7 思い出とミートパイ
あれは確か、去年私が料理番見習いで死ぬほど忙しく勉強していた時のことだ。季節は夏の終わり頃だったか。私はその日、裏厨房でこそこそとひとり実習を終えて、ぼうっとしながら寮に帰るための裏庭を歩いていた。そうしたら突然、か細いすすり泣きの声が漏れてきた。慌てて周囲を見渡すと、夜更けなのに、幼い子供がベンチに座って声を殺して泣いているのを見つけてしまったわけですよ。
月明かりに浮かび上がるふわふわのプラチナブロンド髪の少女は、天使がこの世におっこちてきてしまったかのような、幻想的な景色にさえ見えた。それが天才美少女として有名なミーシャだと分かった私は、どうしたものかと疲れた頭で考えた。
九歳で魔術師試験を突破し、司令官預かりのもと親元を離れて寮生活をこなす女の子。ミーシャの母親は未来視で高名な魔術師だし、父親は海軍軍人のエリートという、すごい家柄のお生まれだ。入団当初から、ミーシャは魔術のセンスも魔力量もピカイチだと連日新聞で書き立てられていた。この国で魔術師にちょっとでも興味のある人間なら、知らない人はないくらいの人物なのである。一般教養を学ぶために週の何日かは学校へも通っているはずだけど、友達いるのかなあ、という考えは余計なお世話だろうか。
だから正直、「人間らしいところもある子なんだ、よかった」なんてちょっと安堵もしたけれど、次に押し寄せたのは心配である。
『あー、こんばんは。私、料理番見習いのアナベル・クレイトン。お隣、いいかな?』
そう名乗った私にびっくりした表情を向けたミーシャは、それでも不審者候補の私に隣の席を空けてくれた。やっぱり初対面から優しかったんだよね、ミーシャは。何かないかな、とカバンを漁ると、実習で作ってみたミートパイが二つ、まだほんのり暖かい状態で包んであるのを発見する。そうそう、部屋に帰って夜食にするつもりだったんだよね。
『今日もがんばったから、お腹すいちゃった。ね、一緒に食べようよ。私が作った出来立てミートパイ。まだ練習中なんだけど』
「あの時、アナベルが何も聞かずにミートパイをいっしょに食べてくれて、私、ほんとうにうれしかったの」
「そうなの? てっきり不審者認定されたかと思ってた。次の日ちゃんと話しかけてくれてお礼まで言ってくれたから、嫌われてはないのかな、とは思ったけど」
ミーシャはどうしてそんなことを急に思い出したのかな。不思議に思っていると、「あのね」とミーシャが続きを口にする。
「ちょうどあの日は授業参観の日で、みんなパパとママが来てたのに、私はひとりぼっちだったの。いつもはあんまり思わないんだよ、さみしいって。寮のみんながいるし、私はママみたいなすごい魔術師を目指しているから、がんばれるの。でもね、あの日はすっごくさびしくて、かなしくなっちゃって。だからアナベルが声をかけてくれて、ほんとうによかった。ミートパイを食べたらお腹がいっぱいになって、しあわせな気持ちになれたんだよ」
恥ずかしそうに微笑むミーシャを見て、私はなんだかむず痒い気持ちになった。おせっかいもたまには焼くものだ。歳が離れていても、こうして仲良しになれるんだから。
「だからね……私も、アナベルみたいにゆうきを出して、ソフィア王女となかよくなりたい。もう一回、明日行ってみる。私とはぜんぜん違うかもしれないけれど、ソフィア王女もお兄様や王様、王妃様がお忙しすぎてさびしい思いをされているのかもしれないもの。『ひふしっかん』? の原因って、心の問題のこともあるってアナベル言ってたよね。なにかヒントを聞けるかもしれないし」
それをきいて、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
ミーシャもソフィア王女も、まだまだ年端のいかない子供だ。「さびしい」とか「かなしい」を、いっぱい持っていて当然なのに、大人の私たちよりずっとそれをコントロールしようともがいている。本当に、偉いなあ。
「ありがとう、ミーシャ。私もできる限りのことをするからね。明日はちょっと一緒には行けなさそうだけど、せっかくお伺いするなら手土産があったほうがいいよね……何がいいかな」
今日お持ちしたキャロットケーキもアイスティーも、お砂糖をふんだんに使っているものだし。さっきあんな話をした手前、控えるほうが無難だろう。でも女子のお茶会といえば甘いものじゃない? やっぱり。
私があの日偶然持っていたミートパイみたいな、手軽に食べられて、会話に花が咲きそうで、二人が気に入りそうなもの――
あ、そうだ!
「ミーシャ、ソフィア王女のところに伺う時間って、今日くらいの時間でいい? いいモノ用意できるかも!」
「いいモノ? なあに?」
「それは明日のお楽しみ。裏厨房で待ち合わせね」
欲を言えばミーシャと一緒に作りたかったけど、彼女も建国記念式典の演舞メンバーであることを忘れてはならない。すきあらば魔術師の演舞練習を盗み見ようと思っている私は、もちろんリハーサル予定を把握済みなのだ。合間を縫って私たちにソフィア王女のことを相談しに来てくれたけど、ミーシャだって本当は忙しいんだよね。
シリルは私たちの声が聞こえているのかいないのか、黙って前を歩き続けていた。
「じゃあ、また明日。アナベル」
「練習頑張ってね、ミーシャ」
ひらひらと手を振って別れを告げたミーシャは、廊下の曲がり角でもう一度立ち止まってジャンプしながらおててを振ってくれた。なんだあれ。かわいすぎる。
「で、今度は何を作るんだ」
あ、やっぱりシリルにも聞こえてたか。
「あれだよ、あれ。サックサクでとろっとろのあれ。あつあつが美味しいやつ」
「ああ……もしかしたら分かったかもしれない」
「マジで!?」
私の驚いた顔に対して、彼はくつくつと笑う。なんか最近、よく笑われている気がするんですけど。
「材料買いに行くか」
「え、シリルも付き合ってくれんの?」
「楽しそうだから」
スイーツ作りの達人、シリルがいるなら心強い。また甘えてしまっている事実にはちょっぴり目をつぶりながら、私は必要な食材をピックアップしはじめた。
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