10 ひみつのお茶会、ひみつの話
準備は万端。用意も万全。
「ミーシャ、がんばってね」
「アナベル、シリル、色々してくれてありがとう。行ってきます……!」
ド緊張の表情を浮かべ、ミーシャが昨日一緒に歩いた廊下へ踏み出していく。バスケットに入れたアップルパイに想いを託し、ミーシャと私たちの真心が伝わるように、あとは祈るのみ。
一応お茶も保冷ポットに用意した。今日は紅茶ではなく、砂糖不使用のハーブティーだ。「ネトル」と「エルダーフラワー」というハーブをブレンドしたもので、マスカットのようなほのかな甘い香りを感じられる。血液を浄化する作用や、かゆみを緩和してくれる作用を期待できるらしい。最近ハーブティーにこだわりはじめたスーザンが、茶葉を提供してくれた。
私たちができるのはお手伝いまで、あとはミーシャが彼女の心を開くのを待つだけだ。それから、残念なことに今日は普通に仕事がある。私たちの本分はあくまでも『魔術師寮の』料理番なので……。早く戻って切り込みを始めなきゃ。
「明日のラタトゥイユの野菜はもう切った?」
「ナスだけまだ」
「メインだね。がんばろっと」
ラタトゥイユはこの時期に採れる野菜をたっぷり入れてトマトで煮込み、冷まして食べる夏メニューである。
最近、業務外では体を温めるものばかり一生懸命作っていたから、料理番のメニューを作っていると季節を感じられてより楽しい。
「ミーシャ、うまく行くかな?」
「いくだろう」
私の独り言に対していつになくシリルが即答したので、驚いてシリルを見あげてしまう。彼は視線に気がついて私を見ると、ふ、と優しい笑みを浮かべた。
「『勘』ってやつ、今日は働かないのか?」
「……え? え、ああ、働く! 働くよ! きっとうまくいく! そうだね!」
私の口癖をとったシリルが、ぽんぽん、と意味もなく私の頭を撫でた。
――だから、子供扱いはやめてってば。
〜 〜 〜
「ソフィア、ミーシャが来てくれたよ」
『……会い、たくない……』
「そうやってまた彼女を傷つけるつもり? 良くないなあ」
布団をかぶってうずくまっているソフィアの声が、くぐもって聞こえる。兄であるエドワード王子の呼びかけを聴きながら、ミーシャはぎゅっと手元のバスケットを握りしめた。
「さっきまで楽しみにしていたじゃないか――ごめんねミーシャ、せっかく来てくれたのに」
「いえ、大丈夫です。私、王女が起きるまで待ってます」
今日はそのために来たのだから。
エドワードは側近に呼ばれ、慌ただしく出かけてしまう。部屋に二人、取り残されたところで、ミーシャはソフィアが丸まっているベットのそばへそっと近寄った。
もぞ、とこんもりした山が動く。
きっと、バツが悪いのだ。自分が逆の立場なら、合わす顔がないと思うだろう。
「ソフィア王女。おぐあい、いかがですか?」
そうやって声をかけると、ついに深い深い青の目だけがひょこりと布団からでてきた。
「っあ……」
唇を震わせる言葉は、何もない。
けれどもそれで良かった。ミーシャは謝ってほしいわけでも、何かを問い詰めにきたわけでもない。
ミーシャは近頃やっとできるようになった幼い指ならしで、ベットの横にテーブルといすを出現させる。
「ソフィアさま。今日はふたりで、『ひみつのお茶会』をしませんか? おいしいアップルパイをお持ちしましたの!」
「ひみ、つ?」
はい、と返事をしながら、ミーシャはテーブルへバスケットを置く。今日のソフィアは何も食べていないとのことだった。空腹にかなり刺激を与える、香ばしい香りが漂っている。
「でも、お砂糖はだめって、お兄さまが……」
「これはとくべつなアップルパイで、お砂糖はつかっておりません。エドワード王子には許可をいただいていますから、だいじょうぶですよ」
ミーシャは椅子に腰掛けて、何から話そうかと考えた。
こんな時、私の大好きなアナベルなら。
きっとこうして話を切り出してくれるだろう。
「私、おなかがすいてしまったんです。せっかくだからおいしいうちに、いっしょに食べていただけませんか? 『ひみつのお茶会』ですから、むずかしいマナーはなし。ベッドも汚してしまったら私が魔法でおそうじしますし、ここで食べちゃいましょ! ね?」
ソフィアが目を丸くする。自分の王城ですら、そんなはしたないことはしたことがない。けれど同時にそれは少しわくわくする提案で、ミーシャの優しさであることも彼女は理解したようだ。
布団からゆっくり顔を出し、じっとミーシャを窺っている。昨日は随分泣いたのか、まだ顔がはれぼったく見えた。
猫のような警戒心を見せるソフィアに、ミーシャはちょっとおかしくなった。片手サイズのアップルパイを手渡す。そして自分も手に取り、ひとくち先に食べてみた。
じゅわり、と染み出すアップルコンポートの旨み。
甘さは控えめなのに、コクがある。生地のバターはしつこくなく、ほろほろと崩れる食感はやみつきになる。
「っん〜! おいしいですよ、ソフィアさま」
本当は王族より先に手をつけるなんて、マナーのマの字もない。けれど、今はいいのだ。『ひみつのお茶会』なのだから。
おずおず、ソフィアが口元にアップルパイを運ぶ。
サク、と彼女の小さな口がそれを頬張る。
おいしさにゆっくりと目が見開かれていくのを見て、ミーシャも満面の笑みになった。
「ね、おいしいでしょう」
こくり、と同意を見せるソフィアの目が次第に輝き始める。ガラスのコップに注いだお茶もすすめると、こちらも気に入ってくれたようだった。ふわり、と見せた笑顔が愛おしい。
「私がこの間お話しした、料理番のアナベル・クレイトンとシリル・スタンフォードが作ってくれたんですよ。今度必ず、ごしょうかいしますね」
「……うん。会いたい」
二人はそれから、いろいろな話をした。
楽しい話、大事な話、ひみつの話。
他人に対しては口下手なソフィアも、一生懸命言葉を紡いだ。
それを廊下でこっそり立ち聞きしていたエドワードは、公務の迎えにきたシリルに対してもう少し待ってくれと駄々を捏ねたとか、なんとか。
〜 〜 〜
「……というわけで、ミーシャによれば、口下手な王女はどうやら自分がみんなから嫌われていると思っていたらしいよ。話を最後まで聞いてくれる唯一の味方の兄は仕事で忙しそうだし相談できず。ティーパーティーなら自分があまり喋らなくてもみんなが楽しそうにしてくれているから、よく開催していたんだってさ。けなげな話だよね」
私とシリルにそう教えてくれたのは、シリルの兄であるイアンさんだ。
ああ、今ですか? 二人で彼に呼び出され、普段は絶対入ることのできない司令官室にきている。しかもなぜか、料理番の最高権威ともいえるハワード・オルムステッド料理長を伴って、である。
「適当にかけてラクにして」と来客用のソファに座らされたものの、全くリラックスはできない。料理長だけが悠然と足を組んで座っていた。シリルでさえなんとなく落ち着かなさそうだ。料理長の余裕、私たちに分けてほしいよ。なんか最近、こういう緊張場面に居合わせることが多すぎるんですけど。
まあ、次この部屋に入ることがいつあるかは分からないので、とりあえずキョロキョロと部屋を眺め回しておく。飾り気のない部屋にはとくに積み上げられた資料もなく、整頓されていた。イアンさんの性格だろうか。重厚なテーブルと椅子だけが存在を主張している。
黒いソファに身を沈めた彼は、これでもかというほどニコニコだ。その表情がかえって怖いんですけど、それって私だけですか?
「君たちのおかげでひとまずはソフィア王女の治療の方向性が見えた。これから本当になおるかは本人と国の努力次第だろうけど、君たちが作ってくれたソフィア王女へのオススメレシピリストはロータスの料理長に渡したし、出来ることはやった、って感じかな。とりあえず、お疲れ様」
あ、捨てられはしなかったのか。よかった。
一応、蛇足かとは思ったけれど、皮膚疾患や血液浄化に良いとされる料理のレシピをピックアップしておいたのだ。あとはロータス側で煮るなり焼くなりしてくれればいい、と思った完全なおせっかいである。レシピブックはイアンさんの手から向こうに渡してくれたらしい。
おかげでちょっと寝不足だけど、役に立ててくれるなら何よりかな。もちろん、シリルも私のわがままに付き合ってくれた。
「ミーシャも、心配事がなくなったからか元気になったよ。保護者代理としても上司としても、お礼を言わなくてはね」
「こ、光栄です……?」
滅相もありません? とんでもないことでございます?
この場合、なんて答えるのが正解なんだろう。
ガチガチに固まっている私を見て、とうとう料理長が噴き出した。
「おいイアン、そろそろその胡散臭い笑顔を引っ込めてやれ。うちのひよこが震えてかなわん」
「ええー。真顔よりは怖くないかと思ったのに。仕方ないですねえ」
ガハハ、と豪快に笑う料理長はまさしくヒグマそのものである。ただし今はそのヒグマの方が、ニッコリ威圧マンよりは怖くない。
「では、ここからが大切な話だ。この難問を解決する糸口を見つけた優秀な・・・君たちにもう一つ、頼みがある」
なぜ今そこを強調した。
なぜ今私の目を鋭く射抜いた。
「実は海向こうの大陸から、少々多めに非常食を仕入れてしまったんだけどね。そろそろこの在庫、なんとかはけさせないといけないんだなー。と、いうわけで。その解決策を君たちに考えてもらおうと思う。なお、これは料理長命令であると同時に、第一魔術師団司令官イアン・スタンフォード管轄の最優先課題とする。期日は建国記念式典当日まで。じゃ、詳しいことはハワードさんに聞いておいてね。よろしく」
……ん?
……はい?
――色々、聞き間違いじゃないのなら。
私たちは明後日までに片付けなければならない、とんでもない宿題をたった今押し付けられたということだろうか。
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