5 小さな決意

 ソフィア王女のため。それはつまり。


「お顔の傷は、ソフィア王女のベリル行きが決まった時点ですでにあったものだった、ということですか」


 シリルが尋ねた言葉に、エドワード王子は首を振った。


「いや。あの湿疹、最初はひじの内側だけだったんだ。宮廷医師に見せたんだけど原因不明のまま全く治らなくて、数日経つと同じような湿疹が膝の裏側に出た。手を尽くしてもダメだと言うので、魔法を扱うベリルになら、なにか手がかりがあるかもしれないと思って僕の公務について来させたんだよ」


 ところが、ベリル一番の治癒魔術師はちょうど遠征中で王都ヘリオドールに不在だった。痛み止めと痒み止めの薬は処方してもらったものの、収まるのは一時的ですぐにまた症状が復活する。


「イアンが見かねて治癒魔法を使ってくれたんだけど、やはりぶり返してしまってね。今では全身に広がっていて、ついにさっき、顔まで出てしまったんだ」

「そんな……知らなかったわ」

「ソフィアはミーシャが訪ねて来てくれるのを楽しみにしていたからね。余計な心配をかけたくなかったのだと思うよ」


 ソフィア王女はどうやら、身内以外への感情表現は素直に出しにくい性格らしい。慣れない他国に来て、兄に対してくらいしか当たりどころを見出せなかったのだろう。なんだ、ミーシャが思っているよりもずっと二人は仲良しなんじゃないか。それはよかったけど、お年頃の女の子としてはやっぱり顔の湿疹を友達には見られたくないもののようだ。


 それで、それがエドワード王子が魔法を使えることとなんの関係があるのだろう。

 私の表情を汲み取ったのか、王子はうん、とひとつ頷いて微笑んだ。

 

「魔法はね。イアンに『貸して』もらっているのさ。王宮で寝泊まりしている間、ソフィアが傷を掻き壊さないようにね」

「魔力を、貸す?」


 魔力の貸し借りなんて初耳だ。シリルの方へ「知ってる?」と視線で尋ねてみるが、彼も首をふった。ミーシャの方をチラリと伺うと、彼女もまたふるふると首を横に振っている。現役魔術師も知らないんじゃ、私に分かるわけがないな。


「これはまだ実験段階のものだから、みんなが知らなくても無理はないよ。この魔法石に魔力をためて、使える魔術を記憶させておくんだ」


 王子が服の下に隠されていたネックレスを、引っ張り上げて見せてくれる。そこに嵌め込まれていたのは、イアンさんの瞳の色に近いアイスブルーの石だ。


「魔法道具、のようなものですか」

「近いものではある。魔法道具はモノにあらかじめ記憶させた魔術を、『自分の』魔力を流すことで発動するよね。この保冷ポットみたいに」


 王子は配膳台の上に置かれた保冷ポットを指さした。


「ある一定の動作しかこなせないし、魔力を持たない人間にとってはなんの価値もないものだ。けれどこの特殊な魔法石は、もともと込められてある誰かの魔力を使って、基礎的な魔法を扱うことができる」


 そんな便利なモノがあったなんて。一度は誰もが手にしたくなる超便利な道具ではないか、と私はびっくりしてしまう。シリルとか、ミーシャの魔力を私が借りることもできるのかな。ちょっと一回やってみたいな、などと、私の好奇心がうずうずとうごめき出す。いやいや、とりあえず続きを聞こう。


「トリガーが設定されていれば、僕みたいな『魔法を扱う術がない人間』でもある程度の魔法を発動できるんだ。この石の中の魔力が尽きるまではね」

「ええと……そうか、電池、みたいな」


 電池って確か、電気を溜めておける仕組みみたいなやつじゃなかったっけ、よく知らないけど。魔力を色々な用途で使えるなら、そりゃ相当便利なシロモノだ。


「そうそう。君は博識なんだね」


 エドワード王子の褒め言葉をなぜか素直に受け止められなくて、ハハハ、と乾いた笑いを返してしまう。

 ただ、今まで作られてこなかったということは、それだけ作るのが難しく、扱いが難しいということでもある。でなければとっくの昔に、この魔法石を大量生産していたはずだ。そしてベリルは科学技術の進歩を放棄して魔法一辺倒の国になっていたに違いない。

 エドワード王子が今回貸してもらったのは、一番簡易な治癒魔法と、お茶会セットを出し入れする収納魔法だけだそうだ。しかも、使える場所は王宮内とこの魔術師寮内に限定されているという。大きな力を扱うにはそれなりに制約があるということだね。


 私はふんふん、と自分の知識欲を満たしながら、一点どうしても気になることがあった。

 それを尋ねようか、どうしようか。流石の私も、これには少し躊躇してしまう。

 たぶん、これを口にしたら、また私は誰かの事情に首を突っ込むことになる。どうせ一人じゃ解決できないから、シリルも巻き込むことになるし、もしも失敗というか下手を打てば、国際問題にだって発展しかねない。相手は一国の王女様だ。スーザンの時のように、無闇やたらに突っ込んでいけたのとは訳が違う。


 迷いながら、手元のカップに視線を落とす。氷の溶け出したアイスティーにうかぶ、小難しい顔をしている自分と目が合った。それと同時に、心を固く閉ざしてしまったかのような、鋭い目つきで兄を睨むソフィア王女の顔がフラッシュバックする。

 ふと視線を上げると、浮かない顔をして俯いているミーシャの姿が目に入った。どうしたらいいかわからない、というような、困り果た顔。その表情にはっとした。


 ああ、そうだった。

 私、ミーシャの力になるって決めたじゃないか。


 私が言いたいことを渋るなんて、らしくない。


 私はエドワード王子を見据えた。息をひとつ、大きく吸う。溜めていた疑問を、覚悟を持って吐き出すことにする。


「王子。ソフィア王女の湿疹が唐突に現れた『原因』が何かは、結局わからないままなんですよね?」

「原因……?」


 エドワード王子は虚をつかれたように目を丸くした。

 ぴくり、と視界の端でシリルが動いた気配がする。うん、ごめんね、やっぱり君も気づいていたよね。


「はい。皮膚疾患は、怪我や虫刺されがきっかけで引き起こされる炎症がほとんどです。ただしその場合は、治癒魔法や薬がてきめんに効きますから、長引くことはあまりありません」


 つまり、ソフィア王女のケースはこれに当てはまらないことになる。

 エドワード王子が少し身を乗り出した、気がした。私は料理番の研修時代に習った内容を反芻しながら、思い当たるところを必死で探す。


「症状がぶり返す場合は、『精神状態』や、『体の内側』に原因がある可能性を考えるべきだと思います。過度のストレスが皮膚病として現れているなら、その原因になっている事柄を除かないといけません。それにも心当たりがないとすれば、『食べ物を疑う』必要が出てくると、思うんです」

「食べ物を疑う……」


 話を聞いていて疑問に思ったのは、ソフィア王女の湿疹についての原因究明がきちんと行われたのか、という点についてだった。

 対症療法はありとあらゆる手を尽くされた感がある。けれども王子の話をよくよく聞いていると、ソフィア王女が『なぜ』その状態になったのか全くと言っていいほど分からない。

 実は意外とありがちな話なのだ。目に見えない原因は『不明ですね』で終わってしまうパターン。分からないから症状を抑える薬しかもらえないし、結局その病気と長く付き合わなくてはならないハメになる。


「『人間は、自分が食べたもの以上の存在になることはできない』というのが、うちの料理長、ハワード・オルムステッドの口癖でして。たぶんこれは、国も人種も関係ないことだと思うんですよ」


 私たちの体は食べ物で作られている。単純においしい、まずいを楽しむだけのものではない。まつげ一本から指の先に至るまで、私たちは「食べたもの以上」の存在になることはできない。

 ベリルには、いや特に料理番にはその考え方が深く刻まれているから、原因不明の病気や不調は『食べ物にある』可能性を探ったほうがいいと私はよく知っている。

 これは、ただのお節介だ。もしかしたら不必要な情報かもしれないけど、伝えないという選択肢はない。そこにソフィア王女が楽になれる糸口があるのなら。


「『全く同じ』人間がいないように、人には合う食材、合わない食材がそれぞれ異なります。毎日卵を食べているから元気だという人がいれば、卵を食べると全身が痒くて死にそうになるという人もいる。長年かけて食べ続けていたものがずっと自分にとっては毒だったという場合もあるし、急に食生活が乱れたことでバランスを崩し、それが風邪をひく原因になったりもする。ソフィア王女の湿疹の原因に、何か心当たりはありませんか? 些細なことでもいいんです」

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