3 どうしてこうなった?

 豪奢な廊下に取り残された面々は、誰からともなく顔を見合わせた。

 ミーシャ、シリル、私……そして、どなた?


 いや、知らなくて良い。というか知りたくない。ぺしょんと尻餅をついている、メガネをかけた痩せ型のこの青年が誰であるかなんて。一瞬現実逃避を試みた私だが、シリルが控えめに私の袖を引っ張った事ではっと我に帰る。

 シリルが最敬礼の姿勢で腰を折った。続いてミーシャが、そして慌てて私も、彼に向かって頭を下げる。


「エドワード・ロータス王太子殿下とおみうけいたします。とつぜんのご無礼、失礼いたしました。ソフィア王女にお目通りねがいたく、伝令鳥にてごあいさつ申し上げました、第一魔術師団しょぞくの、ミーシャ・ガードナーです。はじめまして」

「魔術師寮料理番、シリル・スタンフォードです」

「同じく魔術師寮料理番、アナベル・クレイトンです」


 ミーシャがはっきりと挨拶をし、シリルと私がそれに続く。

 料理番である私たちが初対面の人、しかも位が上の人に挨拶するときは、魔術師より先に名乗りを上げることが出来ない。ミーシャもきちんと分かっていて、最初に口火を切ったのだ。ぷるぷる膝が震えている私なんかよりも、よっぽど落ち着いて様になっている。この最敬礼、けっこう姿勢の維持がしんどいんですよ。


「あ……ああ。エドワード・ロータスだ。顔を上げてくれ」


 エドワード王子はゆっくりと立ち上がった。

 はい。そうだよね。やっぱりロータス王国の王子でしたね。

 ミーシャが彼と面識がなかったのは意外だった。けれどもしかすると、エドワード王子の視察中に暇を持て余すであろう妹姫の話し相手として呼ばれたのかもしれない。だとしたら、ずっと入れ違いになっていたのだろう。


 お許しが出て直立の姿勢に戻った私は、視線を合わせないようにそっとエドワード殿下を盗み見た。

 ソフィア王女とお揃いの金髪は、眉毛にかかりそうな長さで切り揃えられている。丸い銀縁のメガネの奥で、ブルーグリーンの瞳が聡明そうな光をたたえていた。

 もし彼がベリル人だったなら、植物に関連する魔法や、治癒魔法が得意な人だっただろう。

 もし彼が『魔法を使えた』なら……きっと、稀代の癒し手としてその名を馳せたに違いない。そんな瞳の色だ。


 ただしその「もしも」はあり得ない。

 なぜなら、ベリルの『魔法』は、『他国の人間には扱うことができない』からだ。


 これが大変不思議なことで、なおかつベリル神話が今でも人々に信じられている理由でもある。

 初代国王は外国の侵攻からこの国を守るために、魔力と魔法の使い方を教えた、とベリルの建国神話では語られる。それを裏付けるかのように、他国で生を受けた人間には、有史以来どういうわけだか魔法を使えた前例が一度もない。たとえ魔法を出力する手段の鉱石を握りしめていたとしても、魔力計測機で「魔力がある」と診断されても、である。

 ベリル人の中でも魔法を扱える人とそうでない人がいるので、いわゆる「民族の血」が関係しているとは考えにくい。私は研究者ではないので、詳しいことはよく知らないが、魔法についてはまだまだ解明されていないことが多いのだ。


 ま、自分で魔法を扱えるはずがない人が、どうして他国の魔術研究を熱心にやっているのかはわからないけれど。


「君がミーシャか。いつもソフィアの話し相手になってくれてありがとう」

「そ、そんな! とんでも、ございません」


 エドワード王子は、堂々とした王子ぶりというよりは線の細い学者みたいだ、と形容した方がしっくりくる。身長だけで言えばシリルより高いかもしれない。痩せているせいもあってか、ひょろりと背が高く見えた。

 慌てるミーシャに微笑みながら、殿下はちらりとこちらを一瞥する。


「彼らは君の料理人コックなの?」

「あ、ええと、そう、だけどちがう、んです。料理番は、ふつうのコックとはちがって、ええと」


 ミーシャがおろおろしながら、助けを求めて視線をこちらへよこす。シリルが「おそれながら」とミーシャの後を引き取った。


「ベリルでは魔術師寮に所属する料理人を『料理番』と呼んで、家や王宮が抱えるコックとは区別しております。軍属になりますので、非常時には市街地での炊き出しを中心に人道支援、避難誘導なども行います」

「そうか、料理番……君たちが」


 殿下がふと一瞬、真剣な眼差しをして何かを呟いた。だがその表情をすぐに消して、柔和な微笑みを私たちの方へ向ける。


「ベリルにはそういう制度があるんだったね。忘れていたとはいえ、失礼した」


 物腰柔らかで丁寧なお人である。謝られるなんてとんでもないが、返す言葉ももたない私は、ぶるぶる首を振ることしかできない。


「あの! ソフィア様のこと、なんですが」


 ミーシャが口を開きかけたところで、シリルが被せるようにして彼女の疑問を遮った。


「王女殿下にはお会いできず・・・・・・残念でした。また日を改めさせていただきます」


 「そういうことにする」のだろう。角を立てたくないのはもちろんのこと、我々はなにも見ていない、という意思表示でもある。そう、ソフィア王女の顔になにがあったか、など。

 今日のところはシリルの判断が正しいと思う。滞在期間があとわずかしかないとはいえ、強引に進める人間関係が好転したためしがない。

 ミーシャは一瞬「え」という表情を浮かべたが、勘がいいのですぐにその顔を引っ込めた。


「ソフィア王女にどうぞよろしくおつたえ下さいませ。今度また、おいしいケーキをおもちいたします」


 ミーシャが再び敬礼をとったので、私もそれに倣ってお辞儀をしておいた。はい、退散退散。次ここにくる時はシリルとミーシャの二人で行っていただこう。

 と、思ったのだが。


「もう帰ってしまうのかい?」


 すっかり回れ右モードだった私たちは、思いも寄らないエドワード殿下の一言でピタッと固まった。


「せっかくケーキとお茶を持ってきてくれたんだよね。わざわざ持って帰らせるのも申し訳ないな」


 ……ん?

 なんか、風向きが、あやしいような。



「いえ、それは、お構いなく」


 何かを察知したシリルが慌てて否定する。ええホントに、お構いなく。それは後でわれわれが責任持って平らげますので。

 だが私の心の声は彼に届くことはなかった。


「そうだ。ここはひとつ、僕とお茶会を楽しむというのはどうだろう」


 名案、という顔をしたエドワード殿下が、わざとらしくぽん、と手を打つ。

 そのまま彼がぱちりと指を鳴らすと、絨毯の上に突然ドン、と白くて丸いテーブルが出現した。


「は?」


 思わず、私の口から疑問符がこぼれ落ちる。

 ここ、廊下ですよ? いくら絨毯がしいてあっても、貴賓室前でかなりの幅があるとは言っても、ここ、廊下ですよ?

 いや違う。そうじゃない。その前に。


「なぜ、『ベリル人ではない』僕が、『魔法を扱って』いるのか……不思議でしかたないって顔をしているね、そこの君」


 エドワード王子が柔らかな微笑みを浮かべて、的確に私の疑問を打ち抜いた。


「まあ、簡単なことなんだけど」


 彼はもう一度指を鳴らす。

 今度は白い椅子がドドドン、と四脚、テーブルを囲むように現れた。


「え、なに、どういう、こと?」


 開いた口が塞がらない。シリルもミーシャもあっけに取られていた。

 こんな大掛かりな魔法、肌で感じる空気からして、シリルクラスの魔法使いでようやく使えるかどうかといったレベルだ。だというのに、目の前の王子はいとも容易く使ってみせた。


「さあ、かけてくれたまえ。よかったらこの『魔法』についても教えるよ。興味があるでしょう?」


 はい! と即答しかけて、私は慌てて口をつぐんだ。あっぶない。一番引っかかりそうな相手とポイントが的確にバレている。

 ミーシャとシリルは顔を見合わせている。うん、魔術系への興味が一等強くて申し訳ございません。


「無礼講なティータイムだと思ってくれて構わない。ソフィアとお茶をする予定だったなら、その時間を僕にくれないかな?」


 ね、と微笑むエドワード殿下の顔はとても優しい。はずなのに、視線が絡まった瞬間、ぞくりと背中へ悪寒が走った。本能的な恐怖とも呼ぶべきそれには、有無を言わさない力が宿っている。

 ああ、これアレだ。獲物を絶対に逃さない猛禽類の目だ。


 え、何? 私たち、何かした?

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