8 記憶の中の味

「まあ、この材料見れば何作るかわかるよね」

「だな」


 まな板の上には真っ赤なりんご。

 そして用意された鍋とバター、小麦粉類。


「初夏にアップルパイなんて季節外れで暑いかな?」

「別にいいんじゃないか。俺は気にしない」


 そりゃシリルは甘いものならなんでも気にしないでしょうよ。まあいいよね、美味しければ。

 『りんごが赤くなれば魔術師も医者もいらない』なんて言われるくらい、りんごに含まれる栄養には価値がある。ベリルでは病院のお見舞いの定番果物だ。解毒作用があると言われているから、おなかの調子を整えるのにも最適だし、美肌や美白効果を期待する人も多い。

 ちょっと前までは秋の旬にしか手に入らなかったけど、最近は特別な冷蔵方法が見つかって通年食べられるようになってきた。文明の利器と魔術の進歩さまさまである。


「真夏になったら、この間おもてなし料理で披露されたっていう『アイスクリーム』ってやつ、試作してあつあつパイに乗せて食べようよ」

「……採用」


 シリルがいつになく乗り気でちょっと面白い。私は話しながらザクザクとサイコロ状にりんごを切って鍋に放り込んでいく。私は結構りんごの形がしっかり残っている方が好きだな。ここは好みだと思うけど。


「今日は砂糖を使わないんだよな」

「うん。まずは塩を全体に……ちょっとなじませて、と」


 ほんの少しの塩で甘みがぐっと引き立つらしい。料理番見習いの時に教わったものの応用だ。

 それから忘れてはいけないのがシナモン。こちらも全体にまぶしておく。シナモンってりんごにぴったりのいい香りだよね。振りかけておくだけで食材が長持ちする効果もある。血の巡りをよくしてくれるし、病気の予防にもいいと言われているんだよね。他にも、過剰反応してしまった炎症を鎮めてくれるとかむくみを解消するとか言うし、今のソフィア王女にぴったりの食材だと思うんです。

 こうしてりんご本体から水分が出てくるのを待つよ。あとははちみつをひと匙。はちみつって砂糖よりも甘さがあるから、使う量も少しでいいし、コクも出る。

 本来の甘みを引き出して、これで中身のコンポートを作っていきます!


「これを少しだけ振るといい」

「なに?」


 シリルが何やら調味料棚から取り出した小瓶を手渡してきた。ラベルを眺めてみる。……なるほど、さすがスイーツ作りの達人である。


「ラム酒かぁ。香りづけにいいの?」

「それもあるし、パイとの相性がより良くなる。肉料理に合わせるコンポートなら赤ワインを入れてもいいが、スイーツだし、子どもだしな」


 ふわりと甘い香りが広がる。うん、煮詰める前からおいしそうだよ、すでに。


「じゃあ水分がでるまでパイ生地でも……ってシリル! もうまとめ終わってる!」

「手伝った方が早いかと思って。パイ生地はパンと違ってこねなくていいけど、折り返し作業はしっかりやった方がサクサク感が出る。続きからやるか?」

「いや……シリルのを見てようかな……」


 手際が良すぎてびっくりした。シリルの骨ばった大きな手が、生地を伸ばしてはたたんでおりかえしていく。私はその作業を吸い込まれるように見つめてしまう。

 初夏の暑い時期って、バターが溶けすぎちゃうから本来はあんまりパイ生地作りには向かないんだけどね。たぶんシリルは手元を自分の魔術でかなり冷やしているんじゃないかなと思った。びっくりするくらい生地がしっかりまとまっているもの。


「ねえ、シリルってもしかしてアップルパイけっこう好き?」


 甘党な彼には愚問かもしれない。けれど、いつもより表情が柔らかくてうきうき度合いが大きそうな気がする。私はシリルにそっと尋ねた。


「まあ、それなりに?」

「それなりか」


 彼が一瞬、遠くを見つめるように視線を外す。


「祖母が作るアップルパイが、好きだったんだ。同じものを作れるようになりたくて、小さい時に教わって一生懸命練習した。だから思い出の味、かな」

「そっか」


 それはさぞ楽しく懐かしい思い出だろう。シリルはおばあちゃん子だったのかな。ちっちゃいシリルが背伸びをしてアップルパイを作ってる姿……え、かわいい。想像してみるだけでめちゃくちゃかわいい。

 本当はそのおばあちゃん直伝の味を王女様に召し上がっていただきたいところだけど、今回は趣旨が違うので、私のレシピでごめんなさい。


「それから、初めて自分で作ったアップルパイを、食べた人にすごく褒めてもらった事がある。幸せそうな顔を見て、『料理の道に進むのも悪くない』と思ったのは確かだな」

「え、料理番になったのって『仕方なく』とかじゃないの?」

「うん? 俺は昔から料理番を目指していたが?」

「そ、うなんだ」


 突然の告白に、私は心臓が飛び跳ねる。

 見習いの時にまことしやかに囁かれていた、『シリルは魔術師試験に通ってるのにアナベルのせいで料理番に就職せざるを得なかった説』は、まだ私の胸に棘のように刺さったまま抜けていない。

 いつかその真相を確認しなくてはと思いつつ逃げてきた私に、突然核心のようなものが突きつけられてかなり動揺する。

 でも、時々魔術師の訓練に混ざってトレーニングしているのは事実だし、彼の魔力素質や家柄も当然魔術師向きなわけで……。


 いや、今はいいや。とりあえずいいや。話題を変えよう。


「わ、私もアップルパイといえばいい思い出があるよ!」

「へえ、どんな」

「もう十年ちょっと前になるのかな。建国記念の式典パレードの日、どうしても演舞が見たくて父さんにせがんで王都まで連れてきてもらったんだけど、父さんが仕事の商談をしているうちにはぐれちゃってね。道はわからないしお腹は減るし、もちろん演舞は見られてないし、フラフラよろよろしていたら、私と同じくらいの男の子がアップルパイを分けてくれたの!」


 あの日は本当に心細かった。たぶん、五歳頃の話じゃなかったかな。どちらへ行ったら良いかもわからず、とうとう道端にしゃがみ込んでしまった私に、「だいじょうぶ?」と声をかけてくれたのは大人ではなく小さな男の子だった。兄弟だったのか二人連れで、あとから合流したもう一人の子と一緒にしばらく話し相手になってくれたっけ。顔は覚えていないけれど、物静かで聞き上手な子と、ニコニコ笑顔でお話し上手な子の対照的な二人組だったことはなんとなく記憶にある。そして静かな子の方が、「たべる?」と手に持っていたアップルパイを分けてくれたのだ。それが、今まで食べたことのないくらいに美味しくて、子供心にとても感動したことを覚えている。あれから何度もお店のアップルパイを買って食べたりしたけれど、あれ以上に美味しいパイに巡り合ったことはない。

 私にとっても、アップルパイは幸せの味なのだ。


「私がどんなに練習しても、あの子がくれたアップルパイの味にならないんだよねー。ま、思い出は美化されるって言うけど。あのアップルパイ、もう一回食べたいなあ」


 私がうっとり、にやにやと思い出に浸っていると。


「……はい、パイ生地は寝かすぞ。そろそろりんご、火にかけ始めてもいいんじゃないか?」

「あっうん。そうする」


 やっぱりシリルは手が早い。私は慌ててレンジ・クッカーの前に立った。ていうか私の幸せな思い出話聞いてました? けっこういい話だったと思うんですけど。


「今度、もう一回俺が作るから、それを食べてくれないか。アップルパイ」

「へ?」

「思い出のより美味しいの、作るから」

「……あ、うん」


 ちゃんと聞いてはいたらしい。

 しかし、なぜ急に張り合うようなことを言ったのだろう?

 私はその時のシリルの表情を見ていなかった。

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