9 食べる時間が自分を作る

 じっくりことこと、りんごを煮詰めること数十分。


「んー! お砂糖なしでも十分じゃない?」

「うまい」


 私とシリルは顔を見合わせて頷いた。


「どうしよう、このままパンに乗っけて全部私が食べちゃうかも」

「気持ちはわかるが趣旨を思い出せ」


 ですよね。わかってるって。

 もう一人二人くらい、味見してくれる人がいればいいけど、と思っていると、ちょうどいいタイミングで裏厨房の扉が音を立てて開く。


「あら、アナベルにシリル。今日は非番だって言ってなかった?」

「スーザン!」


 あれからすっかり回復したスーザンだ。料理番の作ったものをしっかり食べて、最近は絶好調の模様。本当に良かったと思う。時々こうして裏厨房に現れては、私たちに献立の要望を伝えたり新作の感想を言ってくれたりする。貴重な現役魔術師の意見はとても参考になるのでありがたい。全部の要望に沿うことは難しいけれど。

 近頃は自分で食べ物の栄養についても勉強を始めたらしい。真面目な人だよね。


「非番だけど、いや非番だから、ちょっとお楽しみな試作をね」

「二人で? 仲良しねえ」


 スーザンは何か勘違いしているようで、よくニコニコと意味ありげに私たちを見てくることがあるけど、残念ながらそういうのではないんだよな。相変わらずシリルは私をお守りが必要な三歳児かなんかだと思ってそうだし。最近ご自分がアーサー殿下とうまく行ったからって私にも無理にお裾分けしようとしなくていい。シリルがかわいそうである。


「もしかして、ミーシャが言ってた『王女様のお土産』?」

「あ、聞いたんだ」

「そうそう。演舞練習張り切ってたわよ。明日こそソフィア王女と仲良くなるんだって。彼女は明日休みを取るために今必死で練習に明け暮れているわ。何があったのか詳しくは教えてくれなかったけど、たぶんアナベルが一枚噛んでるんじゃないかとは思ってた」

「なんでそんなに勘がいいの」

「そういうことにすぐ首突っ込みそうじゃない、あなた」


 出会ってから短いのに色々バレてる。どうして。

「味見なら付き合ってあげてもいいわ!」などとうきうき言うスーザンはやっぱり可愛い。お砂糖不使用だ、と伝えるとぱああ、と彼女の顔が輝いた。


「それでこれだけ甘くて美味しいの? 天才じゃない?」

「はちみつはちょっと入れてるから。りんごとシナモンも魔力ブーストにいい食材だし、魔術師なら普通の人よりエネルギー補給にもいいはずだよ。これをこうして……食べやすい片手サイズのパイにしようかと思って」


 先程シリルが作って休ませておいたパイ生地は、すでに伸ばしてある。下側は火が通りやすいように穴を開けて、上は格子模様になるように生地を重ねる予定だ。ちょっと中身が見えてた方がテンション上がるでしょ、パイって。一口サイズでこんな細かい芸当をやろうとするのは本来至難の業だけど、そこはほら、シリル様の手際でなんとか。

 スーザンからも中身のゴーサインが出たので、早速盛り付けてパイを綴じていく。フォークのお尻を使ってパイのヘリをくっつける作業、けっこう楽しくて実は好き。


「エネルギー補給……そういえば、アナベルに紹介したい人がいるのよ」

「紹介?」

「たぶんその辺にいるから、ちょっと待ってて」


 スーザンはパチンと指を鳴らすと、どこからともなく取り出した紙にサラサラと何かを指で書きつけた。それが終わるとひとりでに紙が動き出し、パタパタと折られて複雑な形になる。小鳥の姿になったそれは、裏厨房の窓をするりと通り抜けて姿を消した。――伝令鳥だ! 飛ばす瞬間は初めて見た。なにあれかっこいい!


「アナベル、残りのコンポートが焦げるぞ」


 あっ。

 シリルの声で我に帰る。

 スーザンの魔法にみとれていたせいで、もうひと鍋作っていたコンポートを混ぜるの忘れてた。危ない。


「私の部下にあたる子でね、いま面倒を見ているんだけど……どうも拒食気味で、線が細いのよ。ぶっ倒れるわよって言っても聞かないし」


 先日倒れたスーザンの「ぶっ倒れるわよ」ほど説得力のある言葉もないと思うのだが、それでも聞かないとは。

 一体どんなひとなんだろう、と思っているうちに、またまた裏厨房の扉がパタリと開く。


「アローラ副官、休憩時間にこんなところまで呼び出してなんです、か……?」


 あ、まさかの男の人。

 勝手に線の細い女性を思い描いていた私は思わず拍子抜けしてしまう。

 どうやらスーザンが一人でいると思っていたようだ。気安く話しかけてきたと思ったら私たちを見てちょっと固まった。

 オレンジがかった瞳の色は、トパーズと呼ばれる宝石の色を思わせる。髪の毛は銀髪だけど、シリルの青みを含む銀とは違って、金色の要素を含む色味に見える。魔力が高そうなキレイな色をしているね。

 いかにも神経質そうに眉根を寄せるその男性は、掛けていた|片眼鏡(モノクル)を胸ポケットにしまって近づいてくる。そのモノクルってもしかして、魔術発動強化に使う道具じゃないですか? 存在しか知らなかったけど、魔術師になると本当に持っている人がいるんだ! 私のテンションが急に跳ね上がる。ということはこの方は特殊な魔眼持ちだったりしますか? どんな魔術がお得意なんですか??


――とは、さすがの私も初対面で聞くことはできないので、興味は胸の奥底にぐっとしまい込んだ。


「ご友人とご一緒とは聞いていませんが」

「あなたと会わせたかったんだから一緒にいるのは当然じゃない」

「そういう要件なら事前に……いえ、今言っても無駄ですね」


 ため息をついた男性は、私に改めて向き直る。


「シリルさんは時々お会いしますが、あなたは初めてですね。アローラ副官の部下、レオナルド・ハリソンです」

「はじめまして、アローラ副官のお友達……で、料理番のアナベル・クレイトンと申します」


 お友達、でいいよね。おこがましいんじゃないか、なんてまだ緊張しちゃうけど、いいはず。ぎこちなく挨拶を返すと、胸に手を当てて静かに会釈してくださる。いちいち仕草がキザでロイヤルだな。

 ちょっと残るあどけなさからして、レオナルドさんは私と同い年か年下くらいかなあ。実家にいる弟を思い出して少し親近感が湧いた。


「アナベル、この子にもご飯を食べることがいかに大切か教えてやってよ」

「またその話ですか。だから食べる時間などないんですって。エネルギー補給ゼリーならちゃんと摂っているし十分でしょう」


 ああー。この手のタイプ。

 私とシリルは半目になる。


 故意のダイエットとは別に、食べることを楽しみにできない人って一定数いるんだよね。特に忙しい人に多い。このタイプは理詰めでなんでも考えるところがあって、結果エネルギー補給ゼリーや魔力補助剤の摂取でバランスが取れているからオッケー、などと都合よく物事を解釈していることが大変多い。レオナルドさんは典型的な例って感じだ。こういう人を説得するのって難しい。というか無理なんだよ。スーザン、難問を持ってきたな。


「確かに、食べると眠たくなるし、仕事に支障出ることもあるから考えちゃうことも多いですよね」

「そうなんです」


 分かってくれますか? とでも言うように彼の目が僅かに見開いた。食べることが大好きな人種からは理解されづらいんだ、この感覚は。


「私も料理番見習いになる前は、集中すると食べなくても一日過ごせる日が多かったので分かります」

「そう、そうなんですよ……! 誰に言っても伝わらなくて!」

「食べている時間が勿体無いって思っちゃいますよね。その間に手を動かせるし」

「まさしくその通りなんです!!」


 おお、なんか身を乗り出してきた。魔術師も料理番も、パワータイプが多いからよく食べる人が多いもんね。同意を得られる人が少なかったかもしれない。

 スーザンが私に何か言いかけたけど、黙って話の行方を見守ることにしてくれたみたいだ。


「でも、実は食事をとるのって思ったより悪いことばかりでもないんですよ」

「そう、ですか……?」

「勉強中や書類仕事中に、ちょっと散歩すると筋肉がほぐれて血が巡るから気分転換になったりするでしょう? それと同じで、食事は手や脳が仕事とは異なる動きをするから、いいストレッチになるんです」

「なる、ほど……」

「噛むことは思考能力を向上させる、とかも言いますし。ゼリーだとそういう力は鍛えられませんから。それから実際に、食事休憩を挟むチームとそうでないチームの魔術精度を比較する論文が発表されていたはずです。ご興味があるようなら探しておきますね」


 見習いの時に勉強した資料があったはず、と思って提案すると「ありがとうございます」という案外素直なお返事がかえってきた。やっぱり根が真面目すぎるんだろう。若い子に「歳とってから体を壊しますよ」とか「病気になって後悔しますよ」などと言ってもピンとこないのだ。今が元気だから。本人が納得するデータがなければ説得はできない。私にも心当たりがあります。


「騙されたと思って、一週間くらい継続して食事休憩とってみてください。眠くなるのが嫌なら、食事後に軽く運動して血流を分散させると良いですよ。それから、誰かと一緒に休憩をとるようにしてください。一人だと長続きしませんから」

「善処します……」


 渋々ながら、彼は私の主張を呑んでくれたようだった。その複雑な表情がやはり弟と重なって、ついつい顔が綻んでしまう。


「みんなと食べると、全然違う景色が待っていることもあるんですよ」


 鼻をくすぐる、甘い香りが漂ってくる。そう、アップルパイの試作がそろそろ焼けてきた頃である。

 焼きたてのパイがオーブンから登場したことで、スーザンの顔がパアア、と輝いた。シリルも、うん。とっても嬉しそう。


「表情の変化とか、わくわく待っている時の顔とか。食事の時にしか見られない一面っていうのはけっこうあるんです。人間観察も楽しかったりします」

「そういう楽しみ方、ですか?」


 レオナルドさんはちょっと拍子抜けしたように私を見た。私はにっこりと笑って見せる。


「幸せそうな顔をしてる人を見たら、ささいな悩みがバカバカしくなる時ってあるじゃないですか。ああ、この人とこの時これを食べたな、という思い出が、後から自分の財産になったりね。それに気がついてから、私にとって食事の時間は『無駄なもの』じゃなくなりました」


 栄養をとるだけが、食べることの意味じゃない。

 誰かと過ごしたかけがえのない時間が、自分を作っていく。

 それも含めて、「食べるものが自分を作る」んだと、私は思っている。

 ふうん、と頷いたレオナルドさんは、早速ひとくちアップルパイを頬張って熱そうにしているスーザンを、ちょっと呆れたように、けれど大切そうに見守っていた。

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