務を遂行するべきだ。

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