2 無口なはずの王女
世の中には言い出しっぺの法則というものがある。ええもちろん、よくわかっているつもりです。
「だからってミーシャ、私は魔術師でもなければ、ましてや貴族や王族でもないんデスヨ」
「そんなこと知っているわ」
「いいや分かってない。ぜんっぜん分かってないね。あのね、私のような身分の者が他国の王女様にご挨拶なんて、天地がひっくり返ってもありえないことなの」
「ソフィア王女様はお優しいからだいじょうぶよ。私がアナベルの話をしたらニコニコして聞いてくださっていたし、『会いたい』って仰っていたもの」
それは絶対に違うと思う。ミーシャが「会ってみたいでしょう?」とかなんとか言って「はい」と答えざるをえない状況に追い込んだだけに違いない。だってさっき「ソフィア王女様は『はい』か『いいえ』しか答えてくださらない」と言っていたではないか。あともう一つ、確認したいんだけどいいですか。他国の王女様相手に、私の何を吹き込んだと言うんだ。
え、我々のいる場所ですか? はいそうです、お察しの通り、ここはソフィア王女様が日中の滞在に使用している魔術師寮の貴賓室前廊下になります。
ロータス王国の王子は、ベリルの魔術に大変興味がおありらしい。ご自身も国で魔術の研究をなさっているそうだ。今回の訪問はそういった魔術系の視察も兼ねているらしく、滞在期間が少し長めだという。こちらも、機密になることは流石にお教えできないが、差し支えのない範囲で殿下に研究室などもご案内しているということだ。
うーん。正直、演舞前のこの忙しい時期にみんなよくやるな。偉すぎるな。という感じではあるんだけど、そこはまあ、演舞に出ないみんなが協力してなんとか回しているというところだろう。
下手に街をうろちょろされるよりは、魔術師寮内にいた方が確かに100倍安全ではある。護衛的な意味でも。
貴賓室前の廊下は、色鮮やかな模様が織り込まれた、足が沈み込むほどフカフカの絨毯が敷いてあった。こんなところを歩ける機会、もう一生ないかも。故郷に帰ったら村の人みんなに自慢するんだ。そう思って現実逃避していないと心臓が持たない。
ちなみに、滞在中の王族がたのランチについては魔術師寮は関与していない。王宮の料理人たちがうちの厨房を使ったり、持ち運べる食べ物を向こうで用意して持ってきたりしているので、正真正銘私が他国の王族に関わるのはこれが初めてなわけである。
この廊下に入る曲がり角のところには、もちろんベリル皇国とロータス王国の護衛騎士さんが立っていた。だがミーシャの顔パスとシリルの顔パスで、すんなり私まで入れてもらってしまったのだ。時々忘れるんだけど、そういえばシリルってばベリル皇国第三王子のご学友にして現魔術師団司令官の弟君なんだよね。顔が割れていないほうがおかしい。
私はこっそりそこでバイバイする予定だったのに! 今日は非番だが、うっかり料理番の
専用のワゴンをしずしずと進ませながら、私は柄にもなく吐きそうなくらい緊張していた。
のだが。
『──のバカ! ──! もう──なんて──!』
『──はソフィアの──』
『うるさい! ──は何度も──って──!!』
あのう。
近づくにつれて、部屋の中からなにやら罵声のようなものが聞こえてくるのは気のせいでしょうか?
扉の前で立ち止まった私たちは、一様に顔を見合わせた。
「ミーシャ、一応確認するけど、この部屋に入れるのって」
「ソフィア様と、そのお兄様のエドワード王子だけ、のはず。必要な時は従者やメイドもいる、けれど……」
うん。ミーシャの顔が完全にひきつっている。そうだよね。ソフィア王女様は「物静かでしとやか」な王女のはずだ。少なくともミーシャの前ではそうだった。
それが、甲高い声で喚き散らしている張本人かもしれないのだから無理はない。
「伝令鳥は出した、んだよね?」
「もちろん。そうでなきゃ護衛のお兄さんたちだっていくら顔見知りでも通してくれないもの」
ですよねえ。私とシリルは顔を見合わせる。
この状況、何食わぬ顔で踏み込んでもいいものか、やめておくべきか。ミーシャを置き去りにしてトンズラをかますこともできなくはないが、流石にそれは人間としてどうかと思うので。
「ここは時間をおいて出直したほうが……」
よさそうだね、と続けようとした時だった。
目の前の部屋の扉が、蹴破られんばかりの勢いで開いた。ひとりの男性が部屋から転がり出てくる。驚いて声も出ない私たちの存在に、彼は気がつかない。男性はただ一点、部屋の中の『誰か』を見つめて青ざめていた。
「ことわってきて! きょうはミーシャに会えない!!」
「……え?」
え。
え。
いま、なんて。
部屋の中の声の主は、男性を部屋から締め出そうとしてついに姿を現した。
美しいストレートの金髪を肩の下で切りそろえた、可憐な王女……いや。可憐な佇まいをしながらも、怒りに震え憎悪を纏い、肩で息をするその姫は、まるで手負いの獣だ。
そしてその左頬には──赤黒い湿疹とそれをかき壊した痕が、生々しく刻まれていた。
「ソフィア、さま?」
ミーシャがぽつり、と小さく廊下に落とした声。
この時ほど、自分の胸元に魔法石のネックレスがなかったことを悔やんだ日はない。咄嗟に防音魔法をかけられていたなら、と。きっとシリルも、同じ気持ちだったと思う。
扉の前の二人がはっと振り返りこちらへ視線をよこした。
よこしてしまった。
王女の深い青の瞳に、絶望が映る。
何かを発するように唇が震えた。だがそれは音にならず、彼女はひとすじ、涙をこぼした。
ミーシャが一歩前に出る。
同時に、心を閉ざすように、部屋の扉が彼女の手によって閉められる。
「待って!!」
伸ばした全員の手は、誰のものも届くことはなく。
扉の重々しい音だけが、豪奢な廊下に響き渡った。
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