10 最高の褒め言葉

 レオナルドさんの空間移動魔法は、彼がいる側からしか発動できないのと、ずっと繋げておくわけにはいかないという理由から、帰りは露店の場所までてくてく徒歩で移動する。


 魔術師寮の正門からほど近いところに場所を借りたとはいえ、食堂からは反対方面なので、けっこう時間がかかってしまう。ま、行きにラクさせてもらったぶん、文句は言わないけどさ。


 先ほどまでミーシャたちが朝練していたであろうグラウンドも、今は静けさを保っている。どこも休憩時間なのか、活気がなくひっそりとしていた。まだ早朝だし、そんなもんか。

 シリルたちと合流したら、まずはさっきの成果を報告して……と。


「――ん?」


 くい、と服の裾が引かれた気がして、私はくるりと振り返った。だがそこには誰もいない。気のせいか、と思って向き直る。が、またやっぱり上着の裾を引っ張られている。気がして振り返る。当然そこには何もない。


「ええ……」


 薄気味悪いな。一周ぐるりとターンしてみたが、なにも見つからなかった。食堂で妙な探知魔法でもつけられた? いやまさか。私を探知したところで何も出ないでしょうよ。


 悶々としながら、とりあえず服の上からパタパタとはたいてみる。気のせいだといいんだけどな……。走って帰って、シリルとレオナルドさんに早く見てもらうか。そうしよう。

 私が眉間に皺を寄せていると。


「……っふふ。やっぱり面白いよ、きみ」

「ぎゃあっ!?」


 ふと耳元で、男の人の声がした。喉の奥から断末魔のような悲鳴をあげてしまう。誰、というかどこから!?


「ああ、驚かせてしまってすまないね。よい、しょ。これで見えるかな?」


 すう、と目の前の景色が揺らぐ。何が起こったのか、脳が理解する前に、ぬるりと人間が現れる。


「元気そうで何よりだよ、アナベル」

「い、イアンさん!?……と、ソフィア王女!」


 いや、まさか二人もいるとは思わないって。

 

 私は突然現れた魔術師トップと隣国王女の二人組に、最敬礼をするのも忘れて口をあんぐり開けて固まった。

 透過魔法、だったのだろうか。気配を錯乱する類じゃなく、完全に見えなくする魔法を、二人同時にかけていたなんて。やっぱり司令官ともなると只者ではない。

 やあ、と優雅に手を振ったイアンさんは、もう片方の手で幼い王女の手を引いている。いいところのお嬢様とその従者、といった体の服装をした二人が、どうしてこんなところに現れたのか。


「え、あの、誘拐」

「なわけないでしょ」


 そうですよね。いくらなんでも今日の演舞の主役が王女を連れて逃避行なんて、そんな恐ろしいことしないですよね。


「ソフィア王女がね、帰国前にアナベルに会いたいと言うから。王子は忙しいし、代わりに僕が連れてきたんだ」

「わ、私に!?」


 紺碧の海を思わせる、深い青の瞳がこちらを見ていた。見る角度によっては金色のゆらめきを湛えているとも言われる、神秘の目。この間は一瞬しかみられなかったけれど、ミーシャから聞いていた通り、吸い込まれそうな美しい瞳だ。

 彼女がイアンさんの言葉にこくん、と頷いたので、そこで私はようやく思い出して膝を折る最敬礼を取った。


「おかおをあげて、アナベル・クレイトン」


 鈴を転がすようなかわいい響きに、先日聞いた棘のある怒りは感じられない。


「わたし、あなたに、おれいが言いたくて」

「お礼……?」


 私が何かしただろうか。驚きに目を瞬かせていると、ソフィア王女は「アップルパイ」と小さく呟いた。


 アップルパイ。――ああ! 砂糖なしで作ったアレか!

 ここ数日が忙しすぎて、すっかり忘れていた。

 ソフィア王女はイアンさんの手をきゅっと握りしめたまま、緊張の面持ちで口を開く。


「あんなにおいしいパイ、はじめて……食べたから」


 私は耳を疑った。

 毎日一流の料理人が腕を振るってくれる環境なのに?

 私のパイが?

 一番美味しかった??

 私が納得していないことを感じ取ったのか、ソフィア王女がわたわたと動揺し始めた。


「あのパイはね、本当にやさしい、味がして。サクサクで、あまくて、とっても幸せになったの。ミーシャから、あなたがつくったって、きいて、でもわたし、もうすぐロータスに帰らないと、だから、えっと」


 辿々しい言葉で紡がれる言葉は、決して流暢なものではない。口下手だという彼女の、精一杯なのだろう。

 王女はイアンさんの手を握り直して、私の方をしっかりと見た。


「だからね……うれしくて、ありがとうって、言いにきたの」


 彼女があのアップルパイをとても喜んでくれたこと。

 それから、このためだけに、私に会いたいと思ってくれたこと、いや。思ってくださったこと。

 その気持ちがじかに、まっすぐ、伝わってきて、なんだか不意に目頭が熱くなった。


「――光栄でございます、殿下」


 かしこまって、それだけ言うのが精一杯だった。

 瞳にたまる涙を堪えるために、ぐっと力を入れて瞬きをがまんする。

 けれど、より深く頭を下げてしまった反動で、ぱたりと地面に雫が落ちた。


「な、泣かないでアナベル! えっと、えっと」


 慌てたソフィア王女の頭を、イアンさんが優しくポンポンと撫でる。

「ソフィア王女、彼女は嬉しくて泣いているんですよ」

「う、うれしいの……?」

「そうそう。王女の気持ちがちゃんと伝わったんです。きちんとご自分の言葉を伝えられて、よかったですね」


 イアンさん、本当のお兄さんみたいになっている。滞在中にずいぶん打ち解けたようだ。実の兄のエドワード王子より、お忍びするなら魔法の使えるイアンさんの方が断然動きやすいんだろうけど……いや待って。イアンさんも今日演舞に出るんだよね。十分忙しいはずですが。


「それじゃ、感動の再会も終えたところで、王女がもう一人お礼を言いたい相手のところへ急ごうかな。ついでだから、アナベルも一緒に移動しよう」

「はい?」


 私の心配をよそに、イアンさんは飄々とそう告げた。


「敬礼はもういいから立ってくれる? 街では僕らにかしこまるのはよしてね、お忍びだから。じゃあ、僕の空いてる方の手につかまって」

「え? 待って、急に腕掴まないでくださ――」

「では行こう。いーち、にー、さん、はいっ」

「えええええええ!?」


 視界がぐにゃりと歪む。マーブル状に混ざった景色から、自分の体がふわりと浮き上がるのがわかる。

 これ、もしかしなくても、国で数人しか使えないっていう高等魔術の瞬間移動テレポートなんじゃないの!?!?


 涙を乾かす間もなく、大好きな魔術分析をする時間すら与えられず、私はイアンさんに強制連行されたのだ。

 私は目を回しながらその場を後にしたのだった。





 屋外、グラノーラ販売作戦決行所。

 魔術師寮の朝ごはんに出張したと思ったら、とんでもないゲストを引き連れて帰還した私に、さすがの二人も一瞬絶句した。


「アナベルさん、なんでこんなことに?」


 レオナルドさんが私に小声で尋ねてくる。


「いやまあ、それは私が聞きたいんだけど……なんか、王女がシリルに用事があったらしくて……」

「王女が!?」

「う、うん……」


 ここで彼女と出会った経緯から解説すると長くなるので、適当に誤魔化しておいた。


 イアンさんがここへ様子を見に来るだけならまだわかる。この宿題を課した張本人だから。当たり前のように忙しい人だけど。

 けれど王女までは予想がつかなかったようで、特にレオナルドさんが目を白黒させながら私を見ている。二人が着ている庶民風の装いから、空気を読んで最敬礼を思いとどまったのは、さすがスーザンの部下といったところだろうか。


 ソフィア王女は先ほど私にしてくださったのと同じように、一生懸命シリルにお礼を伝えている。彼はいつもの無表情だけど、ちょっとだけ目尻が下がっているので、たぶん嬉しいんだろうと思う。

 ソフィア王女がレオナルドさんにも挨拶しようとしてこちらを向いた。彼は慌てて王女のそばに行き、一生懸命彼女の言葉に耳を傾けている。シリルも時々サポートしているようで、大のオトナ二人が目線を下げて幼女と会話している姿がちょっと面白い。


「アナベル」

「ひゃいっ!」


 シリルの様子をずっと見ていたら、突然イアンさんに名前を呼ばれたので、私は飛び上がった。


「三日間でよく考えてくれたね、グラノーラの使い方」

「は、はあ……」


 突然褒められるとは思っておらず、曖昧な返事をしてしまった。思わず、シリルより濃いアイスブルー色をした彼の瞳を、まじまじ見つめてしまう。私の訝しげな顔を読んだのか、「他意はないよ、純粋に偉いと思っただけ」とにっこり微笑まれた。確かにぱっと見はシリルによく似ているけど、やっぱり表情の使い方が全然違うな。シリルもこんな風に、人当たりよく笑ったりできるんだろうか。


「ねえアナベル。きみはこの国の外に出たことがある?」


 しかも急にそんな質問を投げかけられたので、私はますます困惑した。


「この国の、外ですか……? 他の国に行ったことはないですね」


 国外なんて、お金もない一般庶民がホイホイ行けるところではない。商人の父でさえ、わざわざ海を渡って外国へ行ったのは片手で数えるくらいの経験であるはずだ。


「そう、普通はそうだよね。かく言う僕も多くはないけれど」


 じゃあなんでそんな質問をしたんだ。まだ私が懐疑的な顔をしていると、イアンさんはふと目を伏せて、呟くように言葉を紡いだ。


「外には様々な国がある。言語の違う国、魔法を持たない国、食べ物も作法も違う国。親しみを覚える国もあれば、常識の通じない国もある」


 それは、司令官として他国へ行った時の経験を指すのだろうか。私はイアンさんの向こう側に見える、ソフィア王女の横顔へ視線を移す。それに気がついたのか、彼も一緒に王女の方へ顔を向けた。


「外国はとても興味深い場所だけど、時々恐ろしくもあるんだ」

「おそろしい?」

「ああ。いずれ、想像もしないくらい遠い国々から、想像もしないような技術が持ち込まれて、ベリルはもっと豊かになる」


 私はイアンさんの言葉に頷いた。それはきっと、そう遠くない未来の話だ。

 蒸気機関車や電話が生まれ、どの国でもその恩恵を享受しているように、魔法でしか実現できないことは、今でも格段に少なくなってきている。これからも、その傾向は強くなっていくに違いない。

 彼は自分の視線の先に、右手を広げて掲げてみせた。


「けれど国が豊かになってきたその時、まだ魔術師は必要だろうか。この国の礎を築いてきた魔法の権威が揺らぐ時、僕らはまだ、息をすることが許されるのだろうか。時々、そんな、今考えても仕方がないようなことを思う日があるんだよ」


 彼の浅い海のような瞳が、わずかに揺れる。それは不安か、この国を想う憂いか。

 きっと私には想像もつかないような重圧が、彼の肩にはのしかかっているに違いない。なんと返してよいものかわからず、私は押し黙ることしかできない。


 うーん。こんな時は。


「イアンさん――いえ、スタンフォード司令官」


 私がかしこまった呼び方をしたので、イアンさんは少しだけ固まった。そんな彼を無視して、私はつかつかとシャーベットの入った保冷箱のあるほうへ近づいていく。

 そばに用意した紙製のボウルを手に取って、グラノーラをざっくり盛って。ヨーグルトをかけたら、仕上げにシャーベットを少し乗っけて。あ、ボウルにはちゃんと防水魔法加工済みだよ。シリルが。

 そうやって盛り付けたグラノーラを持って、私は再びイアンさんの前に立つ。ずい、と差し出されたそれを見ても、イアンさんはまだ固まっている。


「演舞前にいっぱい高度魔法を使ったりするから、流石のイアンさんも栄養が足りなくなったんじゃないですか? ほら、とりあえず食べて、今日の大仕事に備えてくださいよ」


 押し付けるようにして、私はグラノーラボウルをイアンさんに握らせた。シリルによく似た、けれど少しだけ青が強い彼の目をしっかり見て、私は自分の言葉を届けたいと思った。


「魔術師の誇りを――いえ、この国の誇りを、後世に伝えるために魔術師がいるんでしょう? この先魔法が形骸化しても、魔術師の数が減っても、皆さんが『カッコいい』と尊敬され続ける限りは、その権威が揺らぐことはありません、きっと」


 これは私のいつもの『勘』だ。同時に、そうであって欲しいという『祈り』でもある。どんな文化も、そうやって連綿と続いてきたはず。

 私がベリル皇国を好きでいられる理由の一つは、この国の象徴である魔術師が大好きだからだ。


「だから、これからも最高にカッコよくて、みんなから憧れ続けられる、そんな皆さんでいてください。皆さんが輝けるように、私たちが全力でサポートしますから」


 そして、これが私の誇りと決意だ。魔術師を守ることが、この国を守っていると胸を張っていられる。


「誇り、か」


 私の言葉を繰り返したイアンさんは、手元のグラノーラをじっと見つめた。


「アナベル、大事な言葉をありがとう。演舞も頑張れそうな気がするよ」


 次に顔をあげて目が合ったイアンさんの顔には、もう迷いはなかった。

 彼がゆっくりと口にスプーンを運ぶ。グラノーラをシャーベットとともに頬張って、ゆっくりと飲み込んで。

「おいしい」と顔を綻ばせてくれたものだから、私もつられて笑顔になった。


「ソフィア王女も良かったら――ってもう食べてる」


 シリルがすでにお渡ししてくれたらしい。目をキラキラさせて一生懸命もぐもぐしてくれているのを見ると、不敬かもしれないが心が大変和む。かわいらしい……。

 さっさと食べ終えたイアンさんが、ソフィア王女に声をかけた。


「そろそろ王宮が騒がしくなっている頃合いかな。ソフィア様、行きましょうか」


 その声にぱっと顔をあげた彼女は、名残惜しそうに手元のボウルへ視線を落とす。


「……分かりました。食べ終わったら帰りましょう。その代わり、急いでくださいね」


 パアア、と何もしゃべっていないのに雄弁に語るその表情に、イアンさんは苦笑した。仕事の鬼と呼ばれる彼も、なんだかんだで幼女のお願いには弱いらしい。


 一生懸命グラノーラを食べてくれたソフィア王女は、「またね」とわざわざ私とシリルとレオナルドさんに握手を求めてくださった。


 手のひらに残る小さなこのぬくもりを、私は生涯忘れないだろう。




「――ところでさっきイアンさん、『王宮が騒がしくなっている頃合い』って言わなかった……?」

「言っていましたね、司令官……」

「まさか兄さん、ソフィア王女の願いだからと、王宮の宿泊所から勝手に連れ出していない、よな」


 私たちは顔を見合わせて固まった。


 その後どんな風に彼らが怒られたのか、我々はもちろん知る由もない。

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